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2020年5月7日木曜日

言説基礎構造図ヴァリエーション

話す主体はみなヒステリー」の補足である。


言説基礎構造図の基本的読み方はこうである。


話し手は他者に話しかける(矢印1)、話し手を無意識的に支える真理を元にして(矢印2)。この真理は、日常生活の種々の症状(言い損ない、失策行為等)を通してのみではなく、病理的な症状を通しても、間接的ではありながら、他者に向けられる(矢印3)。
他者は、そのとき、発話主体に生産物とともに応答する(矢印4)。そうして生産された結果は発話主体へと回帰し(矢印5)、循環がふたたび始まる。 (Serge Lesourd, Comment taire le sujet? , 2006)




ところでラカンには次のヴァリエーション図がある。




「見せかけSemblant 」とはシニフィアン(シニフィアンの主体)ということである。

見せかけ(仮象)はシニフィアン自体のことである Ce semblant, c'est le signifiant en lui-même ! (ラカン、S18, 13 Janvier 1971)


「享楽Jouissance」は次の最初の意味での「大他者の享楽」のことである。

大他者の享楽[la jouissance de l'Autre]の遠近法において…、

①人がシニフィアン・コミュニケーションから始めれば、…大他者は大他者の主体[Autre sujet]である。その主体があなたに応答する。これはコードの場・シニフィアンの場である。…
②しかし人が享楽から始めれば、大他者は他の性[Autre sexe]である。(Jacques-Alain Miller,Les six paradigmes de la jouissance,1999)


ーーラカンにおいて、言説とは「社会的結びつきlien social 」という意味であり、言説理論の大他者の享楽は①に相当する(②についてはここでは触れない)。


さらに上のヴァリエーション図が示された半年後、次のようにもある。




この図の基底にはたしかに根源的な意味での身体がある。コントロールできない身体である。それは真理でも仮象でも享楽でも剰余享楽でもない。Le ground […] Il s'agit en effet du corps avec ses sens radicaux sur lesquels il y a aucune prise.  Parce que c'est pas avec la vérité, le semblant, la jouissance  ni le plus de jouir (Lacan, S19, 21 Juin 1972)


ようするに、真理のさらに下部には身体があるというふうに捉えうる。





たとえばPatrick Valas版(Staferla版)のアンコール第1版には次の図が示されている。



ここでの la jouissance du corps de l'Autreは、大他者の身体の享楽ではなく、「大他者という身体の享楽」と訳すべき内容をもっている。


大他者の享楽、大他者という身体の享楽 la jouissance de l'Autre, du corps de l'Autre(ラカン、S20, 21 Novembre 1972)

つまり大他者と身体は重複表現である。

大他者は身体である!L'Autre, …c'est le corps ! (ラカン、S14、10 Mai 1967 )
大他者の享楽…問題となっている他者は、身体である。la jouissance de l'Autre.[…] l'autre en question, c'est le corps . (J.-A. MILLER, L'Être et l 'Un, 9/2/2011)




ところで、ジャック=アラン・ミレールは言語理論に触れないままでだが、人の最も基本的なあり方として次の図を提示している。




これを言語構造図に当てはめれば次のように示せる。





したがって前回示した次の図は、上図のヴァリエーションに過ぎない。