その患者は、私が二年ほどみていた女子大生だった。亡くなる前日、このごろ夢が明るくなったのよ、といった。前回、夢が明るくなったのが確実な回復の歩みの始まりだったのを思い出して、私はおろかにも喜んだ。彼女は「今までの着物を脱ぎかえて新しい衣裳にかえて、少しきゅうくつだけど、喜んでいる夢」「花嫁衣裳でまっ白なの」と教えてくれた。翌日、私は白衣につつまれた彼女を見る破目になるのである。このケースは、私には非常な教訓であった。私の師の一人とさえ言ってよいだろう。(中井久夫「治療のジンクスなど」1983年『記憶の肖像』所収)
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本日、書類を整理していたら2003年4月10日に二階堂奥歯(佐々木絢子)さんと会っていた記録が出てきた。その16日後、彼女は自ら命を絶った。あれから15年、急いで駆けつけた斎場に安置された棺のなかの彼女の美しい顔が今でもありありと浮かぶ。
揺るぎない女性性の上で繰り広げられた鋭い感性と豊穣な知性の鬩ぎ合い。出版され、かつ今日でもウェブ上で閲覧可能な彼女の日記は、読む者を現在進行形で圧倒する。
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亡くなる数日前に、わたしの携帯に彼女から電話があり、乗っていた電車から降りて割と長い時間話したが、その内容はうろ覚えであるのと引き替えに、そこが丸ノ内線四ッ谷駅の青空が見えるプラットフォーム上であったことは、今でもありありと記憶のスクリーンに映写される。
わたしのゼミやセミネールにも積極的に参加してくれ、特に2002年11月20日に東京藝術劇場大会議室でおこなわれた四谷シモン・吉田良・藤田博史の特別鼎談では彼女の独自の視線からセミネールの風景写真を多数撮ってくれた。そういえば映画監督押井守さんも聴講者として参加されていた。
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黄金のそばに置かれている隠蔽記憶(スクリーンメモリー)
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その哲学教授の最初の記憶は三歳から四歳にかけての時期にあたるもので、テーブル掛けの掛けられた食卓のイメージが現われ、その上には氷の入った鉢Schale mit Eis befandが載っている。ちょうどその頃、教授の祖母が亡くなっているのだが、両親の言によれば、祖母の死は子供にひどいショックを与えたのであった。しかしその哲学教授は、祖母の死んだ事件については何も知っていない。彼がその時期のことを思い出すのは、ただ氷の入った鉢だけである。…
幼児期のある体験が記憶の中に現れるのは、たとえばそれ自体が黄金であるからというのではなく、それは黄金のそばに置かれているからである。(フロイト『隠蔽記憶について Uber Deckerinnerungen』1899年)
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幼児型記憶と外傷性フラッシュバックの類似性
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外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。(中井久夫「発達的記憶論」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)
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現実界の窓としてのスクリーンメモリー
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幻想は現実界のスクリーン(覆い)だけではない。同時に現実界の窓(現実界の上の窓)である。幻想には二つの価値がある。スクリーンと窓である。
le fantasme n'est pas seulement écran, écran du réel. Il est en même temps fenêtre sur le réel. Et il y a là deux valeurs du fantasme […] entre l'écran et la fenêtre.(J.-A. MILLER, - 2/2/2011 )
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スクリーンはたんに現実界を隠蔽するものではない L'écran n'est pas seulement ce qui cache le réel。スクリーンはたしかに現実界を隠蔽している ce qui cache le réelが、同時に現実界の徴でもある(示している indique)。…我々は隠蔽記憶(スクリーンメモリー souvenir écran)を扱っているだけではなく、幻想fantasmeと呼ばれる何ものかを扱っている。そしてフロイトが表象représentationと呼んだものではなく、フロイトの表象代理 représentant de la représentation を扱わねばならないのである。(ラカン、S13、18 Mai 1966 )
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引力あるいは穴としての原抑圧=表象代理
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表象代理は二項シニフィアンである。この表象代理は、原抑圧の中核を構成する。フロイトは、これを他のすべての抑圧が可能となる引力の核とした。
Le Vorstellungsrepräsentanz, c'est ce signifiant binaire. […] il à constituer le point central de l'Urverdrängung,… comme FREUD l'indique dans sa théorie …le point d'Anziehung, le point d'attrait, par où seront possibles tous les autres refoulements (ラカン、S11、03 Juin 1964)
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私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.]。(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)
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われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧 Verdrängungen は、後期抑圧 Nachdrängen の場合である。それは早期に起こった原抑圧 Urverdrängungen を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力 anziehenden Einfluß をあたえるのである。(フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)
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引力=穴=トラウマ
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現実界は穴=トラウマを為す。[le Réel…ça fait « troumatisme »](ラカン, S21, 19 Février 1974)
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問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている。le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. (ラカン, S23, 13 Avril 1976)
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トラウマの境界表象としての原抑圧≒隠蔽記憶
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(原)抑圧 Verdrängung は、過度に強い対立表象 Gegenvorstellung の構築によってではなく、境界表象 Grenzvorstellung の強化によって起こる。Die Verdrängung geschieht nicht durch Bildung einer überstarken Gegenvorstellung, sondern durch Verstärkung
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境界表象=固着
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フロイトの原抑圧は何よりもまず固着である。…この固着とは、身体的なものが心的なものの領野外に置き残されるということである。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?, 1997)
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フロイトが固着と呼んだものは、…享楽の固着 [une fixation de jouissance]である。(J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique, 26/2/97)
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享楽は身体の出来事である la jouissance est un événement de corps…身体の出来事はトラウマの審級にある。衝撃、不慮の出来事、純粋な偶然の審級に。événement de corps…est de l'ordre du traumatisme, du choc, de la contingence, du pur hasard …身体の出来事は固着の対象 l'objet d'une fixationである。(ジャック=アラン・ミレール J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)
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外傷神経症 traumatischen Neurosen は、外傷的出来事の瞬間への固着 Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles がその根に横たわっていることを明瞭に示している。(フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着 Die Fixierung an das Trauma」1916年)
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固着 Fixierung
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原抑圧と同時に固着が発生し、暗闇に蔓延る異者のようなものが蔓延る
Urverdrängung[…] Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; […]wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen (Freud, 1915)
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幼児期の純粋な出来事的経験は、リビドーの固着を置き残す daß rein zufällige Erlebnisse der Kindheit imstande sind, Fixierungen der Libido zu hinterlassen.(Freud, 1916)
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エスの身体の一部がリアルな無意識としてエスのなかに居残る Teil der Inhalte des Es […] bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. (Freud, 1939)
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固着する瞬間を通した無意識のエスの反復強迫 Das fixierende Moment […]Wiederholungszwang des unbewußten Es (Freud, 1926)
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残存現象としてのリビドー固着の残滓 Resterscheinung […]Reste der Libidofixierung (Freud, 1937)
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たえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状 das Symptom als einen Fremdkörper (Freud, 1926)
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外傷的出来事の瞬間への固着 Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles (Freud, 1916)
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自己身体の上への出来事としてのトラウマへの固着と反復強迫 [Erlebnisse am eigenen Körper …als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang.](Freud, 1939)
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