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2020年9月17日木曜日

14歳のカタツムリ事件


私はジルベルトが雪のなかをシャンゼリゼにやって来ることを考えた。あのひと、私の生涯での大きな愛、彼女がいなかったら愛をけっして知らなかっただろう(あるいはもうひとつ別の大きな愛。というのは生涯に少なくとも二つの大きな愛があったから)。あのベナルダキ嬢は、現在、ーーしかしなんと長いあいだ彼女と会っていないことだろうーーラジウィッチ王女となっている。

j'ai pensé pour l'arrivée de Gilberte aux Champs-Élysées par la neige, à une personne qui a été le grand amour de ma vie sans qu'elle l'ait jamais su (ou l'atre grand amour de ma vie car il y en a au moins deux) Mlle Benardaky, aujourd'hui (mais je ne l'ai pas vue depuis combien d'années) Princesse Radziwill.  (プルースト Jacques de Lacretelle 宛、Paris, 20 avril 1918)

ボクは伝記的な話はそれほど興味がなかったのだが、プルーストは1886年の夏、14歳のとき、学校のあとで遊びに出かけるシャンゼリゼで、マリー・ド・ベナルダキMarie de Benardakyに出会っているそうだ。

そうなんだ、14歳なんだ。

何度か記しているが、ボクもジルベルトと「組み打ち」してカタツムリの染みを学生ズボンにつけたのは14歳のときなんだ。もっとも一度だけ漏らしただけで、その後は事前にトイレで死の道をかきわけてから、純愛の組み打ちをするようにしたが。

いまリンクした先にも引用してあるが、その前後をもうすこし長く引用しとくよ、14歳のカタツムリ事件を記念して。


何かひんやりしたかびくさい匂
私はしばらくジルベルトのそばを離れなくてはならなかった、フランソワーズが私を呼んだのである。私は老女中のあとにしたがって、昔のパリの、古ぼけた入市税納付所にそっくりな、みどりの格子垣のついた小さなあずま屋までついてゆかなくてはならなかった。そしてそのあずま屋のなかには、イギリスではかえってラヴァボと呼ばれているのにフランスではなまかじりのイギリスかぶれがワテール = クロゼットと呼んでいるものが最近に設けられていた。
私がフランソワーズをじっと待っている入口の、じめじめした古い壁から出てくる、何かひんやりしたかびくさい匂が、ジルベルトからつたえられたスワンのさっきの言葉で私の心に生まれた気がかりをたちまちやわらげ、私の胸に一種の快感をしみこませた、その快感は、他の快感がわれわれを不安定にして、われわれがひきとめよう、とらえようとする甲斐もなく逃げさってゆくのとは種類がちがい、逆に私がそれにすがることのできるような、定着した快感、心地よい、やすらかな快感であり、持続する真実、解きあかされていない、確実な真実を、ゆたかにふくんだ快感であった。できることなら、私は、かつてのゲルマントのほうの散歩で試みたように、私をとらえたこの印象の魅力のなかにはいこむことを試みたかった、そしてただ余分にあたえられるにすぎないような快感を味わうことよりも、いままで私に被いかくされていた現実のなかにくだってゆくことをすすめてくれる、この古くさい発散物に問いかけるために、じっと立ちどまっていたかった。しかしこの建物の保管人で、頬をこってり塗って、赤茶けたかつらをつけた年をとった女が、私に言葉をかけはじめた。フランソワーズはこの女を「お家柄のちゃきちゃき」だと信じていた。(…)
流れおちる汗のしずくのように、私は快楽をもらした
まもなく私は「侯爵夫人」にいとまを告げ、フランソワーズのあとにしたがったが、ジルベルトのそばにもどろうと思ってフランソワーズから離れた。私は月桂樹のしげみのうしろの椅子に腰をかけた彼女をすぐにさがしあてた。彼女は友達から見つけられまいとしてそうしているのであった、彼女らはかくれんぽうをしていたのだ。私は近づいて彼女とならんで腰をかけた。彼女は目のあたりまでずりさがった平べったいトック帽のために、私がはじめてコンプレーで彼女に認めたあの「下目づかい」の、夢みるような、ずるそうなまなざしとおなじ目つきをしているように見えた。私は、彼女の父に向かって私が口頭で説明する方法はないだろうか、とたずねた。ジルベルトは、父にそれをもちだしてみたが父はその必要はないと考えている、と答えた。「ほうら」と彼女はつけくわえた、「あなたの手紙を忘れていってはだめよ、私は誰にも見つからなかったから、みんなのところに行かなくちゃならないわ。」
私がその手紙をとりもどすまえに、スワンがこの場にきていたとしたら それがまじめに書かれていることを認めなかったとはスワンもわからず屋だと私が感じた手紙だがーーおそらくスワンは、正しかったのはやはり自分だ、と見てとったことであろう。というのは、椅子にあおむけに寄りかかって、手紙を受けとるように私に言いながら、わたそうとはしないジルベルトに近づいた私は、彼女の肉体にはげしくひきつけられる自分を感じて、こういったからである、「ねえ、ぼくに手紙をとらせないようにしてごらん、どっちが強いか見ようよ。」
彼女は手紙を背中にかくした、私は彼女のうなじに両手をまわして、彼女のおさげをはねあげた、その髪は、まだ彼女の年にふさわしいからか、それとも彼女の母が自分自身若やぐためにいつまでも娘を子供っぽく見せておこうとしたためか、編んで肩にたらしてあった。
私たちはからみあって組みうちをするのだった。私は彼女をひきよせようとし、彼女はしきりに抵抗する。奮闘のために燃えた彼女の頬は、さくらんぼうのように赤くてまるかった。彼女は私がくすぐったかのように笑いつづけ、私は若木をよじのぼろうとするように、彼女を両脚のあいだにしめつけるのであった、そして、自分がやっている体操のさなかに、筋肉の運動と遊戯の熱度とで息ぎれが高まったと思うまもなく、奮闘のために流れおちる汗のしずくのように、私は快楽をもらした、私にはその快楽の味をゆっくり知ろうとするひまもなかった、たちまち私は手紙をうばった。するとジルベルトはきげんよくいった、
「ねえ、よかったら、もうしばらく組みうちをしてもいいのよ。」
おそらく彼女は私の遊戯には私がうちあけた目的以外にべつの目的があるのをおぼろげながら感じたのであろう、しかし私がその目的を達したことには気がつかなかったであろう。そして、その目的を達したのを彼女に気づかれることをおそれた私は(すぐあとで、彼女が侮辱されたはずかしさをこらえて、からだをぐっと縮めるような恰好をしたので、私は自分のおそれがまちがっていなかったのをたしかめることができた)、目的を達したあとの休息を静かに彼女のそばでとりたかったのだが、そんな目的こそほんとうの目的であったととられないために、なおしばらく組うちをつづけることを承諾した。
格子垣のあずま屋の、ひんやりとした、煤のような匂
かえり道で、いままでかくれていた映像が、突然思いだされ、私はそれに気がついたが、先ほどは、格子垣のあずま屋の、ひんやりとした、煤のような匂が、私をその映像に近づかせながら、それを私の目に浮かべさせも、認めさせもしなかったのであった。その映像は、コンプレーにあったアドルフ叔父の小さな部屋の映像であって、その部屋は、なるほどあずま屋とおなじ湿気の匂を放っていた。しかし、そんなとるに足りない映像の想起が、なぜ私にあのような幸福感をもたらしたかを私は理解することができなかった、そして私はそれを突きつめて考えることはもっとのちにのばした。さしあたっては、自分がほんとうにノルポワ氏の軽蔑に値するように思われた、いままで私は、あらゆる作家よりも、ノルポワ氏が単なる「フルート吹き」と呼んでいる作家のほうを愛してきたのであったし、まだ真の高揚はなんらかの重要な観念によってではなくて、ただかびの匂によって、私につたえられたのであった。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」p114 井上究一郎訳)

かたつむりが通った跡のように見える、自然に出たものの跡
ああ、私はルーサンヴィルの楼閣に哀願したけれども空しかったーーコンブレーの私たちの家のてっぺんの、アイリスの香がただよう便所にはいって、半びらきの窓ガラスのまんなかにその尖端しか見えないルーサンヴィルの楼閣に向って、その村の女の子を私のそばによこしてほしい、とたのんだけれども空しかったーーそしてそこにそうしているあいだに、あたかも何か探検をくわだてている旅行者か、自殺しようとする絶望者のような、悲壮なためらいで、気が遠くなりながら、私は自分自身のなかに、ある未知の道、死の道とも思われた一つの道をかきわけていた、そしてそのあげくは、私のところまで枝をたわめている野性の黒すぐりの葉に、あたかもかたつむりが通った跡のように見える、自然に出たものの跡が、一筋つくのであった。(プルースト「スワン家のほうへ」)