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2020年5月13日水曜日

ハイパーインフレ文献

以下、MMTの資料の列挙に引き続き、ふたたび「平成財政の総括」(財務省、平成31年4月17日、pdf)のハイパーインフレの項より。

この、財務省においては珍しい参考資料提示は、おそらく一部の経済学者においてハイパーインフレ容認論があるゆえの財務省による反論の意味合いもあるのではないか。それはMMT批判の文脈のなかにもある。



(参考)ハイパーインフレーション①(第1次世界大戦後のドイツ)
○ これに対し、ハイパーインフレーションであれば、急激な物価上昇のインパクトで債務残高/GDP比を下げられる可能性はあるが、国民生活は塗炭の苦しみに見舞われる。

○ ハイパーインフレは、中産階級を崩壊させ、国民生活に大変な痛みを強いる
・ インフレの苦しみはたとえ長引いた場合でも、激しい痛みに似ている。痛みが続くあいだは、そのことに全神経が集中し、ほかのことにはいっさい注意が向かないが、ひとたび痛みが去ると、精神的、肉体的に傷が残っても、苦しみはすっかり忘れられるか、気にされなくなる。 
・ インフレのせいで、あらゆる悪が助長され、国の復興や個人の成功のチャンスがつぶされたことは、疑問の余地がない。・・・単純に貧しくなっただけなら、みんなで協力して問題を解決しようという気持ちが強まっただろう。インフレ下では、そうはならなかった。インフレには差別意識を駆り立てる性質があり、そのせいで誰もが自分の悪い部分を引き出され た。 
・ どの社会階級に属していても、資本や収入の絶え間ない目減りや将来の不確かさがもたらす悪影響に染まらないでいる人、あるいはそれを利用しないでいる人はいなかった。脱 税から、食料のため込み、通貨投機、違法な為替取引まで――個人にとっては多かれ少なかれ生き残りの手段となっていた。・・・中産階級と上流階級は、贈賄と収賄の両方に関 わる不正やごまかしを用いた。・・・少数の人たちが莫大な利益と愉快なぜいたくをこれ見よがしに享受している一方で、ほかの人々が無関心でいられるはずはなかった。 
・ 愛国心も社会的な義務も道徳も消え去ってしまった。・・・持っていたもの、あるいは取っておいたものを保持できないということはまさに根源的な絶望をもたらした。嫉妬や恐怖や 激怒という感情も、そこからかけ離れたものではなかった。 
・ 存在そのものが脅かされている人たちの自己保存本能が、あらゆる道徳律を踏み越えてしまう。 
・ ハイパーインフレの最中には、家族の銀器よりも1キロのじゃがいものほうが、グランドピアノより豚の脇腹肉のほうが一部の人にとっては価値があった。家族のなかに売春婦が いるほうが、赤ん坊のなきがらがあるよりもよかった。餓死するより盗むほうがましだった。名誉より暖房のほうが心地よく、民主主義より衣類のほうが不可欠で、自由より食べ物のほうが必要とされていたのだ。

○ 賃金の引上げが急激な物価上昇に追いつかず、歳入が歳出に追いつかないため、国や自治体の行政も麻痺し、税制での対応も困難
・ 労働者の賃金が初めて、眼に見えて物価の上昇に追いつかなくなってきた
・ 週末に給料を引き上げても、翌週の火曜日には、給料が物価の上昇に見合ったものではなくなる。継続的な賃金の引き上げにもかかわらず、労働者階級や給与生活者は深刻な 打撃を受けている。 
・ ベルリンでは、資金不足のせいで路面電車が運行を停止した。あまりにも資金が足りなくなり、自治体がまったく維持できなくなることもあった。 
・ 8月の税収は、名目上は4月の98倍の金額だったが、実質的には半分の価値しかなかった。マルクが同時期に200倍下がったからだ。・・・たとえ理論的に税制が予算を満たせた としても、実際にはほとんど何も変わらなかった。予算の均衡は、絶え間なく暴力的にひっくり返されていた。人々の生活面では、信じがたい負債を処理するために無理な税金を課 されたせいで、ついには社会のあらゆるレベルで税に対する倫理観が損なわれてしまった。・・・国のためにこれ以上犠牲になろうとする人はほとんどいなかった。

○ このような局面で中央銀行が通貨の供給で事態を解決することは困難
・ ライヒスバンクは、無制限の紙幣発行計画を発表し、実行に移していた。・・・紙幣の発行量を制限するのは、印刷所の能力と印刷工の体力だけになった。・・・歴史上、ライヒスバ ンクほどの速さで、自分のしっぽを追い回した犬はいない。自国の紙幣に対するドイツ人の不信は、紙幣の流通量より速いペースで増大している。結果が原因より大きくなっている 状況だ。しっぽが犬を追い越してしまっている。 
・ 昼も夜も、30か所の製紙工場と、150カ所の印刷会社、2000台の印刷機があくせくと働いて、絶え間なく紙幣の猛吹雪に拍車をかけ、その下では国の経済がすでに壊滅していた。
・ 総裁は、・・・自分の義務は、全力を尽くして通貨を供給することだと考えていた。・・・扱えるだけの量の紙幣を繰り返し印刷して配布する際の純粋な物流管理が、総裁の最も大きな心配事だったらしい。 
・ どれだけ大量に印刷しようと、対ポンドの価値を高めることはできなかった。その一方で、予算の穴はますます大きくなっていた。 
無知と誤った理論が導きえた極端なまでの愚かさが、あれほど無邪気にさらけ出されるとは、誰にも予期できなかっただろう。
(出典)『ハイパーインフレの悪夢』(アダム・ファーガソン著 2011年新潮社)





(参考)ハイパーインフレーション②(第2次世界大戦後の日本)
○ 第2次世界大戦時の巨額の軍事費調達のために多額の国債が発行された結果、終戦直前には債務残高対GNP比が200%程度に まで増大。この巨額の国債発行は日銀引受けによって行われたことから、マネーサプライの増加等を通じて、終戦直後にハイパーインフレーションが発生。

○ 政府は、ハイパーインフレーションに対応し、債務を削減する観点から、「預金封鎖」・「新円切替」を柱とする金融危機対策を講じると ともに、「財産税」・「戦時特別補償税」を柱とする財政再建計画を立案・公表。ハイパーインフレーションやこれらの施策により、債務残 高対GNP比は大幅に低下したが、同時に国民の資産(特に保有国債)も犠牲になった。

○ こうした教訓に基づき、財政法上、「非募債主義(4条)」や「国債の日銀引受け禁止(5条)」が定められた。

<預金封鎖・新円切替> 
● 全金融機関の預貯金を封鎖し、引出しを原則的に禁止。生活費や事業資金につ いて一定額のみ引出しを承認。
● 日銀券を「旧券」として強制通用力を喪失させ、流通中の旧券を預貯金等に受け入 れ、既存の預金とともに封鎖。「新券」を発行し、新円による預金引出しを認める。

<財政再建計画> 
● 「財産税」:通常生活に必要な家具等を除く個人資産(預貯金、株式等の金融資産 及び宅地、家屋等の不動産)に対して、一回限りの特別課税。 
● 「戦時補償特別税」:戦争遂行のために調達した物品等の軍や政府に対する戦時 補償請求権に対して100%課税を行うことで、戦時補償の支払いを打ち切り。

(参考)財産税及び戦時補償特別税による収入は5年間累計で約487億円(昭和21年時点: 一般会計税収約264億円、個人及び法人企業の金融資産は約3,806億円)。




<ハイパーインフレーションの影響> 
● 「預金封鎖が父を変えてしまった」。漁師の父親は酒もたばこもやらず、こつこつ貯 金し続け、「戦争が終わったら、家を建てて暮らそう」と言っていた。だが、預金封鎖 で財産のほぼすべてを失った。やけを起こした父は海に出なくなり、酒浸りに。家 族に暴力も振るった。イネ(娘)は栄養失調で左目の視力を失い、二人の弟は餓死した。
● 愛知県の松坂屋名古屋店は商品も少なく、物々交換所に様変わりした。インフレで 物価は高く、必要な物を交換で入手できる場として重宝された。着物を持ってきて 食料を欲しがる人もいれば、鍋釜を探す人もあった。同店従業員が交換を仲介し 手数料を得た。

(出典)『人びとの戦後経済秘史』(東京新聞・中日新聞経済部 編 2016年)



※付記


第一次大戦に敗戦したドイツはベルサイユ条約により植民地全部と領土の一部を取り上げられたうえ、1320億マルク(330億ドル)の賠償金を請求された。ドイツの当時の歳入20年分くらいの額であり、毎年の支払いは歳入の2分の1から3分の1に及んだ。

 そんなもの払えるわけがない。札をガンガン刷ったドイツは、1922年から1923年にかけてハイパーインフレーションに見舞われてしまうことになる。どのくらいハイパーだったかというと、0.2~0.3マルクだった新聞が1923年11月には80億マルクに暴騰する勢いだったそうである(村瀬興雄『ナチズム』中公新書)。
 ハイパーインフレによってもっとも打撃を受けたのは中産階級や労働者、農民だった。一方で、外貨でドイツの資産を買ったりしてボロ儲けする者もいたのだが、そのなかにはユダヤ人実業家が少なからず含まれていた。その怨みもユダヤ人迫害の一因となる。栗原 裕一郎書評「世界恐慌からいち早く立ち直ったのはナチスだった!~『ヒトラーの経済政策』武田 知弘著」)
20XX年1月10日(金)。午前6時に人形町のワンルームマンションを出て、徒歩で丸の内に向かう。出社前に近くのスターバックスに寄り、3800円のカフェモカを飲むのが私のささやかな贅沢だ。紙の新聞はずいぶん前になくなってしまったので、iPad5を開いてニュースをチェックする。(……)

ハイパーインフレが富裕層の顔ぶれを一転させた。

コーヒーを飲み終えると、東京駅前のハイアールビルにある会社に向かう。金融危機前は丸ビルの愛称で知られていたが、いまや覚えているひとはほとんどいない。それ以外にも、サムソンプラザやタタ・ヴィレッジなど、東京都心の不動産はほとんどが外国企業に買収されてしまった。(橘玲「20XX年ニッポンの国債暴落」)

橘玲氏が示唆しているように、21世紀のハイパーインフレは、日本の資産価値が適度に下がったところで、中国や韓国、あるいは米国などのあいだで買収競争が起こる可能性が高いため、極端なゼロ発作は起こらないはずである。


ゼロ発作
ここで、なんらかの理由でひとびとが過剰な流動性をきらって、保有している貨幣の量を減らそうとして状況を想定してみよう。もちろん、そのためには、どれかの商品の市場においてその商品の買いを増してみるか、どれかの商品の市場においてその商品の売りを減らしてみなければならない。いずれのばあいも、商品全体にたいする総需要が総供給にくらべて増大してしまう。ここに、全般的な需要過剰によるインフレ的熱狂の可能性がうまれることになる。
そして、じっさいに総需要が総供給を上回ってしまうと、その可能性が現実化する。保蔵から解きはなたれた貨幣が商品を追いかけまわす、いわゆるカネあまりの状態となる。世にある大部分の商品の買い手は、本人たちの意図とは無関係に、まさに構造的に買うことの困難をおぼえることになるのである。この機会をとらえて、今度は、売ることの困難から解放された大部分の商品の売り手たちは、きそって価格を引き上げはじめるだろう。貨幣経済は、物価や貨幣賃金が「連続的にかつ無際限に」上昇していくヴィクセルの「不均衡累積過程」に突入することになるのである。しかも、貨幣賃金の切り下げにはげしく抵抗する労働者も、貨幣賃金の引き上げにたいしてはけっして抵抗しない「論理性」をもっているはずである。戦時下経済のような価格や賃金の直接的統制でもないかぎり、インフレ的熱狂というかたちの不均衡累積過程の上方への展開をさまたげてくれる「外部」は、資本主義社会の内部にそなわっていない。総需要が総供給を上回っているかぎり、インフレ的熱狂はつづいていく。
その後の展開にはふたつのシナリオがある。

たとえひとびとがインフレ的熱狂に浮かされていたとしても、それが一時的なものでしかないという予想が支配しているならば、その予想によってインフレーションはじっさいに安定化する傾向をもつことになる。なぜならば、そのときひとびとは将来になれば相対的に安くなった価格で望みの商品を手にいれることができることから、いま現在は不要不急の支出を手控えて、資金をなるべく貨幣のかたちでもっているようにするはずだからである。とうぜんのことながら、このような流動性選択の増大は、その裏返しとして商品全体にたいする需要を抑制し、進行中のインフレーションを鎮静化する効果をもつことになるだろう。物価や賃金の上昇率がそれほど高いものでないかぎり、ひとびとはこのようなインフレーションの進行を「好況」としておおいに歓迎するはずである。じっさい、すくなくともしばらくのあいだは、消費も投資も活発になり、生産は増大し、雇用は拡大し、利潤率も上昇する。
しかしながら、ひとびとが逆に、進行中のインフレーションがたんに一時的ではなく、将来ますます加速化していくにちがいないと予想しはじめたとき、ひとつの転機(Krise)がおとずれることになる。

貨幣の購買価値がインフレーションの加速化によって急激に低下していってしまうということは、支出の時期を遅らせれば遅らせるほど商品を手に入れるのが難しくなることを意味し、ひとびとは手元の貨幣をなるべき早く使いきってしまおうと努めることになるはずである。とうぜんのことながら、このような流動性選好の縮小は、その裏返しとして今ここでの商品全体への総需要を刺激し、進行中のインフレーションをさらに加速化してしまうことになる。もはやインフレーションはとまらない。
インフレーションの加速化の予想がひとびとの流動性選好を縮小させ、流動性選好の縮小がじっさいにインフレーションをさらに加速化してしまうという悪循環――「貨幣からの遁走(flight from money)とでもいうべきこの悪循環こそ、ハイパー・インフレーションとよばれる事態にほかならない。ここに、恐慌(Krise)とインフレ的熱狂(Manie)とのあいだの対称性、いや売ることの困難と買うことの困難とのあいだの表面的な対称性がうち破られることになる。買うことの困難が、売ることの困難のたんなる裏返しにとどまらない困難、恐慌という意味での危機(Krise)以上の「危機(Krise)」へ変貌をとげてしまうのである。
1923年10月30日のニューヨーク・タイムスにAP発の次のような記事がのっていた。

《通貨に書かれたあまりに法外な数字がひとびとのあいだにひきおこした一種の神経症にたいして、当地ドイツの医師たちが考案した名前は「ゼロ発作」あるいは「数字発作」というものであった。何兆という数字を数え上げるために必要な労力にすっかり打ちひしがれ、多数の男女が階級をとわずこの「発作」におそわれたことが報告されている。これらの人々は、ゼロ数字を何行も何行も書き続けていたいという衝動にとらわれているということ以外には、明らかに正常な人間なのである。》(J.K.Galbraith,money 1975から引用)
ハイパー・インフレーションの代表的な事例として数多くの研究の対象となってきたのが、第一次大戦後のドイツの経験である。第一次大戦の開始直後の1914年から持続した上昇をつづけていたドイツの国内物価は、1922年の6月あたりから急速に加速化しはじめ、7月から1923年11月までの16ヶ月間の上昇率は月平均(年平均ではなく!)322パーセントにたっすることになった。とくに9月、10月、11月の最後の3ヶ月間は月平均(年平均ではなく!)1400パーセントもの上昇率を記録することになり、インフレーションが最終的に終息した1923年11月27日の物価の水準は、1913年の水準にくらべて1,382,000,000,000倍にも膨れ上がってしまったのである。まさに「ゼロ発作」をひきおこしかねない数字である。そして、そのあいだにひとびとの流動性選好は急速な収縮をみせ、一単位の貨幣が一定の期間に平均何回取り引きに使われているかをあらわす貨幣の流通速度は1913年にくらべて18倍もの増大をしめすことになった。
このドイツの経験のほかにも、古くは独立戦争直後のアメリカやフランス革命下のフランスにおけるハイパー・インフレーションの事例が有名であり、今世紀にはいってからは、社会主義革命直後のロシア、第一次世界大戦後のオーストリア、ハンガリー、ポーランド、第二次大戦後のギリシャ、ハンガリー、共産党政権化確立前の中国、1980年代の中南米諸国、さらには社会主義体制崩壊後の東ヨーロッパ諸国や旧ソヴィエト連邦諸国などがはげしいハイパー・インフレーションにみまわれている。(岩井克人『貨幣論』1993年)


起こっても穏やかな「ゼロ発作」だろう、スペイン風邪から100年ぶりのコロナウイルスがかつてより穏やかなように。


◼️参考



政府が財政規律を導入しないと、この金融政策はうまく機能しないと思います。徳政令か、インフレでゼロ価値にしてしまうといったドラスティックな対応が必要になってくるかもしれません。債務のリネゴシエーションが日本でも起こり得るかもしれません。

日本の場合、国債の保有者は国内の預金者なので可能かもしれませんが、徳政令はハイパーインフレ―ションの下では国民は財産を一気に失ってしまうことになります。

そこから、この高齢化社会で立ち直れるのか。それぐらい厳しい条件だと政治家が認識して、責任を持って財政規律を導入しないと、状況はなかなか改善しないと思います。(北村行伸一橋大学経済研究所教授、如水会報(一橋大学OB誌)2017年10月号)



これからの日本の最大の論点は、少子高齢化で借金を返す人が激減する中、膨張する約1000兆円超の巨大な国家債務にどう対処していくのか、という点に尽きます。

私は、このままいけば、日本のギリシャ化は不可避であろうと思います。歳出削減もできない、増税も嫌だということであれば、もうデフォルト以外に道は残されていません。

日本国債がデフォルトとなれば必ずハイパーインフレが起こります。(大前研一「日本が突入するハイパーインフレの世界。企業とあなたは何に投資するべきか」2017年)
最悪の事態を避けるためには、政府が“平成の徳政令”を出して国の借金を一気に減らすしかないと思う。具体的な方法は、価値が半分の新貨幣の発行である。今の1万円が5000円になるわけだ。

そうすれば、1700兆円の個人金融資産が半分の850兆円になるので、パクった850兆円を国の借金1053兆円から差し引くと、残りは200兆円に圧縮される。200兆円はGDPの40%だから、デフォルトの恐れはなくなる。そこから“生まれ変わって”仕切り直すしか、この国の財政を健全化する手立てはないと思うのである。

その場合、徳政令はある日突然、出さねばならない。そして徳政令を出した瞬間に、1週間程度の預金封鎖を発動しなければならない。そうしないと、日本中の金融機関で取り付け騒ぎが起きてしまうからだ。(大前研一「財政破綻を避けるには「平成の徳政令」を出すしかない」2016.11)


この施策の考え方の基本は次の通り。

インフレ課税というのは、インフレを進める(あるいは放置する)ことによって実質的な債務残高を減らし、あたかも税金を課したかのように債務を処理する施策のことを指す。具体的には以下のようなメカニズムである。

 例えばここに1000万円の借金があると仮定する。年収が500万円程度の人にとって1000万円の債務は重い。しかし数年後に物価が4倍になると、給料もそれに伴って2000万円に上昇する(支出も同じように増えるので生活水準は変わらない)。しかし借金の額は、最初に決まった1000万円のままで固定されている。年収が2000万円の人にとって1000万円の借金はそれほど大きな負担ではなく、物価が上がってしまえば、実質的に借金の負担が減ってしまうのだ。
  この場合、誰が損をしているのかというと、お金を貸した人である。物価が4倍に上がってしまうと、実質的に貸し付けたお金の価値は4分の1になってしまう。これを政府の借金に応用したのがインフレ課税である。

 現在、日本政府は1000兆円ほどの借金を抱えているが、もし物価が2倍になれば、実質的な借金は半額の500兆円になる。この場合には、預金をしている国民が大損しているわけだが、これは国民の預金から課税して借金の穴埋めをしたことと同じになる。実際に税金を取ることなく、課税したことと同じ効果が得られるので、インフレ課税と呼ばれている。(加谷珪一「戦後、焼野原の日本はこうして財政を立て直した 途方もない金額の負債を清算した2つの方法」2016.8.15)



なお太平洋戦争後においては、預金封鎖して新円発行しても、すぐに物価が安定するということはなかったようだ。

荷風戰後日歴 永井荷風昭和廿一年
二月廿一日。晴。風あり。銀行預金拂戻停止の後闇市の物價また更に騰貴す。剩錢なきを以て物價の單位拾圓となる。
三月初九。晴。風歇みて稍暖なり。午前小川氏來り草稿の閲讀を乞ふ。淺草の囘想記なり。町を歩みて人參を買ふ。一束五六本にて拾圓なり。新圓發行後物價依然として低落の兆なし。四五月の頃には再度インフレの結果私財沒收の事起るべしと云。去年此日の夜半住宅燒亡。藏書悉く灰となりしなり。