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2020年12月2日水曜日

そんなの信じられない!

 前回の話を「そんなの信じられない!」ってのは、ごく標準的な女性の反応だよ。男のほうはたいていは「そうかもな」と思う筈。それに「パロール享楽という被愛妄想的享楽」で示したように、女性の場合は、被愛妄想的享楽[la jouissance érotomaniaque]があるからな、男の場合のように単純じゃない。短く引用したからわかりにくくかったかもしれない。もう少し長く引用しておくよ。


ーーわたしたちは偶然に彼や彼女を見出すのではありません。どうしてあの男なのでしょう? どうしてあの女なのでしょう?


それはフロイトが Liebesbedingung と呼んだものです、すなわち愛の条件、ラカンの欲望の原因です。これは固有の徴なのです。あるいはいくつかの徴の組合せといってもいいでしょう。それが愛の選択に決定的な働きをするのです。これは神経科学ではまったく推し量れません。というのはそれぞれの人に特有なものだからです。彼らの単独的で内密な個人の歴史にかかわります。この固有の徴はときには微細なものが含まれています。たとえば、フロイトがある患者の欲望の原因として指摘したのは、女性の「鼻のつや Glanz auf der Nase」でした。


On ne trouve pas son chacun, sa chacune par hasard. Pourquoi lui ? Pourquoi elle ? 


Jacques Alain Miller : Il y a ce que Freud a appelé Liebesbedingung, la condition d'amour, la cause du désir. C'est un trait particulier – ou un ensemble de traits – qui a chez quelqu'un une fonction déterminante dans le choix amoureux. Cela échappe totalement aux neurosciences, parce que c'est propre à chacun, ça tient à son histoire singulière et intime. Des traits parfois infimes sont en jeu. Freud, par exemple, avait repéré comme cause du désir chez l'un de ses patients un éclat de lumière sur le nez de la femme !   


――そんなつまらないもので愛が生まれるなんて信じられない!


無意識の現実はフィクションを上回ります。あなたには思いもよらないでしょう、いかに人間の生活が、特に愛にかんしては、ごく小さなもの、ピンの頭、《神の宿る細部 divins détails》によって基礎づけられているかを。とりわけ男たちには、そのようなものが欲望の原因として見出されるのは本当なのです。フェティッシュとしての欲望の原因が愛のプロセスの引き金を引くのです。


On a du mal à croire à un amour fondé sur ces broutilles ! 


La réalité de l'inconscient dépasse la fiction. Vous n'avez pas idée de tout ce qui est fondé, dans la vie humaine, et spécialement dans l'amour, sur des bagatelles, des têtes d'épingle, des « divins détails ». Il est vrai que c'est surtout chez le mâle que l'on trouve de telles causes du désir, qui sont comme des fétiches dont la présence est indispensable pour déclencher le processus amoureux. 

ごく小さな特定のもの、父や母の想起、あるいは兄弟や姉妹、あるいは幼児期における誰かの想起もまた、女性の愛の対象選択に役割をはたします。でも女性の愛の形式は、フェティシストというよりももっと被愛妄想的です。女性たちは愛されたいのです。愛と関心、それは彼女たちに示されたり、彼女たちが他のひとに想定するものですが、女性の愛の引き金をひくために、それらはしばしば不可欠なものです。


Des particularités menues, qui rappellent le père, la mère, le frère, la sœur, tel personnage de l'enfance, jouent aussi leur rôle dans le choix amoureux des femmes. Mais la forme féminine de l'amour est plus volontiers érotomaniaque que fétichiste : elles veulent être aimées, et l'intérêt, l'amour qu'on leur manifeste, ou qu'elles supposent chez l'autre, est souvent une condition sine qua non pour déclencher leur amour, ou au moins leur consentement. (J.-A. Miller, On aime celui qui répond à notre question : " Qui suis-je ? " 2010)




男は女をフェティッシュ化する、自らの幻想にずり落ちる犠牲を払って。男は女よりはるかによく知っている、自らの享楽の条件のディテイルについて。l'homme fétichise la femme au prix de s'éclipser dans son fantasme. Un homme sait beaucoup plus sur les détails qui conditionnent sa jouissance que ne sait une femme sur la sienne. . (J.-A. Miller, L'os d'une cure, Navarin, 2018)


……………


ここではフロイトの「鼻のつや Glanz auf der Nase」の話ではなく、足フェチの話を掲げておこう。



ある男がいる。現在、女の性器や他の魅力 [das Genitale und alle anderen Reize des Weibes]にまったく無関心な男である。だが靴を履いた固有の形式の足にのみ抵抗しがたい性的興奮[unwiderstehliche sexuelle Erregung ]へと陥る。


彼は6歳のときの出来事を想い起こす。その出来事がリビドーの固着[Fixierung seiner Libido]の決定因だった。


彼は背もたれのない椅子に座っていた。女の家庭教師の横である。初老の干上がった醜いオールドミスの英語教師。血の気のない青い目とずんぐりした鼻。その日は足の具合が悪いらしく、ビロードのスリッパSamtpantoffelを履いてクッションの上に投げ出していた。


彼女の脚自体はとても慎み深く隠されていた。痩せこけた貧弱な足。この家庭教師の足である。彼は、思春期に平凡な性行動の臆病な試み後、この足が彼の唯一の性的対象になった。男は、このたぐいの足が英語教師のタイプを想起させる他の特徴と結びついていれば、否応なく魅惑させられる。彼のリビドーの固着は、彼を足フェチ[Fußfetischisten]にしたのである。(フロイト『精神分析入門』第22章、1917年)




フェティッシュは女性のファルス(母のファルス)の代理物である。der Fetisch ist der Ersatz für den Phallus des Weibes (der Mutter) ……


我々は、喪われた女性のファルス vermißten weiblichen Phallus の代替物として、ペニスの象徴 Symbole den Penis となる器官や対象 Organe oder Objekte が選ばれると想定しうる。これは充分にしばしば起こりうるが、決定的でないことも確かである。フェティッシュ Fetisch が設置されるとき、外傷性健忘 traumatischer Amnesie における記憶の停止 Haltmachen der Erinnerung のような或る過程が発生する。またこの場合、関心が中途で止まってしまったような状態となり、あの不気味でトラウマ的な直前の印象が、フェティッシュとして保持される。der letzte Eindruck vor dem unheimlichen, traumatischen, als Fetisch festgehalten


こうして、足あるいは靴がフェティッシューーあるいはその一部――として優先的に選ばれる。これは、少年の好奇心が、下つまり足のほうから女性器のほうへかけて注意深く探っているからである。毛皮とビロード Pelz und Samtはーーずっと以前から推測されていたようにーー、垣間見られた陰毛の光景への固着 fixieren den Anblick der Genitalbehaarung である。これには、あの強く求めていた女性のペニス weiblichen Gliedes の姿がつづいていたはずなのである。


とてもしばしばフェティッシュに選ばれる下着類は、脱衣の瞬間、すなわち、まだ女性をファリックphallischだと考えていてよかったあの最後の瞬間をとらえている。だが私は、フェティッシュの決定が毎回確実に見通せる、というつもりはない。


フェティシズムの研究は、去勢コンプレクスの実在をいまだ疑ったり、あるいは女性の性器に対する恐怖 Schreck vor dem weiblichen Genitaleには他の理由があるとする人々に是非お勧めしたい。たとえば出産外傷の記憶 Erinnerung an das Trauma der Geburtを想定している人もいる。このフェティッシュの解釈となると、私にはまた別の学問的興味がある。(フロイト『フェティシズム Fetischismus』1927年)




ふたつとも「ビロード」ーー「ビロードのスリッパ Samtpantoffel」「毛皮とビロード Pelz und Samt」ーーと出て来るのは、フロイト自身の経験の問題かも知れないけど。たとえばフロイトの犬フェチはひょっとしてそれが起源かも。





フロイトには「母の裸 Matrem nudam」の話がある(彼は生涯「汽車恐怖症」があった)。


後に(2歳か2歳半のころ)、私の母へのリビドー[meine Libidogegen matrem ]は目を覚ました。ライプツィヒからウィーンへの旅行の時だった。その汽車旅行のあいだに、私は母と一緒の夜を過ごしたに相違ないない。そして母の裸[sie nudam]を見る機会があったに相違ない。〔・・・〕あなた自身も私の旅行不安が咲き乱れるのを見たでしょう。

daß später (zwischen 2 und 2 1/2 Jahren) meine Libidogegen matrem erwacht ist, und zwar aus Anlaß der Reise mir ihr von Leipzig nach Wien, auf welcher eb gemeinsames Übernachten und Gelegenheit, sie nudam zu sehen, vorge fallen sein muß […] Meine Reiseangst hast Du noch selbst b Blüte gesehen.(フロイト、フリース宛書簡 Briefe an Wilhelm Fließ, 4.10.1897)


この2歳から2歳半という年齢はフロイトの間違いで、実際の旅行時期は、4歳前後だとするのが現在の通説(上の書簡の前後の記述からどうしてもそう判断せざるを得ないのに、なぜフロイトは記述間違いをしたのか、というほうが関心の対象)。


Freud confie avoir vu le corps de sa mère (matrem nudam) en faisant sur son âge des erreurs (il estime qu'il avait entre 2 ans et 2 ans et demi, alors qu'il avait 4 ans),(Françoise Coblence, Presses Universitaires de France | « Revue française de psychanalyse » 2008/3 )



隠された自叙伝とも言われる『夢解釈』にはこうあるから、指でも突っ込んだんじゃないかね、それとも隠毛をナデナデしたか・・・


風景あるいは土地の夢で、われわれが、ここへは一度きたことがある[Da war ich schon einmal.]とはっきりと自分にいってきかせるような場合がある。さてこの「既視感〔デジャヴュ déjà vu〕」は、夢の中では特別の意味を持っている。その場所はいつでも母の性器[Genitale der Mutter] である。事実「すでに一度そこにいたことがある [dort schon einmal war]」ということを、これほどはっきりと断言しうる場所がほかにあるであろうか。ただ一度だけ私はある強迫神経症患者の見た「自分がかつて二度訪ねたことのある家を訪ねるer besuche eine Wohnung, in der er schon zweimal gewesen sei.lという夢の報告に接して、解釈に戸惑ったことがあるが、ほかならぬこの患者は、かなり以前私に、彼の六歳のおりの一事件を話してくれたことがある。彼は六歳の時分にかつて一度、母のベッドに寝て、その機会を悪用して、眠っている母の陰部に指をつっこんだことがあった[Finger ins Genitale der Schlafenden einzuführen.](フロイト『夢解釈』1900年)