左千夫いふ柿本人麻呂は必ず肥えたる人にてありしならむ。その歌の大きくして逼らぬ処を見るに決して神経的痩せギスの作とは思はれずと。節いふ余は人麻呂は必ず痩せたる人にてありしならむと思ふ。その歌の悲壮なるを見て知るべしと。けだし左千夫は肥えたる人にして節は痩せたる人なり。他人のことも善き事は自分の身に引き比べて同じやうに思ひなすこと人の常なりと覚ゆ。かく言ひ争へる内左千夫はなほ自説を主張して必ずその肥えたる由を言へるに対して、節は人麻呂は痩せたる人に相違なけれどもその骨格に至りては強く逞しき人ならむと思ふなりといふ。余はこれを聞きて思はず失笑せり。けだし節は肉落ち身痩せたりといへども毎日サンダウの唖鈴を振りて勉めて運動を為すがためにその骨格は発達して腕力は普通の人に勝りて強しとなむ。さればにや人麻呂をもまたかくの如き人ならむと己れに引き合せて想像したるなるべし。人間はどこまでも自己を標準として他に及ぼすものか。(正岡子規『病牀六尺』)
だな、ーー《他人のことも善き事は自分の身に引き比べて同じやうに思ひなすこと人の常なりと覚ゆ》。
こういったっていい。
伊藤左千夫と長塚節の例だったらカワイイもんだけど、ああいった人間の心性に「差別」の起源があるから厄介だな。
万人はいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きている。(中井久夫「統合失調症の精神療法」『徴候・記憶・外傷』所収)
伊藤左千夫と長塚節の例だったらカワイイもんだけど、ああいった人間の心性に「差別」の起源があるから厄介だな。
(デカルトにとって)外国人の習慣や信念は、彼に滑稽で奇矯に見えた。だがそれは、彼が自問するまでだ、我々の習慣や信念も、彼らに同じように見えるのではないか、と。この逆転の成り行きは、文化相対主義に一般化され得ない。そこで言われていることは、もっと根源的なことだ。すなわち、我々は己れを奇矯だと経験することを学ばなければならない。我々の習慣はひどく風変わりで、根拠のないものだ、ということを。
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文化固有の「生活様式」とは、ただたんに、一連の抽象的なーーキリスト教、イスラム教ーーの「価値」で構成されているのではない。そうではなく、日常の振る舞いのぶ厚いネットワークのなかに具現化されている。我々「それ自身」が生活様式だ。それは、我々の第二の特性である。この理由で、直接的「教育」では、それを変えることはできない。何かはるかにラディカルなことが必要なのだ。ブレヒトの「異化」のようなもの、深い実存的経験、我々の慣習や儀式が何と馬鹿げて無意味であり根拠のないものであるかということに、唐突に衝撃を受けるような。…
大切なことは、異人のなかに我々自身を認知することではない。我々自身のなかに異人を認めることだ。寛容という言葉が意味をもつなら、そこから始まる。(ジジェク, What our fear of refugees says about Europe, 29 FEBRUARY 2016)
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さて私が他の人々の行動を観察するのみであった間は、私に確信を与えてくれるものをほとんど見いださず、かつて哲学者たちの意見の間に認めたのとほとんど同じ程度の多様性をそこに認めたことは事実である。したがって、私が人々の行動の観察から得た最大の利益といえば、多くのことがわれわれにとってはきわめて奇矯で滑稽に思われるにもかかわらず、やはりほかの国々の人によって一般に受けいれられ是認されているのを見て、私が先例と習慣とによってのみ確信するに至ったことがらを、あまりに固く信ずべきではない、と知ったことであった。かくて私は、われわれの自然の光(理性)を曇らせ、理性に耳を傾ける能力を減ずるおそれのある、多くの誤りから、少しずつ解放されていったのである。しかしながら、このように世間という書物を研究し、いくらかの経験を獲得しようとつとめて数年を費した後、ある日私は、自分自身をも研究しよう、そして私のとるべき途を選ぶために私の精神の全力を用いよう、と決心した。そしてこのことを、私は、私の祖国を離れ私の書物を離れたおかげで、それらから離れずにいたとした場合よりも、はるかによく果たしえた、と思われる。(デカルト『方法序説』野田又夫訳)
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またその後旅に出て、われわれの考えとは全く反対な考えをもつ人々も、だからといって、みな野蛮で粗野なのではなく、それらの人々の多くは、われわれと同じくらいに或いはわれわれ以上に、理性を用いているのだ、ということを認めた。そして同じ精神をもつ同じ人間が、幼時からフランス人またはドイツ人の間で育てられるとき、かりにずっとシナ人や人喰い人種の間で生活してきたとした場合とは、いかに異なった者になるか、を考え、またわれわれの着物の流行においてさえ、十年前にはわれわれの気に入りまたおそらく十年たたぬうちにもういちどわれわれの気に入ると思われる同じものが、いまは奇妙だ滑稽だと思われることを考えた。そしてけっきょくのところ、われわれに確信を与えているものは、確かな認識であるよりもむしろはるかにより多く習慣であり先例であること、しかもそれにもかかわらず少し発見しにく真理については、それらの発見者が一国民の全体であるよりもただ一人の人であるということのほうがはるかに真実らしく思われるのだから、そういう真理にとっては賛成者の数の多いことはなんら有効な証明ではないのだ、ということを知った。こういう次第で私は、他をおいてこの人の意見をこそとるべきだと思われるような人を選ぶことができず、自分で自分を導くということを、いわば、強いられたのである。(デカルト『方法序説』)
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