私はフロイトラカンをめぐってほとんど引用を投げ出すようにしか記していないので、わかりにくいところがあるだろうが、ラカンにおける「妄想」とは、言語自体が妄想なのであって、これを受け入れるならパロールが妄想なのは当たり前である。
それを以下に可能なかぎりーーしかしこれは何もラカンだけの観点ではないことを芥川とニーチェを挿入してーー簡潔に示しておく。
そのうちに又あらゆるものの譃であることを感じ出した。政治、実業、芸術、科学、――いずれも皆こう云う僕にはこの恐しい人生を隠した雑色のエナメルに外ならなかった。(芥川龍之介『歯車』1927年) |
ーーすべてが嘘だとある。どうだろう、この感を抱いたことはないだろうか? 《とにもかくにも、嘘を糧にしてわが身を養って来たことには、許しを乞おう。そして出発だ。Enfin, je demanderai pardon pour m'être nourri de mensonge. Et allons.》(ランボー「別れ Adieu」) |
「仮象の」世界が、唯一の世界である。「真の世界」とは、たんに嘘によって仮象の世界に付け加えられたにすぎない…[Die »scheinbare« Welt ist die einzige: die »wahre Welt« ist nur hinzugelogen... ](ニーチェ『偶像の黄昏』「哲学における「理性Vernunft」」 1888年) |
仮象はシニフィアン自体のことである![ Ce semblant, c'est le signifiant en lui-même ! ](Lacan, S18, 13 Janvier 1971) |
言説自体、常に仮象の言説である。[le discours, comme tel, est toujours discours du semblant] (Lacan, S19, 21 Juin 1972) |
ーーニーチェラカンにとって言語自体が仮象=嘘なのである。 |
言語はレトリックである。言語はドクサのみを伝え、 何らエピステーメを伝えようとはしない。die Sprache ist Rhetorik, denn sie will nur eine doxa, keine episteme Übertragen (ニーチェ講義録WS 1871/72 – WS 1874/75) |
言語は存在しない。le langage, ça n'existe pas.(Lacan, S25, 15 Novembre 1977) |
象徴界は言語である。Le Symbolique, c'est le langage(Lacan, S25, 10 Janvier 1978) |
ーー言語は存在しない。象徴界は存在しない。つまり仮象に過ぎない。これを妄想と呼ぶ。 |
私は言いうる、ラカンはその最後の教えで、すべての象徴秩序は妄想だと言うことに近づいたと。Je dois dire que dans son dernier enseignement, Lacan est proche de dire que tout l'ordre symbolique est délire〔・・・〕 |
ラカンは1978年に言った、「人はみな狂っている、すなわち人はみな妄想する tout le monde est fou, c'est-à-dire, délirant」と。〔・・・〕 あなた方は精神分析家として機能しえない、もしあなた方が知っていること、あなた方自身の世界は妄想だと気づいていなかったら。我々は言う、幻想的と。しかし幻想的とは妄想的のことである。分析家であることは、あなた方の世界、あなた方が意味を為す仕方は妄想的であることを知ることである。Vous ne pouvez pas fonctionner comme psychanalyste si vous n'êtes pas conscient que ce que vous savez, que votre monde, est délirant – fantasmatique peut-on-dire - mais, justement, fantasmatique veut dire délirant. Etre analyste, c'est savoir que votre propre fantasme, votre propre manière de faire sens est délirante (J.-A. Miller, Retour sur la psychose ordinaire; 2009) |
ーーミレールの言っている通り、ラカンは1978年以前は「幻想」と言っていた。
じつは、この世界は思考を支える幻想でしかない。それもひとつの「現実」には違いないかもしれないが、現実界の顰め面[grimace du réel]として理解されるべき現実である。alors qu'il(monde) n'est que le fantasme dont se soutient une pensée, « réalité » sans doute, mais à entendre comme grimace du réel.(Lacan, Télévision, AE512、Noël 1973) |
現実はない。現実は幻想によって構成されている。il n'y a pas de réalité.La réalité n'est constituée que par le fantasme,(Lacan, S25, 20 Décembre 1977) |
以上、基本的には仮象=妄想である。当面ここまでをーー納得はしなくてもラカンの思考をーーしかと確認されたし。この記事自体、言語使用による「妄想」である。
……………
以下は付記的に示しておくが、ラカン派プロパでなければ、やり過ごしてよろしい。
すべてが仮象ではない。或る現実界がある。社会的結びつきの現実界は性関係の不在である。無意識の現実界は、話す身体である。tout n'est pas semblant, il y a un réel. Le réel du lien social, c'est l'inexistence du rapport sexuel. Le réel de l'inconscient, c'est le corps parlant. 象徴秩序が現実界を統制し、現実界に象徴的法を課す知として考えられていた限り、臨床は、神経症と精神病とにあいだの対立によって支配されていた。Tant que l'ordre symbolique était conçu comme un savoir régulant le réel et lui imposant sa loi, la clinique était dominée par l'opposition entre névrose et psychose. |
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象徴秩序は今、仮象のシステムと認知されている。象徴秩序は現実界を統治するのではなく、むしろ現実界に従属している。象徴秩序は「性関係はない」という現実界へ応答するシステムである。L'ordre symbolique est maintenant reconnu comme un système de semblants qui ne commande pas au réel, mais lui est subordonné. Un système répondant au réel du rapport sexuel qu'il n'y a pas. (J.-A. MILLER, L'INCONSCIENT ET LE CORPS PARLANT、2014) |
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ーーと引用したらおそらくなぜ「性関係はない」のかという話になるが、それはここでは少し触れるだけにする。 旧来、「女性のシニフィアンの排除[la forclusion du signifiant de la femme]=女というものは存在しない[La femme n'existe pas]」がその原因だと語られてきたが、最晩年のラカン観点からは「男というものも存在しない」(参照)。
したがってより根底には、主体の故郷には自閉症があるせいだとされるようになりつつある(参照:「一者がある Y'a d'l'Un」)。もっとも女性のシニフィアンの排除と自閉症は相関関係がないではないが。 本来の自閉症とはーー現在のDSMのそれとは異なりーーその造語者ブロイラーがすでに示しているように、フロイトの自体性愛のことでありーー《自閉症はフロイトが自体性愛と呼ぶものとほとんど同じものである。Autismus ist ungefähr das gleiche, was Freud Autoerotismus nennt.》 (ブロイラー、1911年)ーー、これがラカンの自己身体の享楽=享楽自体である(参照)。 何よりもまずこの自体性愛が「性関係はない」の真の内実である。
話をもどして妄想をめぐってもう少し引用しておこう。 |
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フロイトはすべては夢だけだと考えた。すなわち人はみな(もしこの表現が許されるなら)、ーー人はみな狂っている。すなわち人はみな妄想する。 Freud[…] Il a considéré que rien n’est que rêve, et que tout le monde (si l’on peut dire une pareille expression), tout le monde est fou, c’est-à-dire délirant (Jacques Lacan, « Journal d’Ornicar ? », 1978) |
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ーー見ての通り、ラカンの妄想とはフロイトの夢である。 |
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「人はみな狂っている(人はみな妄想する)」の臨床の彼岸には、「人はみなトラウマ化されている」がある。この意味はすべての人にとって穴があるということである[au-delà de la clinique, « Tout le monde est fou » tout le monde est traumatisé …ce qu'il y a pour tous ceux-là, c'est un trou. ](J.-A. Miller, Vie de Lacan, 17/03/2010 ) |
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ーー人にはみな言語外の身体の領域にはリアルな穴があるから、それに対して何かを「心的に−言語的に」発明しなくてはならない。この発明をラカンは最晩年、妄想といいかえたのである。
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穴、それは非関係・性を構成する非関係によって構成されている。un trou, celui constitué par le non-rapport, le non-rapport constitutif du sexue(Lacan, S22, 17 Décembre 1974) |
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ラカンの発言「人はみな狂っている 」。この正当化されたレベルにおいて…、各人は性関係の構築をする。すなわち各人は性的妄想を抱く。Lacan Tout le monde est fou. C'est à ce niveau-là que c'est justifié,…chacun a sa construction, chacun a son délire sexuel.(J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse III, 26 novembre 2008) |
現在、この「妄想」をより一般に受け入れ易くするために「防衛」と言い換える注釈者もいる。 |
われわれは読みうる、ラカンの「人はみな狂っている、すなわち人はみな妄想する」は、われわれの言説はすべて現実界に対する防衛だと言っていると。nous pouvons lire « tout le monde est fou, c’est-à-dire délirant » pour dire que tous nos discours sont défense contre le réel (Gustavo Stiglitz, Retour à le joint intime, 2018) |
以上。