このブログを検索

2020年5月13日水曜日

下翼の定義





何度も繰り返すが、これに正面から立ち向かっていないヤツはダメだということだ。どんな社会制度になってもこの構造は変わらない。もし日本の政治にかかわりたいなら、この少子高齢化が問いの核心である。

2040年などと野暮なことは言わない。2000年からこの今の2020年への移行だ。高齢者1人当たりを支える現役世代がほとんど半減している。半減しているということは本来は、高齢者を支える現役世代1人当たりの負担が倍増しなければならないということだ。





だが、である。現役世代の負担は倍増していない。わずかに増えているだけだ。ここで「ふつうなら」、必ずすぐさま疑問が生じるはずだ。賦課方式の社会保障の仕組みなのになぜ負担が倍増していないのか、と。


社会保障制度の持続可能性が著しく低下していると考えざるを得ない理由は、働き方の多様化や家族形態の変化など多数あるが、最大の要因は、超少子化に起因する超高齢化である。年金、医療、介護の社会保障財政は、基本的に賦課方式といわれる仕組みで運営されているからである。賦課方式とは、その時点の国民の負担(社会保険料と税金)を財源にして、その時点の国民に給付を行う方式である。負担は主に現役世代が負い、給付は主に引退世代になされている。いわば、引退世代の生活を現役世代の負担で支えているわけである。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」大和総研2013、武藤敏郎監修)


足りない社会保障給付費を政府が借金して補填しているのだ。





したがって、地方債をのぞいた公債残高だけでも雪だるま式に増えている。この巨額財政赤字の要因に正面から立ち向かっていない政治家やその応援団はまったくダメだということを強調したい。他の政治的課題はこれに比べれば些末な問題にすぎない。





財務省を中心にして政府側、あるいは主要経済学者やシンクタンクにはいろんな切り口の見解がある。だがそれらのほとんどすべては、少子高齢化で借金を返す人が激減する中、膨張する1000兆円超の巨大な国家債務にどう対処していくのか、という点に収斂する。







(資料財務省 令和元年10月」PDF )


以上、政治に関心があるらしきにもかかわらず、この問いに正面から立ち向かっていない者たちを、彼らが右翼であれリベラルであれ左翼であれ、わたくしはみな「下翼」と呼ぶのである。