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2020年8月29日土曜日

インテリという名の「知的障害者たち」

正確な引用ではないようだが、岩井克人は8年前、《日本のリベラルは増税と財政規模拡大に反対する。世界にない現象で不思議だ。高齢化という条件を選び取った財政拡大を。》(岩井克人『月刊マスコミ市民』2012年7月号)という意味合いのことを言っている。さらにこうもある、《消費税問題は、日本経済の形を決めるビジョンの問題。北欧型=高賃金、高福祉、高生産性か。英米型=低賃金、自助努力、労働者の生産性期待せずか。日本は岐路にある。》

日本における代表的なケインジアン岩井克人の言っていることをそのまま受け入れる必要はまったくないが、日本のリベラル左翼の範疇に属するインテリの多くは、消費税増に反対するという極めて特異な習性をもっているようだ。これはまことに不思議な現象である。




たまたま「とてもわかりやすい」佐々木中のツイートを拾ったので掲げるが、安倍政権の不祥事の最初に「消費税2度の引き上げ」を提示している。もちろんこういったことを言ってしまう「インテリ」は彼だけではなく数多いる。文学者、批評家や評論家だけでなく、政治学者、社会学者等に(私はその多くを知らないが、フランス文学者内田樹がRTして拡散している映画監督想田和弘、歴史家山崎雅弘、映画評論家町山智浩など、あるいは思想家・作家佐々木中が同様にしばしばRTしている政治学者五野井郁夫、弁護士渡辺輝人など)。 



なぜこういうことを言ってしまうのか。安倍は数々の不祥事をなしたが、唯一「消費税2度の引き上げ」は彼の功績だというのならまだわかる。

これも9年前のトム・ピケティの発言だが、驚くべき政府債務の雪だるま式増加にいくらの歯止めをかけるのは、事実上、消費税増しかないのではないだろうか。

われわれは日本の政府債務をGDP比や絶対額で毎日のように目にして驚いているのだが、これらは日本人にとって何の意味も持たないのか、それとも数字が発表されるたびに、みな大急ぎで目を逸らしてしまうのだろうか。
Tous ces chiffres exprimés en pourcentages de PIB ou en milliers de milliards - dont on nous abreuve quotidiennement - ont-ils un sens, ou bien doit-on tourner la page dès qu’ils réapparaissent ? (トム・ピケティ『新・資本論』2011年ーーJapon : richesse privée, dettes publiques Par Thomas Piketty avril 2011)


なぜあの連中はここから目を逸らしてばかりいるのか。




まことに日本のインテリには踏み絵が必要である ➡︎ 「踏み絵のすすめ」。

私には彼らは「知的障害者」にしか見えない。少なくとも経済知障害者である。彼らがかりに経済専門家に触れることがあっても自らの思い込みに合致するらしいヘボ経済学者や評論家に依拠するにすぎず、「真なる問い」を外している者たちばかりに耳を傾けているように見える。聞きたいことのみを信じるのである。

聞きたいことは信じやすいのです。はっきり言われていなくても、自分が聞きたいと思っていたことを誰かが言えばそれを聞こうとするし、しかも、それを信じやすいのです。聞きたくないと思っている話はなるべく避けて聞こうとしません。あるいは、耳に入ってきてもそれを信じないという形で反応します。(加藤周一「第2の戦前・今日」2004年)


「真なる問い」とは何か。世界一の少子高齢化社会日本においてなぜこの国民負担率でやっていけるのかである。国政的にはそれしかない(参照:中福祉低負担国日本)。






少なくとも日本において国民負担率は60パーセントにしなくてはにっちもさっちもいかない。そんなことは20年前からわかっていた。なぜ彼らにはこの知がないのか、なぜ彼らにはこの問いがないのか。

これまでの社会保障政策を長期的に振り返ると、引退世代の人数が増える分以上に現役世代の負担率を上昇させながら、引退世代の生活水準を向上させてきた。引退後の生活に余裕と潤いがあるのは素晴らしいことだが、「超」がつく少子高齢化の下では、現役世代 1 人当たりで支えなければならない引退世代の人数が急速に増えるから、引退世代の生活水準を維持するだけでも現役世代の負担が大きく増えていく。そうなれば、これまでのように引退世代の生活水準を向上させることは難しくなる。 (中略)

日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。引退世代向けに偏重した社会保障制度をもっと効率化し、一定の負担増を求める必要性は、経常収支が赤字か黒字かとは関係がない。 (大和総研「超高齢日本の 30 年展望  持続可能な社会保障システムを目指し挑戦する日本―未来への責任 」理事長 武藤敏郎 監修 、2013 年5 月 14 日)



なぜ次のようなどこにでも転がっている数字をみて、そのとき消費税増に反対することは何を意味するのかを真正面から考えないのか。










負担増や福祉減がいやなら生産性を上げるしかない。単なる経済成長ではダメである。それでは費用も増えてしまい、さらに経済成長に伴って金利が上がれば現在の巨額債務を抱えた日本財政において逆効果になる可能性が高い。

負担増福祉減生産性上昇の三つとも不可能なら、事実上の増税であるインフレ、太平洋戦争後のようなハイパーインフレにして借金をチャラにする他ない。




なぜこういった問いが全くない「あの連中」は、それにもかかわらずインテリ面してツイッター上で説教を垂れているのか。

知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本人に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と、思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない。(渡辺一夫『敗戦日記』1945 年 3 月 15 日)

あの連中は「知的障害者」として取り扱って諦めて静観する他ないのだろうか。

話を戻そう。かりにハイパーインフレ等でかりに国家債務をチャラにすることができても、現在の人口予測では、移民を1000万人単位で増やさないかぎりほとんどマンツーマンで労働人口は高齢人口を支えなければならない時代が続く。



なぜ連中はこの事態に正面から向き合わないのか。日本の政治的課題の核はこれ以外にあるとでも言うのか。

ここではコロナ禍によるさらなる債務の増大には敢えて触れなかったが単年度の数字を示す図表だけ掲げておこう。





…………

最後に(いくらかくどくなるが)「経済知障害者」には無理かも知れないが、高校生程度の「素直な」頭脳を持っていれば即座におわかりになるに違いない色付きの図も掲げておこう。




(これからの日本のために 財政を考える 令和元年10月」PDF


注意しなくてはならないのは、ナイーヴなインテリが繰り言のように言う「失われた20年(30年)」ーー、だがそのあいだの日本の生産年齢人口一人当たり実質GDP はマクロ的には他国に比べて遜色なく(下図中央)、実質GDPの増加率が他国に比べて劣っているのは(下図左)、生産年齢人口減少のせいだということである。