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2020年12月1日火曜日

あらゆる愛が同一の結果に終わる道を歩む人

 

しょうがないさ、固着という身体の出来事は永遠回帰するのさ


もし人が個性を持っているなら、人はまた、常に回帰する己れの典型的出来事を持っている。Hat man Charakter, so hat man auch sein typisches Erlebniss, das immer wiederkommt.(ニーチェ『善悪の彼岸』70番、1886年)

享楽はまさに固着である。…人は常にその固着に回帰する。La jouissance, c'est vraiment à la fixation […] on y revient toujours. (Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009)

享楽は身体の出来事である。身体の出来事の価値は、トラウマの審級にあり、固着の対象である。la jouissance est un événement de corps. La valeur d'événement de corps est […]  de l'ordre du traumatisme,[…] elle est l'objet d'une fixation. […](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)




享楽における単独性の永遠回帰の意志[vouloir l'éternel retour de sa singularité dans la jouissance](J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse XX, 10 juin 2009)


ーーとは、簡単に言えば、享楽の永遠回帰[l'éternel retour de la jouissance]であり、より厳密に言えば、享楽の固着の永遠回帰[l'éternel retour de la fixation de jouissance]だ。


1がある[Yad'lun]は …1の単独性[la singularité de l'Un]である。(J.-A. MILLER, - L'Être et l'Un, 04/05/2011)

フロイトが「固着 Fixierung」と呼んだもの…この固着点[point de fixation]が意味するのは、享楽の1がある[il y a un Un de jouissance]ということであり、それは常に同じ場に回帰し、この理由でわれわれは固着点を現実界とみなす。(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)

疑いもなく、症状は享楽の固着である。sans doute, le symptôme est une fixation de jouissance. (J.-A. MILLER, - Orientation lacanienne III, 12/03/2008)





でも、強烈な固着をもっていると、「あらゆる人間関係が同一の結果に終わる人」の道を歩むことになりかねないからな、とくに愛の道でさ。


あらゆる人間関係が、つねに同一の結果に終わるような人[Personen, bei denen jede menschliche Beziehung den gleichen Ausgang nimmt]がいるものである。かばって助けた者から、やがてはかならず見捨てられて怒る慈善家たちがいる。彼らは他の点ではそれぞれちがうが、ひとしく忘恩の苦汁を味わうべく運命づけられているようである。どんな友人をもっても、裏切られて友情を失う男たち。誰か他人を、自分や世間にたいする大きな権威にかつぎあげ、それでいて一定の期間が過ぎ去ると、この権威をみずからつきくずし新しい権威に鞍替えする男たち。また、女性にたいする恋愛関係が、みなおなじ経過をたどって、いつもおなじ結末に終る愛人たち、等々[Liebende, bei denen jedes zärtliche Verhältnis zum Weibe dieselben Phasen durchmacht und zum gleichen Ende führt usw. ]。


われわれはこの「同一のものの永遠回帰 [ewige Wiederkehr des Gleichen]」をさして不思議とも思わない、もし当人の能動的な態度を問題にするならば、また、同一の体験の反復の中に現れる不変の個性刻印[gleichbleibenden Charakterzug]を見出すならば。われわれがはるかに強く心を打たれるのは、主体は受動的に体験しているように見えるのに、それでもなおいつも同じ運命の反復を経験[Wiederholung desselben Schicksals erlebt]する場合である。 一例として、ある婦人の話を想い起こす。彼女は、つぎつぎに三回結婚し、やがてまもなく病気でたおれた夫たちを死ぬまで看病しなければならなかった。〔・・・〕この反復強迫[Wiederholungszwang]・・あるいは運命強迫[Schicksalszwang nennen könnte ]とも名づけることができるようなものについては、合理的な考察によって解明できる点が多い。(フロイト『快原理の彼岸』第3章、1920年)




理論的には、標準的な人でも愛の条件の固着は必ずあるのだけれど、強烈な固着だったらなおさらだね、永遠回帰=運命強迫=反復強迫が。ーー《ある臨界線以上の強度の事件あるいはその記憶は強度が変わらない。情況によっては逆耐性さえ生じうる。すなわち、暴露されるごとに心的装置は脆弱となり、傷はますます深く、こじれる。》(中井久夫「トラウマとその治療経験」2000年)



◼️愛の条件の固着

フロイトが Liebesbedingung と呼んだもの、つまり愛の条件、ラカンの欲望の原因がある。これは固有の徴ーーあるいは諸徴の組み合わせーーであり、愛の選択において決定的な機能をもっている。Il y a ce que Freud a appelé Liebesbedingung, la condition d’amour, la cause du désir. C’est un trait particulier – ou un ensemble de traits – qui a chez quelqu’un une fonction déterminante dans le choix amoureux.  (J.-A. Miller, On aime celui qui répond à notre question : " Qui suis-je ? " 2010)

愛は常に反復である。これは直接的に固着概念を指し示す。固着は欲動と症状にまといついている。愛の条件の固着があるのである。L'amour est donc toujours répétition, […]Ceci renvoie directement au concept de fixation, qui est attaché à la pulsion et au symptôme. Ce serait la fixation des conditions de l'amour. (David Halfon, Les labyrinthes de l'amour ーー『AMOUR, DESIR et JOUISSANCE』論集所収, Novembre 2015)



ある程度は自覚的であったほうがいいんじゃないかな、「愛の条件の固着=傷つけることを止めないもの」に。


「記憶に残るものは灼きつけられたものである。傷つけることを止めないもののみが記憶に残る」――これが地上における最も古い(そして遺憾ながら最も長い)心理学の根本命題である。»Man brennt etwas ein, damit es im Gedächtnis bleibt: nur was nicht aufhört, wehzutun, bleibt im Gedächtnis« - das ist ein Hauptsatz aus der allerältesten (leider auch allerlängsten) Psychologie auf Erden.(ニーチェ『道徳の系譜』第2論文第3節、1887年)


自覚的であっても運命強迫は止まないけど、アアマタキタ、と客観視できるよ。



ある年齢に達してからは、われわれの愛やわれわれの愛人は、われわれの苦悩から生みだされるのであり、われわれの過去と、その過去が刻印された肉体の傷とが、われわれの未来を決定づける。Or à partir d'un certain âge nos amours, nos maîtresses sont filles de notre angoisse ; notre passé, et les lésions physiques où il s'est inscrit, déterminent notre avenir. (プルースト「逃げ去る女」)