何度か示しているが、ラカンのセミネール7には「左翼インテリと右翼インテリは、道化と悪党だ (l'intellectuel de gauche et de l'intellectuel de droite.[…] foolerie et knaverie)]」という話がある。長々と語っているので、ジジェクを引こう。
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『精神分析の倫理』のセミナールにおいてラカンは、「悪党 knaverie」と「道化 foolerie」という二つの知的姿勢を対比させている。右翼知識人は悪党で、既存の秩序はただそれが存在しているがゆえに優れていると考える体制順応者である。…Q左翼知識人は道化であり、既存秩序の虚偽を人前で暴くが、自分のことばのパフォーマティヴな有効性は宙ぶらりんにしておく「宮廷道化師 court jester」である。(ジジェク「場を保つ 」『偶発性・ヘゲモニー・普遍性』所収、2000年)
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このヴァリエーションとして、何人かの経済学者がかつてよく示した二宮尊徳の言葉ーー実際は要約だがーーがある。
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道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。(二宮尊徳)
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ここでは日本政治史の経済的アスペクトのみに限って言うが、少なくともこの30年あまりのあいだこれが実態ではないか。すなわち「道徳なき経済の悪党/経済なき道徳の道化」。
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例えばーー私はとても印象に残っているのだがーー、大蔵大臣、通産大臣、外務大臣、副総理などを歴任した「ミッチー」こと渡辺美智雄は、1986年に小泉純一郎の大蔵委員会にもとで、こう言った。
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「二十一世紀は灰色の世界、なぜならば、働かない老人がいっぱいいつまでも生きておって、稼ぐことのできない人が、税金を使う話をする資格がないの、最初から」、こう言ったわけであります。渡辺通産大臣は、それ以外にも、八三年の十一月二十四日には、「乳牛は乳が出なくなったら屠殺場へ送る。豚は八カ月たったら殺す。人間も、働けなくなったら死んでいただくと大蔵省は大変助かる。経済的に言えば一番効率がいい」、こう言っておられます。(第104回国会 大蔵委員会 第7号 昭和六十一年三月六日(木曜日) 委員長 小泉純一郎君……)
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これは明らかに右翼としての「悪党の道徳なき経済の悪党」の言葉でありつつ、現在から見れば、消費税導入の布石としての言葉でもある。これに対して左翼としての「経済なき道徳の道化」は消費税導入に反対し続け、それによって大衆の票を獲得する戦術をとってきた。
私が「インテリという名の「知的障害者たち」」等で、リベラル左翼を強く批判するのは、きみたち、いくらなんでも「経済なき道徳の道化」はもうやめろ!と言いたいためである。きみたちの「おかげ」もあって、こんなになってしまったのだから。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本人に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と、思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない。(渡辺一夫『敗戦日記』1945 年 3 月 15 日) 10年に1度の財務次官と呼ばれた武藤敏郎はこう言っている。 最後に申し上げたいのは、日本の場合、低福祉・低負担や高福祉・高負担という選択肢はなく、中福祉・高負担しかありえないことです。それに異論があるなら、 公的保険を小さくして自己負担を増やしていくか、産業化するといった全く違う発想が必要になるでしょう。 (基調講演—財政と社会保障 武藤敏郎氏 株式会社大和総研理事長ーー日本シンクタンク協議会 2016年度冬季セミナー抄録、pdf)
この世界一の少子高齢化社会の現実ーー全体としてみれば「負担増福祉減」のやむなき近未来ーーを受け入れた上で初めて、リベラル左翼諸君は「道徳なき経済の悪党」を「道化なしで」叩きうる。
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