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2020年5月7日木曜日

話す主体はみなヒステリー

ヒステリーという語はその使用され方にもよるが、ラカン派においては基本的には悪い意味ではないよ。


私は完全なヒステリーだ。つまり症状のないヒステリーだ。je suis un hystérique parfait, c'est-à-dire sans symptôme(Lacan, S24, 14 Décembre 1976)


ラカンの弟子 GÉRARD WAJEMAN ははやい時期に既にこう言っている。

ふつうのヒステリーは症状はない。ヒステリーとは話す主体の本質的な性質である。ヒステリーの言説とは、特別な会話関係というよりは、会話の最も初歩的なモードである。思い切って言ってしまえば、話す主体はヒステリーそのものだ。(GÉRARD WAJEMAN 「ヒステリー の言説The hysteric's discourse 」1982年)


そもそもラカンの四つの言説とは、フロイトの「三つの不可能な職業」(支配、教育、分析)がベースにある。

分析 Analysierenan 治療を行なうという仕事は、その成果が不充分なものであることが最初から分り切っているような、いわゆる「不可能な」職業 »unmöglichen« Berufe といわれるものの、第三番目のものに当たるといえるように思われる。その他の二つは、以前からよく知られているもので、つまり教育 Erziehen することと支配 Regieren することである。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937年)

この三つの不可能な仕事に、フロイトが示さなかった最も基本的な「不可能な仕事=欲望(ヒステリー)」をつけ加えたものが四つの言説(四つの社会的結びつき)。

事実、四つの言説を思考する過程で、三つしか示されていない図だってある。



ーー左から教育(大学人の言説)、支配(主人の言説)、分析(分析家の言説)、そして右隅が各言説の基盤図。

「四つの言説」の基礎にある言説構造は、一般には1970年の「ラジオフォニー」で示された次の図が基準となっている。




でも先に示した図にあるように「大他者Autre」は「仕事travail」、不可能な仕事としたっていいわけだ。

他にもこんな図がある。


ーーここでは四つの言説の基礎構造自体の発信者が「代理人Agent」ではなく、「欲望Désir」になっている。

ヒステリーの言説は上の2番目にあるように一般にはこうである。




だが基礎構造の「代理人Agent」に「欲望Désir」を代入してもいいわけだ(ラカンにはまだまだ多くの基礎構造ヴァリエーションがあってこれだけではないが)。

結局、「代理人」とは言語を使用する主体、「シニフィアンの主体」ということであり、そして真理の底には「身体 corps」があるとセミネール19でラカンは言うようになり、おそらく四つの言説の基盤図はこうも記せる。





ーーこうも記せるというか、アンコール以後のラカンからいえば、こっちのほうがより正しいはず。後期ラカンにおいては真理なんてのは嘘になったのだから。

この図が人間がみなやっていることだ。言語を使用する「シニフィアンの主体」は、「身体」を隠蔽して「他者」に話しかける。だが同時に隠蔽された身体も他者に宛てられる。言語によっては他者との十全なコミュニケーションは不可能だから、「喪失(剰余享楽)」が生じる。そしてこの剰余享楽は喪失であるとともに「もっと享楽を!」を促し(一般には「享楽欠如の享楽 jouir du manque à jouir」と表現される)、ふたたびシニフィアンの主体に向けられ永遠の循環運動を死ぬまで続ける。これがわれわれの人生だ。

こういったこともあり、ヒステリー という語をバカにしちゃいけない。


…………

※付記

基礎構造とはまさに要素なき空箱であり、これを基盤として四つの要素が入るということ。



上の図は最もベースのラジオフォニーから。