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2020年9月21日月曜日

愛も欲望も享楽の穴の穴埋め

わからんかな、それなりに懇切丁寧に記したつもりだが。



装置が作動するための剰余享楽の必要性がある。つまり享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として、示される。[la nécessité du plus-de-jouir pour que la machine tourne, la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](ラカン, Radiophonie, AE434, 1970)
ラカンは享楽と剰余享楽 [la jouissance du plus-de-jouir]を区別した。…空胞化された、穴としての享楽と、剰余享楽としての享楽[la jouissance comme évacuée, comme trou, et la jouissance du plus-de-jouir]である。…対象aは穴と穴埋め [le trou et le bouchon]なのでる。(J.-A. Miller, Extimité, 16 avril 1986)

誰にでも穴埋めはある。原初であれば、乳幼児の身体から湧き起こる欲動蠢動(穴としての享楽)を飼い馴らす母による刻印がある。これが原穴埋めだ。その後の人生でも同様の機制がある。でもどの場合も穴埋めは完全にはなされず、残滓がある。この残滓が、フロイトがリビドー固着の残滓と呼んだものであり、かつ異物(異者としての身体Fremdkörper)だ。


発達や変化に関して、残存現象 Resterscheinungen、つまり前段階の現象が部分的に置き残される Zurückbleiben という事態は、ほとんど常に認められるところである。…いつでも以前のリビドー体制が新しいリビドー体制と並んで存続しつづける。…最終的に形成されおわったものの中にも、なお以前のリビドー固着の残滓 Reste der früheren Libidofixierungenが保たれていることもありうる。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)
自我にとって、エスの欲動蠢動 Triebregung des Esは、いわば治外法権 Exterritorialität にある。われわれはこのエスの欲動蠢動を、異物ーーたえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状 das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen ーーと呼んでいる。(フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年)

この残存現象は、初期フロイトが《遡及性によって引き起こされるリビドー[daß die durch Nachträglichkeit erwachende Libido ]》(フリース宛書簡 Freud, Briefe an Wilhelm Fließ, 14. 11. 97)とした現象と等価。



愛も欲望も享楽の穴の穴埋めだよ。でも必ずリビドーの残滓(享楽の残滓)がある。異者としての身体という残存物がある。




享楽は、残滓 (а)  を通している。la jouissance[…]par ce reste : (а)  (ラカン, S10, 13 Mars 1963)
異者は、残存物、小さな残滓である。L'étrange, c'est que FREUD[…] c'est-à-dire le déchet, le petit reste,    (Lacan, S10, 23 Janvier 1963)
異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である。corps étranger,[…] le (a) dont il s'agit,[…] absolument étranger (Lacan, S10, 30 Janvier 1963)
現実界のなかの異物概念は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある。une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance (J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6  -16/06/2004)


この残滓、この異者が不気味な反復強迫(死の欲動)を引き起こす。

異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである。…étrange au sens proprement freudien : unheimlich (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)
心的無意識のうちには、欲動蠢動 Triebregungen から生ずる反復強迫Wiederholungszwanges の支配が認められる。これはおそらく欲動の性質にとって生得的な、快原理を超越 über das Lustprinzip するほど強いものであり、心的生活の或る相にデモーニッシュな性格を与える。この内的反復強迫 inneren Wiederholungszwang を想起させるあらゆるものこそ、不気味なもの unheimlich として感知される。(フロイト『不気味なもの』1919年)


愛とは別名「ナルシシズム的リビドー」、欲望は「対象リビドー」。
愛はナルシシズムである。「ナルシシズム的リビドー」と「対象リビドー」の二つは対立する。l'amour c'est le narcissisme et que les deux s'opposent : la libido narcissique  et la libido. (Lacan, S15, 10  Janvier  1968)

男女とも原初には母による身体の世話にともなう刻印(固着)という原穴埋めがありその残滓がある。


母へのエロス的固着の残滓、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への拘束として存続する。Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. (フロイト『精神分析概説』第7章、死後出版1940年)

両性とも女への拘束がある。だからオッパイとオメコを抱えた女が愛=ナルシシズム的リビドーの人になるのは当然であり、男が欲望=対象リビドーの人になるのも当然。

フロイトの不気味なもの Unheimlichとは訳語が悪いので誤解を生んでしまうが、本来は「かつて親しかったが外部にあるもの」という意味。ラカンの外密extimitéーー外にある親密ーーとは「不気味なもの」の仏語訳。これは仏語のWikiににさえその記述がある。

したがって究極の不気味なものは女性器あるいは母胎にきまっている。ラカンが女は不気味なもので異者というのはこのことである。

ひとりの女は異者である。 une femme […] c'est une étrangeté.  (Lacan, S25, 11  Avril  1978)
不気味な残滓がある。il est resté unheimlich   (Lacan, S10, 19  Décembre  1962)
異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである。…étrange au sens proprement freudien : unheimlich (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)
女性器は不気味なものである。das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches.(フロイト『不気味なもの 』1919年)

なぜ死の欲動があるのか。究極的には、享楽の穴(フロイトのエロスの引力)、つまりブラックホールに吸い込まれたら死が訪れるからだよ。


死の欲動は現実界である。死は現実界の基礎である。La pulsion de mort c'est le Réel […] c'est la mort, dont c'est  le fondement de Réel (Lacan, S23, 16 Mars 1976)
欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。il y a un réel pulsionnel […] je réduis à la fonction du trou.(Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter, Strasbourg le 26 janvier 1975)
ラカンの現実界は、フロイトがトラウマと呼んだものである。ラカンの現実界は常にトラウマ的である。それは言説のなかの穴である。ce réel de Lacan […], c'est ce que Freud a appelé le trauma. Le réel de Lacan est toujours traumatique. C'est un trou dans le discours.  (J.-A. Miller, La psychanalyse, sa place parmi les sciences, mars 2011)


ボクにはこれ以上わかりやすくはかけんな。もうきいてくるなよ。ボクはいまプルーストの人になってんだから。


人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある。Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, […] eine solche Rückkehr in den Mutterleib. (フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)
出産外傷 Das Trauma der Geburt、つまり出生という行為は、一般に「母への原固着」[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、「原抑圧 Urverdrängung」を受けて存続する可能性をともなう。…これが「原トラウマ Urtrauma」である。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要)
原初に何かが起こったのである、それがトラウマの神秘の全て tout le mystère du trauma である。すなわち、かつてAの形態[ la forme A]を取った何かを生み出させようとして、ひどく複合的な反復の振舞いが起こる…その記号「A」をひたすら復活させようとして faire ressurgir ce signe A として。(ラカン、S9、20 Décembre 1961)




愛と欲望のゲームにおいては、オメコとオッパイ抱えている女が勝ちにきまってんだけどな、なんでもっと悠然と構えてないんだろ? 

例えば胎盤 placenta は…個体が出産時に喪う individu perd à la naissance 己の部分、最も深く喪われた対象 le plus profond objet perdu (対象a)を徴示するsymboliser が、乳房 sein は、この自らの一部分を代表象représenteしている。(ラカン、S11、20 Mai 1964)


やっぱり女同士の争いがあるからだろうな


最後に私は次の問いを提出する。女自身は、女性の心は深い、あるいは女性の心は正しいと認めたことがかつて一度でもあったのだろうか? そして次のことは本当であろうか? すなわち、全体的に判断した場合、歴史的には、「女というもの das Weib」は女たち自身によって最も軽蔑されてきた、男たちによってでは全くなく。"das Weib" bisher vom Weibe selbst am meisten missachtet wurde - und ganz und gar nicht von uns? -(ニーチェ『善悪の彼岸』232番、1886年)


 憶測で言わせてもらうが、きみは子宮という異者に食べ物の与え方が少なすぎるんじゃないか。エサを充分に与えたらここで記したことなんかきっとすぐわかるよ。

アリストテレスは既にヒステリーを次の事実を基盤とした理論として考えた。すなわち、子宮は女の身体の内部に住む小さな動物であり、何か食べ物を与えないとひどく擾乱すると。Déjà ARISTOTE donnait de l'hystérique une théorie fondée sur le fait que l'utérus était un petit animal qui vivait à l'intérieur du corps de la femme et qui remuait salement fort quand on ne lui donnait pas de quoi bouffer. (Lacan, S2, 18 Mai 1955)
女が事実上、男よりもはるかに厄介なのは、子宮あるいは女性器の側に起こるものの現実をそれを満足させる欲望の弁証法に移行させるためである。Si la femme en effet a beaucoup plus de mal que le garçon, […] à faire entrer cette réalité de ce qui se passe du côté de l'utérus ou du vagin, dans une dialectique du désir qui la satisfasse (Lacan, S4, 27 Février 1957)
女の子宮のなかで子供は寄生体である。すべてがそれを示している、この寄生体と母胎とのあいだの関係はひどく悪くなりうるという事実も含めて。Dans l'utérus de la femme, l'enfant est parasite, et tout l'indique, jusques et y compris le fait que ça peut aller très mal entre ce parasite et ce ventre. (Lacan, S24, 16 Novembre 1976)

アリストテレスだけじゃなくてプラトンだって言っている。古代では常識だったんだけどな。

子宮は動物である。子宮は子供を生むことを憧憬する動物である。思春期以後あまりにも長く子供を持たないままだと、子宮は腹を立て苦しんで五体をさまよい,呼吸の動きををとめて酸素吸入を妨害し、最も激しい苦悩とさらにあらゆる種類の病を引き起こす。(プラトン『ティマイオス』)

でもなにも子供じゃなくていいさ。オメコに蜘蛛の巣張らしたらダメだってことだよ。

やあやっとプルーストに繋がったな、ドゥルーズ=プルーストだけど。蜘蛛の巣張るのはいいけど、蜘蛛を眠らしちゃダメだってことだな。あの動物が飛ぶように獲物に襲いかかるようにしないと。



しかし器官なき身体とは何であろうか。クモもまた、何も見ず、何も知覚せず、何も記憶していない、クモはただその巣のはしのところにいて、強度を持った波動のかたちで彼の身体に伝わって来る最も小さな振動をも受けとめ、その振動を感じて必要な場所へと飛ぶように急ぐ。眼も鼻も口もないクモは、ただシーニュに対してだけ反応し、その身体を波動のように横切って、えものに襲いかからせる最小のシーニュがその内部に到達する。
Mais qu'est-ce que c'est, un corps sans organes ? L'araignée non plus ne voit rien, ne perçoit rien, ne se souvient de rien. Seulement, à un bout de sa toile, elle recueille la moindre vibration qui se propage à son corps en onde intensive, et qui la fait bondir a rendrait nécessaire. Sans yeux, sans nez, sans bouche, elle répond uniquement aux signes, est pénétrée du moindre signe qui traverse son corps comme une onde et la fait sauter sur sa proie. (ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「狂気の現存と機能ーークモーー」第3版 1976年)