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2020年9月18日金曜日

女の回想の穴



女の回想の引力
ところで、過ぎさった一年一年の夢を支配した法則は、その年に私が知りあった女の回想をその夢のまわりに集めて保存していたのであって、たとえば、私の少年時代のゲルマント公爵夫人に関するものはすべて、ある引力によって、コンプレーのまわりに集中されていたし、いまさっきのように近く私を昼餐に招待しようとしているゲルマント公爵夫人にかかわりをもつものはすべて、まったくちがった感覚系統のもののまわりに集中されていた。Or la loi qui avait gouverné les rêves de chaque année maintenant assemblés autour d'eux les souvenirs d'une femme que j'y avais connue, tout ce qui se rapportait, par exemple, à la duchesse de Guermantes au temps de mon enfance, était concentré, par une force attractive, autour de Combray, et tout ce qui avait trait à la duchesse de Guermantes qui allait tout à l'heure m'inviter à déjeuner, autour d'un sensitif tout différent ; il y avait plusieurs duchesses de Guermantes,(プルースト「見出された時」井上究一郎訳  p529-530 )

ドゥルーズ(&ガタリ)は、プルーストのマドレーヌに触れる文脈のなかで《無意志的回想のブラックホール[trou noir du souvenir involontaire]》(『千のプラトー』「零年ーー顔貌性」1980年)としているが、ブラックホールももちろん引力であり、ラカンはこの引力を穴とした。

ところでプルーストには《異者は私自身だった[l'étranger c'était moi-même]。当時の少年の私だった》という表現もある。この異者もフロイトラカン文脈では穴のことである。➡︎穴という引力

ようするにプルーストはフロイトラカン的精神分析の核心用語「引力 force attractive」と「異者 étranger」の作家である。

最初の瞬間、私は腹立たしくなって、誰だ、ひょっこりやってきておれの気分をそこねた見知らぬやつは、と自問したのだった。その見知らぬやつは、私自身だった、当時の少年の私だった。
Je m'étais au premier instant demandé avec colère quel était l'étranger qui venait me faire mal, et l'étranger c'était moi-même, c'était l'enfant que j'étais alors, que le livre venait de susciter en moi, (プルースト「見出された時」井上究一郎訳、p 345)

ーー「誰だ、ひょっこりやってきておれの気分をそこねた異者は! その異者は私自身だった[l'étranger c'était moi-même]。当時の少年の私だった」、ーーとも訳せるだろう。

幼児型記憶に限らず、身体に強く刻印された記憶=トラウマ的記憶は、人にもよるし強度の程度にもよるだろうが、一般的には「引力=穴=ブラックホール=異物(異者としての身体 Fremdkörper)」として機能する。

語りとしての自己史に統合されない「異物」
外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。(中井久夫「発達的記憶論」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)
「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」によるフラッシュバック
PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年)


先に引用したーー「誰だ、ひょっこりやってきておれの気分をそこねた異者は! その異者は私自身だった[l'étranger c'était moi-même]。当時の少年の私だった」、ーーの箇所を井上究一郎訳でもう少し長く引用しておく。

ちょうどこの図書室にはいる際に、私はゴンクールが語っているりっぱな初版本の数々が所蔵されていることを思いだして、ここに自分が入れられているあいだに、それらをよくながめておこうと心にきめていたのであった。そして、一方で推理を進めながらも、私はそれらの貴重な本を、一冊一冊、もっとも大して注意をはらわずに、ひっぱりだしていた、そのとき、それらのなかの一冊、ジョルジュ・サンドの「フランソワ・ル・シャンピ」を何気なくひらこうとした瞬間に、私の現時の思考とあまりにも不調和な何かの印象に打たれたような気がして、はじめ私は不快を感じたが、ついに涙を催すまでにこみあげた感動とともに、その印象がどんなに現時の思考に一致しているかを認めるにいたった。(…)
Justement, comme, en entrant dans cette bibliothèque, je m'étais souvenu de ce que les Goncourt disent des belles éditions originales qu'elle contient, je m'étais promis de les regarder tant que j'étais enfermé ici. Et tout en poursuivant mon raisonnement, je tirais un à un, sans trop y faire attention du reste, les précieux volumes, quand, au moment où j'ouvrais distraitement l'un d'eux : François le Champi de George Sand, je me sentis désagréablement frappé comme par quelque impression trop en désaccord avec mes pensées actuelles, jusqu'au moment où, avec une émotion qui alla jusqu'à me faire pleurer, je reconnus combien cette impression était d'accord avec elles.[…]
最初の瞬間、私は腹立たしくなって、誰だ、ひょっこりやってきておれの気分をそこねた見知らぬやつは、と自問したのだった。その見知らぬやつは、私自身だった、当時の少年の私だった。そんな私を、いまこの本が私のなかにさそいだしたのだ、というのも、この本は、私についてはそんな少年しか知らないので、この本がただちに呼びだしたのもそんな少年であり、その少年の目にしか見られたくない、彼の心にしか愛されたくない、彼にしか話しかけたくない、とそうこの本は思ったからなのだ。コンブレーで、ほとんど朝まで、私の母が声高に読んでくれたこの本は、だから、その夜の魅力のすべてを、私のために保存していたのだ。
Je m'étais au premier instant demandé avec colère quel était l'étranger qui venait me faire mal, et l'étranger c'était moi-même, c'était l'enfant que j'étais alors, que le livre venait de susciter en moi, car de moi ne connaissant que cet enfant, c'est cet enfant que le livre avait appelé tout de suite, ne voulant être regardé que par ses yeux, aimé que par son cœur et ne parler qu'à lui. Aussi ce livre que ma mère m'avait lu haut à Combray, presque jusqu'au matin, avait-il gardé pour moi tout le charme de cette nuit-là. (プルースト「見出された時」井上究一郎訳、p 343-345)




無意志的回想にしばしば襲われるタイプの人にとって肝腎なのは、それに溺れすぎないで、そのリアルに対する防衛としての象徴化の努力をすることである、

無意志的回想のブラックホール trou noir du souvenir involontaire
『スワンの恋』、プルーストは顔、風景、絵画、音楽などを共鳴させることができた。スワン - オデットの物語の中の三つの契機。
まずシニフィアンの装置が一つ出来上がる。白または黄みを帯びた大きな頬とブラック・ホールの目をそなえたオデットの顔。しかし、この顔自体、同じように壁の上に配置された他のものとたえず関連する。それはスワンの審美主義、アマチュアリズムにほかならない。シニフィアンの記号におおわれた解釈網の中で、何かが他の何かを呼び起こすことがスワンには必要なのだ。一つの顔は一つの風景と関連する。一つの顔は一枚の絵、絵の一部を「喚起rappeler」せずにはいない。一つの音楽はオデットの顔に連結される小楽節を響かせ、この楽節はもはや一つの信号にすぎなくなる。いたるところにホワイト・ウォールができ、ブラック・ホールが配置される。[Le mur blanc se peuple, les trous noirs se disposent]
解釈が関連しあう中で、意味性からなるこの装置全体が、第二の、主体的情念的契機を準備し、そこにスワンの嫉妬、好訴性、色情狂 [la jalousie, la quérulance, l'érotomanie]が昂じていく。いまやオデットの顔は、唯一のブラック・ホール、スワンの「情念」というブラック・ホールに雪崩れこむ線にそって走る[Voilà maintenant que le visage d'Odette file sur une ligne qui se précipite vers un seul trou noir, celui de la Passion de Swann]。その他の風景性、絵画性、音の線すべては、この緊張症的な穴[trou catatonique ]に向かって急ぎ、そのまわりに巻きつき幾重にも縁取ることになる。
しかし、第三の契機では、長い情念のトンネルを脱けて、スワンはある集いに出かけ、そこでまず、使用人や招待客の顔が、自立した美学的な特徴へと解体されるのを見る。あたかも壁の向こう側と同時にブラッック・ホールの外でも、絵画性の線が独立性を再発見するかのように。次には、ヴァントゥイユの小楽節が超越性を取り戻し、より強度の、非意味的な、非主体的な純粋な音楽性の線[une ligne de musicalité pure encore plus intense, asignifiante, asubjective]と結び合う。
そのときスワンは理解するのだ、もはやオデットを愛してはいないと。そして何よりも、オデットは二度と自分を愛しはしないだろうと。 ーースワンは、プルーストと同じく、救われることはないのだから。芸術によるこんな救済が必要だったのだろうか。愛を放棄して、壁を貫き、穴から脱け出すにはこんな仕方によらねばならなかったのか[Fallait-il cette manière de percer le mur ou de sortir du trou, en renonçant à l'amour ? ]。最初からこの愛は嫉妬と意味性からできていて、腐蝕していたのではないか。他の結末はありえなかったのではないだろうか。凡庸なオデットと審美家のスワンという二人だったのだから。
ある意味でマドレーヌの話もこれと同じだ。口の中にマドレーヌをころがす話者、冗長性、無意志的回想のブラック・ホール[Le narrateur mâchouille sa madeleine : redondance, trou noir du souvenir involontaire]。どうやって彼はそこから脱け出せるだろうか。結局これは脱出すべきもの、 逃れるべきものなのだ[Avant tout, c'est quelque chose dont il faut sortir, à quoi il faut échapper]。プルーストはそのことをよく知っていた。 彼を注釈する者たちにはもう理解できないことだが。しかし、そこから彼は芸術によって脱け出すだろう、ひたすら芸術によって。(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』「零年ーー顔貌性」1980年)


プルーストの手段は作家として無意志的回想の穴を象徴化することだった。私はどちらかというとスワン的人生を送ってきたがそれではダメだというのが、ドゥルーズでありプルーストである。そしてこの教えはすべての人に適用できるはずである。


…そして、あるいはスプーンの音、あるいはマドレーヌの味から生じた、あの超時間的なよろこびをふたたび考えながら、私は自分にいうのだった、「これであったのか、ソナタの小楽節がスワンにさしだしたあの幸福は? スワンはこの幸福をあやまって恋の快感に同化し、この幸福を芸術的創造のなかに見出すすべを知らなかったのであった。この幸福はまた、小楽節よりもいっそう超地上的なものとして、あの七重奏曲の赤い神秘な呼びかけが私に予感させた幸福でもあった。スワンはあの七重奏曲を知ることができないで死んだ、自分たちのために定められている真実が啓示される日を待たずに死んだ多くの人たちとおなじように。といっても、その真実は彼には役立つことができなかっただろう、なぜならあの楽節は、なるほどある呼びかけを象徴することはできたが、新しい力を創造する、そして作家ではなかったスワンを作家にする、ということはできなかったから。
Et repensant à cette joie extra-temporelle causée, soit par le bruit de la cuiller, soit par le goût de la madeleine, je me disais : « Était-ce cela ce bonheur proposé par la petite phrase de la sonate à Swann qui s'était trompé en l'assimilant au plaisir de l'amour et n'avait pas su le trouver dans la création artistique ; ce bonheur que m'avait fait pressentir comme plus supra-terrestre encore que n'avait fait la petite phrase de la sonate l'appel rouge et mystérieux de ce septuor que Swann n'avait pu connaître, étant mort, comme tant d'autres, avant que la vérité faite pour eux eût été révélée. D'ailleurs, elle n'eût pu lui servir, car cette phrase pouvait bien symboliser un appel, mais non créer des forces et faire de Swann l'écrivain qu'il n'était pas.
しかしながら、記憶のそんな復活のことを考えたあとで、しばらくして、私はつぎのことを思いついた、――いくつかのあいまいな印象も、それはそれで、ときどき、そしてすでにコンブレーのゲルマントのほうで、あの無意識的記憶(レミニサンスréminiscences)というやりかたで、私の思想をさそいだしたことがあった、しかしそれらの印象は、昔のある感覚をかくしているのではなくて、じつは新しいある真実、たいせつなある映像をかくしていて、たとえば、われわれのもっとも美しい思想が、ついぞきいたことはなかったけれど、ふとよみがえってきて、よく耳を傾けてきこう、楽譜にしてみようとわれわれがつとめる歌のふしに似ていたかのように、あることを思いだそうと人が努力する、それと同種の努力で私もそうした新しい真実、たいせつな映像を発見しようとつとめていた、ということを。
Cependant, je m'avisai au bout d'un moment et après avoir pensé à ces résurrections de la mémoire que, d'une autre façon, des impressions obscures avaient quelquefois, et déjà à Combray, du côté de Guermantes, sollicité ma pensée, à la façon de ces réminiscences, mais qui cachaient non une sensation d'autrefois, mais une vérité nouvelle, une image précieuse que je cherchais à découvrir par des efforts du même genre que ceux qu'on fait pour se rappeler quelque chose, comme si nos plus belles idées étaient comme des airs de musique qui nous reviendraient sans que nous les eussions jamais entendus, et que nous nous efforcerions d'écouter, de transcrire. (プルースト「見出された時」)


とはいえ、すべての人が「まともな」芸術家や詩人でありうるわけがないのだからーー、プルーストがしきりに批判しているようにほとんどの「芸術家」は《芸術的感覚をもたない人間、つまり内的現実に従順ではない人間n'ayant pas le sens artistique, c'est-à-dire la soumission à la réalité intérieure》であるーー、あのブラックホールに対する防衛として手始めに歌でもリトルネロしたら何とか逃げ道が作れるかもよ。

暗闇に幼い児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ちどまる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれ esquisse d'un centre stableであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ calme, stabilisant et calmant, au sein du chaos。子供は歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。だが歌それ自体がすでに跳躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスの中に秩序を作りはじめる début d'ordre dans le chaos。しかし、歌には、いつ分解してしまうかもしれぬという危険 risque aussi de se disloquer à chaque instant もあるのだ。アリアドネの糸はいつも一つの音色を響かせている。オルペウスの歌も同じだ。(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』「リトルネロについて」1980年)


当面でしかないかもな、いつ分解してまたブラックホールに陥る危険は常にあるのだから。

リロルネロ ritournelle は三つの相をもち、それを同時に示すこともあれば、混淆することもある。さまざまな場合が考えられる(時に、時に、時に tantôt, tantôt, tantô)。時に、カオスchaosが巨大なブラックホール trou noir となり、人はカオスの内側に中心となるもろい一点を設けようとする。時に、一つの点のまわりに静かで安定した「外観 allure」を作り上げる(形態 formeではなく)。こうして、ブラックホールはわが家に変化する。時に、この外観に逃げ道 échappéeを接ぎ木 greffe して、ブラックホールの外 hors du trou noir にでる。(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』「リトルネロについて」1980年)


どうだい、途轍もないブラックホールを抱えているのが明らかなそこの穴多

接ぎ木に励むのだって逃げ道になるかもな。西脇は地獄への道っていってるけど「当面は」そんなことないさ。

この小径は地獄へゆく昔の道
プロセルピナを生垣の割目からみる
偉大なたかまるしりをつき出して
接木している

ーー西脇順三郎「夏(失われたりんぼくの実)」



人生の通常の経験の関係の世界はあまりいろいろのものが繁茂してゐて永遠をみることが出来ない。それで幾分その樹を切りとるか、また生垣に穴をあけなければ永遠の世界を眺めることが出来ない。要するに通常の人生の関係を少しでも動かし移転しなければ、そのままの関係の状態では永遠をみることが出来ない。(西脇順三郎「あむばるわりあ あとがき(詩情)」)

ま、でもなんでも当面だよ、ヴァレリーでさえ晩年、ブラックホールに落ち込んで詩が書けなくなってしまったのだから。

ニーチェももちろん穴が深すぎたのさ

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵 Abgrundを覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。 Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein(ニーチェ『善悪の彼岸』146節、1886年)