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2020年10月9日金曜日

S(Ⱥ)と対象aと残滓a

前回示したS(Ⱥ)というのは(a)のことだよ、




これはふつうのひとには、とっても難しいだろうけど、S(Ⱥ)とは次の意味をもっている(より詳しくは「文献集x」を参照)。

S(Ⱥ)=原穴埋め(a)シニフィアン

S(Ⱥ)の代わりに対象aを代替しうる。substituer l'objet petit a au signifiant de l'Autre barré.(J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 16/11/2005)

ラカンは享楽と剰余享楽 [la jouissance du plus-de-jouir]を区別した。…空胞化された、穴としての享楽と、剰余享楽としての享楽[la jouissance comme évacuée, comme trou, et la jouissance du plus-de-jouir]である。…対象aは穴と穴埋め [le trou et le bouchon]なのである。(J.-A. Miller, Extimité, 16 avril 1986)

S(Ⱥ)の存在のおかげで、あなたは穴を持たず、「斜線を引かれた大他者という穴 trou de A barré [Ⱥ]」を支配す。le S de grand A barré […]c'est grâce à l'existence […]que vous n'avez pas de trou ou que vous maîtrisez le trou de A barré.  (J.-A. MILLER, - Illuminations profanes -15/03/2006)


S(Ⱥ)=現実界のクッションの綴じ目

ラカンの「現実界は無法」(法なき現実界)の形式は、まさに正しくS(Ⱥ)と翻訳しうる。無法とは、Ⱥである。la formule le réel est sans loi est très bien traduite par grand S de A barré. Le sans loi, c'est le A barré. (J.-A. MILLER, - Pièces détachées - 13/04/2005)

S (Ⱥ)とは真に、欲動のクッションの綴じ目である。S DE GRAND A BARRE, qui est vraiment le point de capiton des pulsions(J.-A. MILLER,, L'Être et l'Un, 06/04/2011)


S(Ⱥ)=サントームΣ=超自我=原抑圧(固着)

シグマΣ、サントームのシグマは、シグマとしてのS(Ⱥ) と記される。c'est sigma, le sigma du sinthome, […] que écrire grand S de grand A barré comme sigma (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 6 juin 2001)

S(Ⱥ)に、フロイトの超自我の翻訳 transcription du surmoi freudienを見い出しうる。(J.-A.MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses Comités d'éthique - 27/11/96)

フロイトの原抑圧とは何よりもまず固着である。〔・・・〕この固着とは、身体的なものが心的なものの領野外に置き残されるということである。〔・・・〕原抑圧はS(Ⱥ) に関わる [Primary repression concerns S(Ⱥ)]。](ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?, 1997)

超自我と原抑圧を同じものである。le surmoi et le refoulement originaire puissent être rapprochés(J.-A. MILLER, LA CLINIQUE LACANIENNE, 24 FEVRIER 1982)


こういったことはさておいて、何よりもまず、Ⱥとしての(a)とS(Ⱥ)としての(a)があることを知っておくべき(これ以外にさらにイマジネールな穴埋めとファルスにかかわる穴埋めがあるがそれはここでは割愛)。

さらに残滓としての(a)もある。何度か示している図を再掲すれば、次の形が基本[参照



残滓(a)=異者としての身体 Fremdkörper

享楽は、残滓 (а)  を通している。la jouissance[…]par ce reste : (а)  (ラカン, S10, 13 Mars 1963)

フロイトの異者は、残存物、小さな残滓である。L'étrange, c'est que FREUD[…] c'est-à-dire le déchet, le petit reste,    (Lacan, S10, 23 Janvier 1963)

異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である。corps étranger,[…] le (a) dont il s'agit,[…] absolument étranger (Lacan, S10, 30 Janvier 1963)

常に残存現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)

原抑圧と同時に固着が行われ、暗闇に異者が蔓延る。Urverdrängung[…] Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; […]wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen, (フロイト『抑圧』1915年、摘要)

エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。〔・・・〕われわれはこのエスの欲動蠢動を、異物(異者としての身体 Fremdkörper)ーーたえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状と呼んでいる。〔・・・〕この異物は内界にある自我の異郷部分である。Triebregung des Es […] ist Existenz außerhalb der Ichorganisation […] der Exterritorialität, […] betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen […] das ichfremde Stück der Innenwelt (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)

現実界のなかの異物概念は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある。une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance (J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6  -16/06/2004)


したがって先ほどの図はこうも図示できる。




フロイト用語なら、左側は何よりもまず「固着/エス」。




この残滓としての異者はエスの審級にあり(エスに置き残された異者としての身体)、無意識のエスの反復強迫をもたらす。これが反復の原理。

この図式は、通常の、事故としてのトラウマにおける外傷神経症にも当てはまる。


たとえば、災害被害やレイプなどの主に静止画像(トラウマへの固着)が反復強迫するのはこの身体的残滓のせい。


外傷神経症 traumatischen Neurosen は、外傷的出来事の瞬間への固着 Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles がその根に横たわっていることを明瞭に示している。(フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着 Die Fixierung an das Trauma」1917年)

神経症はトラウマの病と等価とみなしうる。その情動的特徴が甚だしく強烈なトラウマ的経験を取り扱えないことにより、神経症は生じる。Die Neurose wäre einer traumatischen Erkrankung gleichzusetzen und entstünde durch die Unfähigkeit, ein überstark affektbetontes Erlebnis zu erledigen. (フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着 Die Fixierung an das Trauma」1917年)

トラウマは、自己身体の上への出来事 Erlebnisse am eigenen Körper もしくは感覚知覚 Sinneswahrnehmungen である。…この「トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫 Wiederholungszwang」…これは、標準的自我 normale Ich と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向 ständige Tendenzen desselbenをもっており、「不変の個性刻印 unwandelbare Charakterzüge」 と呼びうる。(フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)




事故的トラウマではなく構造的トラウマにかんしてラカン派的に難しくいえば、次のような言い方になる。


反復的享楽 La jouissance répétitive、これを中毒の享楽と言い得るが、厳密に、ラカンがサントームと呼んだものは、中毒の水準 niveau de l'addiction にある。この反復的享楽は「1のシニフィアン le signifiant Un」・S1とのみ関係がある。その意味は、知を代表象するS2とは関係がないということだ。この反復的享楽は知の外部 hors-savoir にある。それはS2なきS1(フロイトの固着)を通した身体の自動享楽に他ならない。elle n'est qu'auto-jouissance du corps par le biais du S1 sans S2 (ce que Freud appelait Fixierung, la fixation) (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 23/03/2011)


でもこれ自体、フロイト起源。


欲動蠢動は「自動反復 Automatismus」の影響の下に起こるーー私はこれを反復強迫と呼ぶのを好むーー。〔・・・〕そして抑圧において固着する要素は「無意識のエスの反復強迫」であり、これは通常の環境では、自我の自由に動く機能によって排除されていて意識されないだけである。


Triebregung  […] vollzieht sich unter dem Einfluß des Automatismus – ich zöge vor zu sagen: des Wiederholungszwanges –[…] Das fixierende Moment an der Verdrängung ist also der Wiederholungszwang des unbewußten Es, der normalerweise nur durch die frei bewegliche Funktion des Ichs aufgehoben wird. (フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年、摘要)