私はもはや自分が抱いている女の目を見ず、その頭、腕、足を泳いでわたり、女の目の奥に、まだ究めつくされていない地帯が、未来の世界がひらけるのを見た。そしてこの世界には何の論理もないのだった。…場の諸点の集中に慣れている目は、いまや時の諸点に集中するのだ。…現在に再会するなら、壁と窓を閉じねばならない、失われた身体の最後の殻を。…私は壁を粉微塵にした。…私の目は何の役にも立たない。既知のものの像しか映さないからだ。私の全身はたえまない光線となり、ためらいも回帰も弱さも知らず、つねに大きくなる速度によって飛びつづけなければならない。…だから私は、耳も目も口もふさぐのだ。
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I no longer look into the eyes of the woman I hold in my arms but I swim through, head and arms and legs, and I see that behind the sockets of the eyes there is a region unexplored, the world of futurity, and here there is no logic whatsoever. . . . The eye, accustomed to concentration on points in space, now concentrates on points in time. . . . I must shatter the walls and windows, the last shell of the lost body, if I am to rejoin the present. . . . . I have broken the wall. . ..My eyes are useless, for they render back only the image of the known. My whole body must become a constant beam of light, moving with an ever greater rapidity, never arrested, never looking back, never dwindling. ... Therefore I close my ears, my eyes, my mouth.(ヘンリー・ミラー『南回帰線』1939年)
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今記憶で書くが、ヘンリー・ミラーはプルーストを崇拝するぐらい愛していた。文庫本が手元にあるはずだが『北回帰線』しか見出せない。
次の文はロラン・バルトが『明るい部屋』で引用しているプルーストである。
ある人の写真をまえにしてその人を思いだそうとするのは、その人のことを思うだけでがまんしているときよりも、かえってうまく行かない。 ces photographies d'un être devant lesquelles on se le rappelle moins bien qu'en se contentant de penser à lui. (プルースト「見出された時」井上究一郎訳 p 348)
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目をとじること。そうしてバルトは、プンクトゥム としての、時のノエマとしての、傷としての、「温室の写真」にめぐりあった。
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そのようにして、彼らの過去は、役に立たないままに残された無数のネガ写真の原板innombrables clichés でいっぱいになっている、なぜなら、理知はそれらを「現像し」なかったからだ。われわれ自身の生活もそのようなものだし、その他の人々の生活も同様である、それが役に立たないというのも、現像されないからで、現像力、すなわち作家にとっての文体(スタイル)は、画家にとっての色彩と同様に、技術の問題ではなくて、視像(ヴィジョン)の間題なのである。文体とは、この世界がわれわれ各人にいかに見えるかというその見えかたの質的差異を啓示すること、芸術が存在しなければ各人の永遠の秘密におわってしまうであろうその差異を啓示することなのである、しかし、直接的、意識的方法をもってすれば、その啓示は不可能となるであろう。芸術によってのみわれわれは自分自身から出ることができる、そして他人がこの宇宙をどう見ているかを知ることができる、その宇宙は、われわれの宇宙とはおなじものではなく、その風景も、月世界にありうる風景のように、われわれには未知のままであるだろう。
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芸術のおかげで、われわれが見るのは、ただ一つの世界、われわれだけの世界ではなくて、多数化された世界であって、われわれは独創的な芸術家が存在するだけそれだけ多くの世界を意のままにもつことができる。それらの世界は、無限のなかを回転する多くの世界よりももっと相互に異なる世界であり、そこから発せられていた光の源、たとえそれがレンプラントと呼ばれるにせよ、フェルメールと呼ばれるにせよ、その光の源が消えてしまってから何世紀ののちまでも、なおそれらの世界は、その特殊の光線をわれわれのもとに送ってくるのである。(プルースト『見出された時』p365-366、井上究一郎訳、一箇所変更、「相違」→「差異」)
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Et ainsi leur passé est encombré d'innombrables clichés qui restent inutiles parce que l'intelligence ne les a pas « développés ». Ressaisir notre vie ; et aussi la vie des autres ; car le style, pour l'écrivain aussi bien que pour le peintre, est une question non de technique, mais de vision. Il est la révélation, qui serait impossible par des moyens directs et conscients, de la différence qualitative qu'il y a dans la façon dont nous apparaît le monde, différence qui, s'il n'y avait pas l'art, resterait le secret éternel de chacun. Par l'art seulement, nous pouvons sortir de nous, savoir ce que voit un autre de cet univers qui n'est pas le même que le nôtre et dont les paysages nous seraient restés aussi inconnus que ceux qu'il peut y avoir dans la lune. Grâce à l'art, au lieu de voir un seul monde, le nôtre, nous le voyons se multiplier, et autant qu'il y a d'artistes originaux, autant nous avons de mondes à notre disposition, plus différents les uns des autres que ceux qui roulent dans l'infini, et qui bien des siècles après qu'est éteint le foyer dont ils émanaient, qu'il s'appelât Rembrandt ou Ver Meer, nous envoient leur rayon spécial.
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