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2020年11月29日日曜日

精神分析の始まりには愛がある


ラカンは転移のセミネールⅧを次のように始めた、精神分析の始まりには愛がある[Au commencement de la psychanalyse il y a l'amour]と。(Bernard Porcheret, LE RESSORT  DE L'AMOUR, Première séance, novembre 2016)


愛する者と愛される者の出会い[les rencontre, où est l'amant et où est l'aimé. ]…


精神分析の「始まりの出来事[accident inaugural ]」、それは卓越したブロイラーの最初の経験である。彼の「談話療法[la talking cure]」…

はっきりしているのは、この出来事はラヴストーリー だった[cet accident était une histoire d'amour]ということだ。この愛の出来事はたんに患者側のものではない。…


アーネスト・ジョーンズがフロイト伝で書いているように、ブロイラーは「逆転移」にいくらか徴づけられた愛の犠牲者だったに違いない[qu'assurément BREUER dut être la victime de ce que nous appelons, dit JONES, un contre-transfert un peu marqué. ]。(Lacan, S8, 16  Novembre 1960、摘要)




ブロイラーの患者において本当に起こったことを、私は後になって推測した。彼と私の関係が絶たれたはるかに後である。私は突然思い出したのだった、ブロイラーがかつて、私たちが共同研究を始める以前に別の文脈のなかで私に言ったメッセージを。彼は二度とそれを繰り返さなかった。


Was bei Breuers Patientin wirklich vorfiel, war ich imstande, später lange nach unserem Bruch zu erraten, als mir plötzlich eine Mitteilung von Breuer einfiel, die er mir einmal vor der Zeit unserer gemeinsamen Arbeit in anderem Zusammenhang gemacht und nie mehr wiederholt hatte. 

ある日の夕方、彼女(アンナ・O)のすべての症状がおさまった時、ブロイラーは患者にふたたび呼ばれた。彼が見出したのは、混乱して、下腹部の痙攣で身悶えする彼女だった。どうしたのかと訊ねると、彼女は答えた、「ブロイヤー先生の子供が生まれるのですわ[Jetzt kommt das Kind, das ich von Dr. B. habe]」。この瞬間、彼は手に鍵を握っていた、「母への扉」を開きえた鍵である。だが彼はその鍵を落ちるに任せた。


Am Abend des Tages nachdem alle ihre Symptome bewältigt waren, wurde er wieder zu ihr gerufen, fand sie verworren, sich in Unterleibskrämpfen windend. Auf die Frage, was mit ihr sei, gab sie zur Antwort: Jetzt kommt das Kind, das ich von Dr. B. habe. In diesem Moment hatte er den Schlüssel in der Hand, der den Weg zu den Müttern geöffnet hätte, aber er ließ ihn fallen. 

ブロイラーのすべての偉大な知的天賦には、その特性においてファウスト的なものは何もなかった。月並みな恐怖に囚われて、彼は逃げ出し、患者を投げ捨て同僚に委ねた。後の数ヶ月のあいだ、アンナ・Oは、サナトリウムにて健康を取り戻そうともがき苦しんだ。


Er hatte bei all seinen großen Geistesgaben nichts Faustisches an sich. In konventionellem Entsetzen ergriff er die Flucht, und überließ die Kranke einem Kollegen. Sie kämpfte noch monatelang in einem Sanatorium um ihre Herstellung.(フロイト書簡ーーシュテファン・ツヴァイク宛、1932年6月2日)






精神分析における愛は転移と呼ばれる。愛の概念自体、精神分析においては問題含みである。それは転移の概念と問題に支配されている。愛は置換、人物に関する錯誤に過ぎないと見なされる[l'amour semble n'être qu'un déplacement - une erreur sur la personne]。私が誰かを愛するのは、常に誰か別の人を愛しているためである[Toujours, j'aime quelqu'un parce que j'aime quelqu'un d'autre.]。


この理由で精神分析における愛は偽物の刻印を押されている。精神分析は愛の価値を下げているようにさえ見える。すなわち愛の生の降格である。愛することは迷宮に彷徨うことである。愛は迷宮的である。愛の道で、人は途方に暮れ、自らを喪う。

それにもかかわらず、精神分析は愛の道を歩む。転移なき分析はない[Il n'y a pas d'analyse sans transfert]。ポストフロイト的分析によって提供されている技術的アドバイス取る。分析は転移が生まれるまでは解釈を差し控えるというアドバイスである。


分析実践自体が、愛の自動反復的特性[le caractère automatique de l'amour]を正当化し利用する。分析状況において定期的に転移の愛が起こる。愛の問題性における精神分析の新しい要素は、まさに愛の自動反復的特性である。愛されるのは、分析家であるだけで充分である[Pour être aimé, il suffit d'être analyste.]。(J.-A. Miller「愛の迷宮 Les labyrinthes de l'amour」1992)



ーーここで注意しておけば、このミレール文は約30年前のものであり、現在のミレール派(フロイト大義派)を中心とした分析治療の仕方は移行しつつある。それはかつての、分析家という知を想定された主体[sujet supposé savoir]の下で現れる転移性無意識[l'inconscient transférentiel]ーー言語内の象徴界的無意識ーーとは異なるリアルな身体的無意識への移行だが、それはここでの話題ではなく私自身詳しくない。ここでは転移性愛についてのみ注目するために上の文を掲げた。この転移はいまでも日常的に見られる、たとえばツイッターにおける男女の対話でさえ。もちろん転移には陽性転移(愛)だけでなく陰性転移(憎悪)もある。



精神分析から離れて「転移」ということを言うなら、ロラン・バルトの次の文が何よりもまず私には思い起こされる。


「わたしは恋をしているのだろうかーー然り、こうして待っているのだから。」相手の方はけっして待つことがない、自分も待つことのない者として振舞ってみようと思うことは多い。別のところで忙しくして、遅れてゆこうと努めてもみる。しかし、この勝負はいつもわたしの負けに終る。なにをどう努めてみても、結局のところ私は暇なのであり、時間に正確で、早めに来てしまっている。恋する者の宿命的自己証明は「わたしは待つものである」だ[L'identité fatale de l'amoureux n'est rien d'autre que : je suis celui qui attend.]。


(転移のあるところには常に待機がある。医師が待たれ、教師が待たれ、分析者が待たれているのだ。さらに言えば、銀行の窓口や空港の出発ゲートで待たされている場合にも、わたしは、銀行員やスチュアーデス相手にたちまち攻撃的な関係を打ちたてる。彼らの冷淡さが、わたしのおかれた隷属的状態を暴露し、わたしをいらだたせるからだ。したがって、待機のあるところには常に転移がある[partout où il y a attente, il y a transfert]。わたしは、自分を小出しにしてなかなかすべてを与えてくれようとしない存在――まるで欲望を衰えさせ、欲求を疲労させようとするかのようにーーに隷属しているのだ。待たせるというのは、あらゆる権力につきものの特権であり、「人類の、何千年来のひまつぶし」なのである。)(ロラン・バルト『恋愛のディスクール』「待機」1977年)


もっともこのバルトの文自体、精神分析的に読むことができる。わたしたちの人生において最初に待たせたのは誰だろう?


男にとっても女にとってもあの母なる原大他者である。



(原母子関係には)母なる女の支配 dominance de la femme en tant que mère がある。…語る母・幼児が要求する対象としての母・命令する母・幼児の依存を担う母が。(ラカン、S17、11 Février 1970)

母の行ったり来たり allées et venues de la mère⋯⋯行ったり来たりする母 cette mère qui va, qui vient……母が行ったり来たりするのはあれはいったい何なんだろう?Qu'est-ce que ça veut dire qu'elle aille et qu'elle vienne ? (ラカン、S5、15 Janvier 1958)

母が幼児の訴えに応答しなかったらどうだろう?……母はリアルになる elle devient réelle、…すなわち権力となる devient une puissance…全能(の母) omnipotence …全き力 toute-puissance …(ラカン、S4、12 Décembre 1956)



こうして母なる女コンプレクス(あるいは「愛憎コンプレクス Liebe-Haß-Komplex」)が生まれる、ーー《すべての女に母の影は落ちている。つまりすべての女は母なる力を、さらには母なる全能性を共有している。》( Paul Verhaeghe, THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE, 1998)



最後に私は問いを提出する。女自身は、女性の心は深い、あるいは女性の心は正しいと認めたことがかつて一度でもあったのだろうか? そして次のことは本当であろうか? すなわち、全体的に判断した場合、歴史的には、「女というもの das Weib」は女たち自身によって最も軽蔑されてきた、男たちによってでは全くなく。"das Weib" bisher vom Weibe selbst am meisten missachtet wurde - und ganz und gar nicht von uns? -(ニーチェ『善悪の彼岸』232番、1886年)

女が男の徳をもっているなら、逃げだすがよい。また、男の徳をもっていないなら、女自身が逃げだす。(ニーチェ「箴言と矢」28番『偶像の黄昏』 1888年)



ーーいやあいけねえ、次々に女の虫が湧いてくるな、ごくフツウの転移文献のつもりだったんだが。

世の中に絶えて女のなかりせばをとこの心のどけからまし(太田南畝)


生への信頼 Vertrauen zum Leben は消え失せた。生自身が一つの問題となったのである。ーーこのことで人は必然的に陰気な者、フクロウ属になってしまうなどとけっして信じないように! 生への愛 Liebe zum Leben はいまだ可能である。ーーただ異なった愛なのである・・・それは、われわれに疑いの念をおこさせる女というものへの愛 Liebe zu einem Weibe にほかならない・・・(ニーチェ対ワーグナー、エピローグ、1888)


世の中は金と女がかたきなりどふぞかたきにめぐりあひたい(太田南畝)