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2020年9月15日火曜日

もういまはかえらぬ過去のあの日、あの時間

ある感覚、ある匂、ある光」に引き続いて「あの日、あの時間」だが、ここでは愛の起源としてのムール貝や壺の話ではない。それよりもいくらか表層的な「愛の心理学者」としてのプルーストである。人はまず最初はこういったプルーストから愛しはじめるのではなかろうか。少なくとも私の場合はそうだった。もっとも私がプルーストを真に読み始めたのは比較的遅く30歳前後からである。はじめてプルーストに触れた20歳前後の時はまだ個人全訳がなく、世界文学全集のプルーストの巻に入っていた『花咲く乙女たちのかげに』や『スワン家のほうへ』を図書館で読んだだけだった。これらの読書は、古い図書館の、ほとんどめくられていない頁の、湿った、かび臭いにおいの記憶とともにある。

さてここでは引用列挙に終始することにする。


…そしてたちまち私は彼女に恋をした、というのもわれわれが女を恋するには、スワン嬢の場合に私がそう思ったように、女がわれわれを軽蔑の目でながめていて、その女が絶対にものにならないだろうとわれわれが考えるだけで、ときには十分であるし、またゲルマント夫人の場合のように、女が好意をもってわれわれをながめ、その女がものになるだろうとわれわれが考えるだけで、ときには十分なこともあるからだ。(プルースト 「スワン家のほうへ」井上究一郎訳)


恋愛においては、われわれの幸福なライヴァル、つまり恋仇は、われわれの恩人である[En amour, notre rival heureux, autant dire notre ennemi, est notre bienfaiteur]。恋仇は、われわれのなかにつまらぬ肉欲[insignifiant désir physique ]しかそそらなかった女にも、たちまち途方もない、異様な価値[une valeur immense, étrangère]をつけくわえる。女には無関係な価値だが、われわれはその価値を女と混同する。われわれがライヴァルをもたないならば、肉欲の快楽は愛に転換されないだろう[Si nous n'avions pas de rivaux le plaisir ne se transformerait pas en amour]。われわれがライヴァルをもたないならば、いやライヴァルをもっていると思わないならば。というのも、ライヴァルはいつも実際にいるとはかぎらないから。しかし、存在もしないライヴァルにたいして、われわれが疑惑や嫉妬から、幻影の生活を仮託するだけでも、われわれには効果十分なのだ。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳、一部変更)

スワンが嫉妬することをやめてしまったあとでは、彼の目にすべての興味を失ってしまったのであった。といっても、正確にいえば、嫉妬しなくなった直後からではない。オデットに関して嫉妬を感じなくなってからも、ひるにラ・ペルーズ通の小さな住まいの戸を空しくたたいたあの日の午後のことだけは、彼のなかにまだ嫉妬を煽りつづけたのであった。そんな嫉妬は、ある人々の体内よりもある土地やある家屋のなかにその本拠や伝染力の中心部をもっているように見える疾病に、その点でいくらか類似しているものであって、それの対象となっているものは、オデットそのものよりもむしろ、彼がオデットの住まいの戸ロという戸口を空しくたたいた、もういまはかえらない過去のあの日、あの時間 ce jour, cette heure du passé perdu où Swann avait frappé à toutes les entrées de l'hôtel d'Odette であるといってもよかった。いわばあの日、あの時間だけが、かつてスワンがもっていたあの恋の性格の最後の分子をひきとめていたのであって、彼はそこよりほかにはもはやそうしたなごりを見出さないのであった。(…)

スワンの嫉妬がよみがえるためには、その女が不実である必要はなかった、何かの理由で、たとえばその女が夜会に出ていて、彼のそばにいず、しかもその夜会の場所でその女が興じていると思われただけで十分であった。それだけで、彼のなかに、彼の愛の肉腫とでもいう、悲しい、矛盾の多い、古い苦悩を、目ざめさせることができるのであった、そしてその苦悩が、スワンを彼女の現実生活から遠ざからせ、またそうしていることがスワンにとっては、不可知なこと(この若い女がスワンに抱いている実際の感情、彼女の日々のひそかな欲望、彼女の心の秘密)に達するための要件のように思われるのであった、というのは、彼と彼の愛する女とのあいだに、その苦悩は、オデットまたはオデットよりまえのある女にその原因をもっている古い疑惑の溶けないかたまりを、いまもまだ置いているのであって、そうした疑惑は、この老けこんだ愛の男に、「彼の嫉妬を煽った女」の古い集成的な幻影を通すのでなければ現在の新しい恋人の姿を見ることができないようにしたので、彼は自分勝手に彼の新しい恋愛をこの幻影によって化肉したのであった。
しかもしばしばこの嫉妬が、気の迷にすぎないうらぎりを彼に真実だと思わせるので、そのたびに彼は理性に目ざめてばかばかしいと思うのだったが、その瞬間、彼の脳裡にひらめくのは、自分が同一の推論でオデットをあやまってゆるしてやったという思出であった。だから、彼が愛している若い女が彼のいないときにやっているすべての行為は、彼の目に潔白だとは映らなくなったのである。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」井上究一郎訳)

恋を生みだすあらゆる様相のなかで、この神わざ病を伝播するあらゆる要因のなかで、もっとも有効なはたらきをなすもの一つは、ときどきわれわれの上を吹きすぎるあのはげしい爆風である。そんな瞬間に、われわれがともに好感を抱きあっている相手の人こそは、運命のさいころをもう投げられていて、やがてわれわれが愛する人になるだろう。その人が、それまで、他の人以上にわれわれの気に入っている必要はなく、他の人とおなじほど気に入っている程度の必要さえもない。必要なのは、その人にたいするわれわれの好みが排他的になることであるnotre goût pour lui devînt exclusif。そして、その必要な条件が実現されるのはーーその人がわれわれの身近にいなくなった瞬間にーーその人の好ましさがわれわれにあたえていた快感の追求に代わって、突然、われわれを不安にする欲求が頭をもたげたときであって、その欲求は、おなじその人を対象とする欲求でありながら、このわれわれの世界の法則によってはとうてい満たされもせず鎮められもしないといった、不条理な欲求、つまりその人を占有しようとする気違じみた、苦しい欲求なのである。le besoin insensé et douloureux de le posséder (プルースト「スワン家のほうへ」井上究一郎訳)

相手の人間に愛をそそられるよりも、相手にすてられることによって愛をそそられるのは、ある種の年齢に達した者の運命で、その年齢は非常に早くくることがある。すてられていると、相手の顔面はわれわれに不明瞭で、相手の魂もどこにあるのかわからず、相手を好きになりだしたのもごく最近で、それもなぜなのかわからず、ついに相手のことではたった一つの事柄しか知ろうとしなくなる。つまり、苦しみをなくすためには、どうしても相手から、「お会いになっていただけるでしょうか?」という伝言をわれわれのもとにとどけさせる必要がある、という一事だけだ。「アルベルチーヌさまはお発ちになりました Mademoiselle Albertine est partie 」とフランソワーズが告げた日の、アルベルチーヌとの離別は、ほかの多くの離別の一つのアレゴリー、むしろひどくは目立たない一つのアレゴリーといってもよかった。ということは、われわれが愛していることを発見するためには、またおそらく、愛するようになるためにさえも、しばしば離別の日の到来が必要だということなのである nous découvrions que nous sommes amoureux, peut-être même pour que nous le devenions, il faut qu'arrive le jour de la séparation。(プルースト「逃げさる女」井上究一郎訳)

幸福はといえば、それはほとんど一回きりの有効性しかもたない、それは不幸を起こしうるという有効性である。幸福のなかで、われわれがむすぶ信頼と愛着の粋は、よほど甘美な、よほど強いものであるにちがいない、だから、その絆が切れると、われわれは不幸と呼ばれるあのように貴重な痛恨に見舞われるのである。たとえ空だのみにすぎなかったにしても、人が幸福でなかったとしたら、不幸には残酷さがなく、したがって不幸は実をむすぶことがないだろう。Si l'on n'avait été heureux, ne fût-ce que par l'espérance, les malheurs seraient sans cruauté et par conséquent sans fruit.(プルースト「見出された時」)


知りあう前に過ちを犯した女、いつも危険な状態にひたりきった女、恋愛の続くかぎり絶えず征服し直さねばならない女がとくに男に愛されるということがある。(プルースト「 囚われの女」)
若い娘たちの若い人妻たちの、みんなそれぞれにちがった顔、それらがわれわれにますます魅力を増し、もう一度めぐりあいたいという狂おしい欲望をつのらせるのは、それらが最後のどたん場でするりと身をかわしたからでしかない、といった場合が、われわれの回想のなかに、さらにはわれわれの忘却のなかに、いかに多いことだろう。(プルースト「ゲルマントのほう」)
出奔した女は、いままでここにいた女とはおなじ女ではもはやなくなっている。(プルースト「逃げ去る女」)

(ある種の男にとって)誰にも属していない女は黙殺されたり、拒絶されさえする。他の男と関係がありさえすれば、即座に情熱の対象となる。Weib zuerst übersehen oder selbst verschmäht werden kann, solange es niemandem angehört, während es sofort Gegenstand der Verliebtheit wird, sobald es in eine der genannten Beziehungen zu einem anderen Manne tritt.(フロイト『男性における対象選択のある特殊な型について 』1910)
ある年齢に達してからは、われわれの愛やわれわれの愛人は、われわれの苦悩から生みだされるのであり、われわれの過去と、その過去が刻印された肉体の傷とが、われわれの未来を決定づける。Or à partir d'un certain âge nos amours, nos maîtresses sont filles de notre angoisse ; notre passé, et les lésions physiques où il s'est inscrit, déterminent notre avenir. (プルースト「逃げ去る女」)