私は完全なヒステリーだ。つまり症状のないヒステリーだ。je suis un hystérique parfait, c'est-à-dire sans symptôme(Lacan, S24, 14 Décembre 1976)
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ラカンの弟子 GÉRARD WAJEMAN ははやい時期に既にこう言っている。
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ふつうのヒステリーは症状はない。ヒステリーとは話す主体の本質的な性質である。ヒステリーの言説とは、特別な会話関係というよりは、会話の最も初歩的なモードである。思い切って言ってしまえば、話す主体はヒステリーそのものだ。(GÉRARD WAJEMAN 「ヒステリー の言説The hysteric's discourse 」1982年)
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そもそもラカンの四つの言説とは、フロイトの「三つの不可能な職業」(支配、教育、分析)がベースにある。
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2020年5月7日木曜日
話す主体はみなヒステリー
ヒステリーという語はその使用され方にもよるが、ラカン派においては基本的には悪い意味ではないよ。