生涯を通して作曲した歌曲は初期からこよなく美しい。ここではみなさんがよくご存知の「夢のあとに」を掲げよう。
ああなんというバーバラ! 世界に彼女以上のフォレ歌いがいるはずない。シツレイながら、愛とは排他的なのである。
だいたいフォレより、ブラームスやシューマン、ラヴェルの室内楽のほうを好むという連中ーーこれがクラッシック演奏の歴史だがーー、彼らは単純に耳が悪いのである。音楽家とは耳が悪い者の集まりではないか、人はそう疑わねばならない。カザルスでさえ前期フォレの室内楽演奏の録音しか残っていない。もっとも「鳥の歌」を歌ったカザルスを貶すつもりは毛ほどもない。おそらく後期フォレを演奏するためのよい仲間が見つからなかっただけであろう。
音楽家とはおおむね、鳥の耳を殺し聾になる訓練を受けた者である。
かつて音楽は、まず人々の―特に作曲家の頭の中に存在すると考えられていた。音楽を書けば、聴覚を通して知覚される以前にそれを聞くことができると考えられていたんです。私は反対に、音が発せられる以前にはなにも聞こえないと考えています。ソルフェージュはまさに、音が発せられる以前に音を聞き取るようにする訓練なのです……。この訓練を受けると、人間は聾になるだけです。他のあれこれとかの音ではなく、決まったこの音あの音だけを受け入れられるよう訓練される。ソルフェージュを練習することは、まわりにある音は貧しいものだと先験的に決めてしまうことです。ですから〈具体音の〉ソルフェージュはありえない。あらゆるソルフェージュは必然的に、定義からして〈抽象的〉ですよ……。(ジョン・ケージ『小鳥たちのために』)
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フォレの音楽が嫌いな人がいるだろうか?
こう、正面きってきかれれば、誰も嫌いだとは言いにくいのではあるまいか。しかし、それが彼の場合、微妙に働くのであって、誰も嫌いではないが、しかし、では情熱的に愛するのか? あるいは非常に高く評価するのか? と重ねてきかれると、躊躇してしまうというところがありはしまいか?
誰も彼を嫌う人はいない、さればといって、本気で打ちこんで愛しているんのかと問いつめられると、また、即座にウィと答えられる人はごく少なく、むしろほかの音楽家たちのあとまわしにされてしまうのではないか。それだけに少数の熱愛者の熱は、ますます高くなるというのも事実だが。
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私はまちがっているかも知れない。そうでないとすれば、私には何故フォレがこんなにたまにしか演奏会でとりあげられないか、よくわからないのである。
というのも、私の考えでは、フォレの音楽はーーその全部ではないとしても、その中のあるものはーー近代ヨーロッパ音楽の最良のものに属するからである。
私は、彼の音楽を愛し、かつ、それを非常に、非常に高く評価する。
これは非常に質の高い音楽である。ショパンやシューマン、乃至はハイドンやブラームスの音楽と、優に肩を並べておかれるにたる音楽である。
それから、これは非常に独自の価値をもつ存在である。その点で、彼の音楽は、同じように完壁な書法で書かれている音楽といっても、たとえばサン= サーンスとか、もしかしたら、ラヴェルとかの音楽より、もっと貴重な芸術といってよいだろう。
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どうして、私がこう考えるか。それがうまく書けると良いのだが。そうして私のこの小論を読む人が、ではフォレをもう一度きき直してみようかという気になって下されば、うれしいのだが……
とにかく、彼がそれに値するだけ、充分に強く愛されておらず、充分に正しく評価されていないとしたら、それは、彼の良い点、彼の最高の美徳が、多くの人々の好みとどういう関係に立っているのかということを、考えてみる必要があるだろう。
みんなは、彼が嫌いではないのだから。
つまり、ここには、彼の一部とだけつきあっているかぎりは、みんな、彼を好ましく思い、よろこんできくのだが、彼が本当の彼になり、より高いところに達した時は、みんなには何かが気に食わなくなる。あるいはみんなの耳に届きにくいメッセージを告げるようになったという事情があるかも知れないのだ。(吉田秀和「フォレ《ピアノと絃のための五重奏曲第二番》」『私の好きな曲』所収、1977年)
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現在はむかしほどではないが、まだまだブラームスやらシューマンやらと言っている耳の悪い音楽家が多すぎる。
そもそも現在のクラッシック界自体、耳の悪い者が作曲し耳の悪い演奏家がそれを取り上げる。こういった環境にますます突入している。わずかな例外があるだけである。
ごく最近Jean HubeauとVia Novaの演奏がまとめてYoutubeにアップされているが、これはとてもいい(個別には、他のもののほうがよいなと感じる箇所がないではないが)。
まず冒頭のピアノ五重奏op89を聴いて魅せられないヒトがいるなら、私はその人とまったくオトモダチになれない。こんな青春の香気あふれる曲を還暦過ぎに書いたとは! フォレのマラは青春のままだったのだろうか? それとも晩年のヴァレリーが「女狂い」に陥ったようにフォレ狂いになったのだろうか?
フォレといえば、どんな人もまず思い浮べるのは、和声の流れの独特なおもしろさだろう。事実彼の和声には自然な動きと予断を許さぬ不意打との全く天才的な結合、交錯がある。それを味わうのは、私たちには、本当につきることのない感覚の愉楽であり、音楽的思考の喜びである。私には、これが、音で考える力をつける訓練の最も楽しい課題の一つだった時期もある。
その上に、彼の音楽には、対位法的な思考の高い発明力の証拠とでも呼びたいような動きがある。この点ではこのかつてパリ国立音楽院の院長の椅子は、ベートーヴェンよりも、ライプツィヒのトマス教会のカントールのそばにおかれる方が正しいのだろう。
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私はまた、彼の旋律、あの普通なら音楽のいちばん外側にあって、誰にでもすぐ目につく、わかりやすいものとされている彼の旋律がかけまわったり、踊ったり、あるいは威厳のあるゆったりした歩みで、あるいは慎しやかな小さな歩幅で進んでゆくのに接しているうち、実はそこにひどく精妙な工夫のあるのに気がつくのである。これはちょうど彼の和声が漠然ときいていると、ごく自然で素直な流れをつくっているようだが、実は、決して、そう一口にいえないようなもので、彼の旋律にも思いがけない変化があり、陥穴がある。それは小さな焔のように魅惑的な不規則さにみちているのであって、その正体は、一度や二度きいたぐらいではよくわからないことが少くない。彼のは霊妙な変様をもった旋律たちなのである。(吉田秀和 「フォレ《ピアノと絃のための五重奏曲第二番》」『私の好きな曲』所収、1977年)
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真のフォレであるピアノ五重奏op 115や弦楽四重奏op 121に魅せられない人は許容してもよい。吉田秀和でさえ《一度や二度きいたぐらいではよくわからないことが少くない》と言ってるぐらいだから。吉田秀和はいくらか聾になる訓練を受けた人だからやむえない。あの後期フォレを最初は「みにくい女たちのようにしか見えなかった」のであろう。
この音楽のなかで、くらがりにうごめくはっきりしない幼虫 larves obscures alors indistinctes のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた。そのなかのある楽節はうちとけた女の友人たちにそっくりだった、はじめはそういう女たちに似ていることが私にはほとんど見わけられなかった、せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった、ところが、たとえば最初虫の好かなかった相手でも、いったん気持が通じたとなると、思いも設けなかった友人を発見したような気にわれわれがなる、そんな相手に似ているのであった。このような二つの状態のあいだに起きたのは、まぎれもない質の変化ということだった。それとはべつに、いくつかの楽節によっては、はじめからその存在ははっきりしていたが、そのときはどう理解していいかわからなかったのに、いまはどういう種類の楽節であるかが私に判明するのであった……(プルースト「囚われの女」井上究一郎訳)
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■Piano Quintet #1 In D minor, Op. 89
I.Molto Moderato (00:00)
II.Adagio (11:17)
III.Allegretto Moderato (21:18)
■Piano Quintet #2 In C minor, Op. 115
I.Allegro Moderato (28:33)
I.Allegro Moderato (28:33)
II.Allegro Vivo (39:08)
III.Andante Moderato (43:00)
IV.Allegro Molto (53:50)
■Quartet for piano, violin, viola & cello #1 in C minor, Op. 15
I.Allegro molto moderato (59:39)
II.Scherzo (1:08:49)
III.Adagio (1:14:28)
IV.Allegro molto (1:22:14)
■ Quartet for piano, violin, viola & cello #2 in G minor, Op. 45
I.Allegro molto moderato (1:30:30)
II.Allegro molto (1:41:07)
III.Adagio non troppo (1:44:29)
IV.Allegro molto (1:55:42)
■Trio in D minor, Op. 120
I.Allegro ma non troppo (2:04:44)
II.Andantino (2:10:59)
III.Allegro vivo (2:20:00)
■String Quartet in E minor, Op. 121
I.Allegro moderato (2:24:58)
II.Andante (2:31:35)
III.Allegro (2:41:51)
Piano : Jean Hubeau Quatuor Via Nova Violin : Jean Mouillère, Hervé Le Floch Viola : Gérard Caussé Cello : René Benedetti Recorded in 1969-70, at Paris
プルーストのヴァントゥイユはサン= サーンスがモデルという人がいるが錯誤である。フォレにきまっている。繰り返せば、愛とは排他的なものである。
ああ、プルーストの耳をもつ音楽家がひとりでも多く増えることを願うばかりである。
プルーストのヴァントゥイユはサン= サーンスがモデルという人がいるが錯誤である。フォレにきまっている。繰り返せば、愛とは排他的なものである。
最後の部分がはじまるところでスワンがきいた、ピアノとヴァイオリンの美しい対話! 人間の言語を除去したこの対話は、隅々まで幻想にゆだねられていると思われるのに、かえってそこからは幻想が排除されていた、話される言語は、けっしてこれほど頑強に必然性をおし通すことはなかったし、こんなにまで間の適切さ、答の明白さをもつことはなかった。最初に孤独なピアノが、妻の鳥に見すてられた小鳥のようになげいた、ヴァイオリンがそれをきいて、隣の木からのように答えた。それは世界のはじまりにいるようであり、地上にはまだ彼ら二人だけしかいなかったかのようであった、というよりも、創造主の論理によってつくられ、他のすべてのものにはとざされたその世界――このソナタ――には、永久に彼ら二人だけしかいないだろうと思われた。それは一羽の小鳥なのか、小楽節のまだ完成していない魂なのか、一人の妖精なのか、その存在が目には見えないで、なげいていて、そのなげきをピアノがすぐにやさしくくりかえしていたのであろうか? そのさけびはあまりに突然にあげられるので、ヴァイオリン奏者は、それを受けとめるためにすばやく弓にとびつかなくてはならなかった。すばらしい小鳥よ! ヴァイオリン奏者はその小鳥を魔法にかけ、手なずけ、うまくつかまえようとしているように思われた。すでにその小鳥はヴァイオリン奏者の魂のなかにとびこんでいた。すでに呼びよせられた小楽節は、ヴァイオリン奏者の完全に霊にとりつかれた肉体を、まるで霊媒のそれのようにゆり動かしていた。スワンは小楽節がいま一度話しかけようとしているのを知るのであった。(プルースト「スワン家のほうへ」井上究一郎訳)
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そのまえの年、ある夜会で、彼はピアノとヴァイオリンとで演奏されたある作曲をきいたことがあった。最初彼はただ楽器からにじみでる音の物質的な性質だけしかたのしもなかった。それからヴァイオリンの、ほそくて、手ごたえのある、密度の高い、統率的な、小さな線の下から、突如としてピアノの部分の大量の音が、ざわめきながらわきたち、月光に魅惑される変記号に転調された波のモーヴ色の大ゆれのように、さまざまな形をとり、うちつづき、平にのび、ぶつかりあって、高まってこようとしているのを見たとき、それだけでもう彼は大きな快楽にひたったのであった。しかし、そのうちふとある瞬間から、スワンは、輪郭をはっきり識別することも、彼に快感をあたえているものをそれと名ざすこともできないままに、突如として魅惑された状態で、たそがれどきのしっとりした空気にただようばらの匂が鼻孔をふくらませるように、通りすがりに彼の魂を異様に大きくひらいたあの楽節かハーモニーかをーーそれが何であるかを彼自身も知らなかったがーー心のなかでまとめてみようとつとめたのだった。(……)
その楽節は、ゆるやかなリズムで、スワンをみちびき、はじめはここに、つぎはかしこに、さらにまた他のところにと、気高い、理解を越えた、そして明確な、幸福のほうに進んでいった。そしてその未知の楽節がある地点に達し、しばし休止ののち、彼がそこからその楽節についてゆこうと身構をしていたとき、突然、楽節は方向を急変し、一段と急テンポな、こまかい、憂鬱な、とぎれない、やさしい、あらたな動きで、彼を未知の遠景のかなたに連れさっていった。それから、その楽節は消えた。彼は三度目にその楽節にめぐりあいたちとはげしく望んだ。すると、はたして、その楽節がまたその姿をあらわしたが、こんどはまえほどはっきりと話しかけてくれなかったし、まえほど深い官能をわきたたせはしなかった。しかし、彼は家に帰ると、またその楽節が必要になった、あたかも彼は、行きずりにちらと目にしたある女によって生活のなかに新しい美を映像をきざみこまれた男のようであり、その名さえ知らないのにもうその女に恋をし、ふたたびめぐりあうてだてもないのに、その女の新しい美の映像がその男の感受性にこれまでにない大きな価値をもたらす場合に似ていた。(プルースト 「スワン家のほうへ」)
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ああ、プルーストの耳をもつ音楽家がひとりでも多く増えることを願うばかりである。
「美しいでしょう、このヴァントゥイユのソナタは?」とスワンが私にいった。「木々の下に夕闇がたちこめ、ヴァイオリンのアルペジオが涼気をしたたらせえる時刻。どうです、じつにきれいでしょう。そこには月光の静止した面が遺憾なくあらわれていますが、それこそ月光の本質的な面なのです。(……)なにしろ月光は木の葉のそよぎをとめるくらいですから。この小楽節にたくみに描かれているのは、そうです、恍惚たる失神に陥ったボワ・ド・ブローニュなのです。浜辺ならば印象はもっと強烈でしょう。見わたすかぎりほかには動くものがないだけに、おのずから月に答える波のかすかなひびきがはっきりきけようというものです。」
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(……)彼の他の語り口から察して、私が知ったのは、彼のいう夜の葉ごもりとは、パリ周辺の多くのレストランで、そのしげみのかげに彼が何度も宵にこの小楽節をきいたあの葉ごもりをさすにすぎなかった。かつてあんなにたびたびスワンが小楽節に求めた深い意味のかわりに、現在それが彼に思いうかべさせるものは、一つは小楽節の周囲をめぐって立ちならびこんもりとしげりあって描きだされるそうした葉ごもりであり(しかも小楽節は彼にそのような葉ごもりをもう一度見たい欲望を抱かせたのである。なぜなら小楽節は、まるで魂のように、そのような葉ごもりのなかに秘められた自我であるように彼には思われたから)、もう一つは、その当時熱狂と悲嘆のあまり安定を失って十分たのしむことができなかったもの、そして(病人のたべられない好物を家族がしまっておいてくれるように)小楽節が彼のためにとっておいてくれたもの、あの春の全体なのであった。ボワの宵に何度か彼に感じさせ、ヴァントゥイユのソナタがいま思いおこさせるあの魅力、それについては、小楽節とおなじようにそのころの彼の道づれであったオデットに、もはやききただすことはできなかったであろう。オデットはただ彼のそばにいたというだけであったから(ヴァントゥイユのモチーフのように彼に内在していたのではなかったから)。
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(…)われわれのすべてにとって(すくなくともこの法則は例外をゆるさない、と私は長いあいだに信じるようになったのである)、自我のそとにとりだして見せることができないものを、オデットが見通すということはできなかったであろう。(…)
「この音色は水か鏡のように光を反映することができるのです。それに気がついてみると、ヴァントゥイユの楽節から私に見えてくるのは、あのころ私が心を向けなかったものばかりなのです。当時の私の気苦労や愛情の数々を、もはやすこしも思い出せないのです、あの楽節は思い出の内容を交換したのですね」(プルースト『花咲く乙女たちのかげに』)
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