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2020年8月9日日曜日

僕ハモーダメニナツテシマツタ

このところ子規を読んだのでーー読んだといっても青空文庫にあるものと後はネット上に落ちている断片だけだがーー、いくらかのメモ。


美の標準は各個の感情に存す。各個の感情は各個別なり。故に美の標準もまた各個別なり。また同一の人にして時に従つて感情相異なるあり。故に同一の人また時に従つて美の標準を異にす。(正岡子規『俳諧大要』1895年)

前略。歌よみのごとく馬鹿なのんきなものはまたと無之候。歌よみのいうことを聞き候えば、和歌ほど善きものは他になき由いつでも誇り申候えども、歌よみは歌よりほかのものは何も知らぬゆえに歌が一番善きように自惚候次第に有之候。
歌を一番善いと申すはもとより理屈もなきことにて一番善い訳は毫も無之候。俳句には俳句の長所あり、支那の詩には支那の詩の長所あり、西洋の詩には西洋の詩の長所あり、戯曲、院本には戯曲、院本の長所あり、その長所はもとより和歌の及ぶところにあらず候。理屈は別としたところで一体歌よみは和歌を一番善いものと考えた上でどうするつもりにや、歌が一番善いものならばどうでもこうでも上手でも下手でも三十一文字並べさえすりゃ天下第一のものであって、秀逸と称せらるる俳句にも漢詩にも洋詩にも優りたるものと思い候ものにや、その量見が聞きたく候。(正岡子規「三たび歌よみに与ふる書」1898年)

俳句と他の文学との音調を比較して優劣あるなし。ただ風詠する事物に因りて音調の適否あるのみ。例へば複雑せる事物は小説または長篇の韻文に適し、単純なる事物は俳句和歌または短篇の韻文に適す。簡樸なるは漢土の詩の長所なり、精緻なるは欧米の詩の長所なり、優柔なるは和歌の長所なり、軽妙なるは俳句の長所なり。しかれども俳句全く簡樸、精緻、優柔を欠くに非ず、他の文学また然り。(…)

一般に俳句と他の文学とを比して優劣あるなし。漢詩を作る者は漢詩を以て最上の文学と為し、和歌を作る者は和歌を以て最上の文学と為し、戯曲小説を好む者は戯曲小説を以て最上の文学と為す。しかれどもこれ一家言のみ。俳句を以て最上の文学と為す者は同じく一家言なりといへども、俳句もまた文学の一部を占めて敢て他の文学に劣るなし。これ概括的標準に照して自ら然るを覚ゆ。(正岡子規『俳諧大要』1895年)





月余の不眠症の為に〇・七五のアダリンを常用しつつ、枕上子規全集第五巻を読めば、俳人子規や歌人子規の外に批評家子規にも敬服すること多し。「歌よみに与ふる書」の論鋒破竹の如きは言ふを待たず。小説戯曲等を論ずるも、今なほ僕等に適切なるものあり。こは独り僕のみならず、佐藤春夫も亦力説する所。(芥川龍之介「病中雑記」大正十五年一月九日)



僕ハモーダメニナツテシマツタ、毎日譯モナク號泣シテ居ルヤウナ次第ダ、ソレダカラ新聞雜誌ヘモ少シモ書カヌ。手紙ハ一切廢止。ソレダカラ御無沙汰シテスマヌ。今夜ハフト思ヒツイテ特別ニ手帋ヲカク。イツカヨコシテクレタ君ノ手紙ハ非常ニ面白カツタ。近來僕ヲ喜バセタ者ノ隨一ダ。僕ガ昔カラ西洋ヲ見タガツテ居タノハ君モ知ツテルダロー。ソレガ病人ニナツテシマツタノダカラ殘念デタマラナイノダガ、君ノ手紙ヲ見テ西洋ヘ往タヤウナ氣ニナツテ愉快デタマラヌ。若シ書ケルナラ僕ノ目ノ明イテル内ニ今一便ヨコシテクレヌカ(無理ナ注文ダガ)(子規書簡、漱石宛、明治卅四年十一月六日)




小生の病気は単に病気が不治の病なるのみならず病気の時期が既に末期に属し最早如何なる名法も如何なる妙薬も施すの余地無之神様の御力もあるいは難及かと存居候。(正岡子規、明治三十五年四月二十一日『墨汁一滴』より)
夕顔の棚つくらんと思へども秋待ちがてぬ我いのちかも (五月四日)

病床に寝て、身動きの出来る間は、敢て病気を辛しとも思はず、平気で寝転んで居つたが、この頃のやうに、身動きが出来なくなつては、精神の煩悶を起して、殆ど毎日気違のやうな苦しみをする。この苦しみを受けまいと思ふて、色々に工夫して、あるいは動かぬ体を無理に動かして見る。いよいよ煩悶する。頭がムシヤムシヤとなる。もはやたまらんので、こらへにこらへた袋の緒は切れて、遂に破裂する。もうかうなると駄目である。絶叫。号泣。ますます絶叫する、ますます号泣する。その苦その痛何とも形容することは出来ない。むしろ真の狂人となつてしまへば楽であらうと思ふけれどそれも出来ぬ。もし死ぬることが出来ればそれは何よりも望むところである、しかし死ぬることも出来ねば殺してくれるものもない。一日の苦しみは夜に入つてやうやう減じ僅かに眠気さした時にはその日の苦痛が終ると共にはや翌朝寝起の苦痛が思ひやられる。寝起ほど苦しい時はないのである。誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか、誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか。(六月二十日、正岡子規『病牀六尺』)




病気になつてから既に七年にもなるが、初めのうちはさほど苦しいとも思はなかつた。肉体的に苦痛を感ずる事は病気の勢ひによつて時々起るが、それは苦痛の薄らぐと共に忘れたやうになつてしまふて、何も跡をとどめない。精神的に煩悶して気違ひにでもなりたく思ふやうになつたのは、去年からの事である。(七月十六日、正岡子規『病牀六尺』)

啓。子規病状は毎度御恵送のほとゝぎすにて承知致候処、終穏の模様逐一御報被下奉謝候。小生出発の当時より生きて面会致す事は到底叶ひ申間敷と存候。是は双方とも同じ様な心持にて別れ候事故今更驚きは不致。只々気の毒と申より外なく候。但しかゝる病苦になやみ候よりも早く往生致す方或は本人の幸福かと存候。(漱石書簡、高浜虚子宛、明治三十五年十二月一日付)



時は午後八時頃、体温は卅八度五分位、腹も背も臀も皆痛む、 
アッ苦しいナ、痛いナ、アーアー人を馬鹿にして居るじゃないか、馬鹿、畜生、アッ痛、アッ痛、痛イ痛イ、寝返りしても痛いどころか、じっとして居ても痛いや。 アーアーいやになってしまう。もうだめかな。もういかんや。ほんとうに人を馬鹿にしとる。いやになっちまうな。いやになりんすだ。いやだいやだも………だっていやがらア。(正岡子規「煩悶」未完)