人類愛(?)と革命(?)を思考するには、何よりもまず次の三文をじっくり眺めて思いを馳せることである。
地球から見れば、ヒトは病原菌であろう。しかし、この新参者はますます病原菌らしくなってゆくところが他と違う。お金でも物でも爆発的に増やす傾向がますます強まる。(中井久夫「ヒトの歴史と格差社会」初出 2006年『日時計の影』所収) |
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地球にとってもっともよいのは、三分の二の人間が死ぬような仕組みをゆっくりとつくることではないだろうか。 Wouldn't the best thing for the earth be to organize slowly so that two thirds of the people will die? (ジジェク『革命を語る DEMANDING THE IMPOSSIBLE』2013) |
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二〇世紀には今までになかったことが起こっている。〔・・・〕百年前のヒトの数は二〇億だった。こんなに急速に増えた動物の将来など予言できないが、危ういことだけは言える。 しかも、人類は、食物連鎖の頂点にありつづけている。食物連鎖の頂点から下りられない。ヒトを食う大型動物がヒトを圧倒する見込みはない。といっても、食料増産には限度がある。「ヒトの中の自然」は、個体を減らすような何ごとかをするはずだ。ボルポトの集団虐殺の時、あっ、ついにそれが始まったかと私は思った。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」初出2000年『時のしずく』所収) |
増えすぎたのである、とくに20世紀というとんでもない世紀に。
21世紀は20世紀のこの悪と闘うべく宿命づけられている
コロナは残念ながら救世主になりえなかった
では何を期待したらよいのか
78億人を20億人にするために
もっともしばらく静観していればなんとかなる可能性がある
21世紀のヒト属が耐えたらすむ話である
今の若いヒトは20世紀の負債を担って
貧乏くさく死んでいく他ない
22世紀の若者たちのために、である
無謀に新種のポルポトを待望しないようにされたし
農業コミューンなんてのはどうだい
茨木のり子に「六月」というコミューン乱交詩があるけどさ
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒ビール
鍬を立てかけ 籠をおき
男も女も大きなジョッキをかたむける
鋤と籠を存分に使えるかもよ
もっともコミューンというのは性的魅力が赤裸々になって
嫉妬と羨望を生むシステムだろうから
鋤と籠をしっかり磨いておかなくちゃな
私はコミュニズムを経済学的観点から批判するつもりはない。…しかし私にも、コミュニズム体制の心理的前提がなんの根拠もないイリュージョン[Illusion]であることを見抜くことはできる。 私有財産制度を廃止すれば、人間の攻撃欲[Aggressionslust] からその武器の一つを奪うことにはなる。それは、有力な武器にはちがいないが、一番有力な武器でないこともまた確かなのだ。私有財産がなくなったとしても、攻撃性が自分の目的のために悪用する力とか勢力とかの相違はもとのままで、攻撃性の本質そのものも変わっていない。 |
攻撃性は、私有財産によって生み出されたものではなく、私有財産などはまたごく貧弱だった原始時代すでにほとんど無制限の猛威を振るっていたのであって、私有財産がその原始的な肛門形態を放棄するかしないかに早くも幼児の心に現われ、人間同士のあらゆる親愛的結びつき・愛の結びつき[ zärtlichen und Liebesbeziehungen] の基礎を形づくる。唯一の例外は、おそらく男児に対する母親の関係だけだろう。 物的な財産にたいする個人の権利を除去しても、性関係[ sexuellen Beziehungen ]の特権は相変わらず残るわけで、この特権こそは、その他の点では平等な人間同士のあいだの一番強い嫉妬と一番激しい敵意の源泉[Quelle der stärksten Mißgunst und der heftigsten Feindseligkeit] にならざるをえないのである。(フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第5章、1930年) |
注)コミュニズムのような運動の目標が、「万人の平等こそ正義なり」などという抽象的なものであるなら、さっそく次のような反論が起こるだろう。すなわち、「自然は、すべての人間に不平等きわまる肉体的素質と精神的才能[körperliche Ausstattung und geistige Begabung]をあたえることによって種々の不正 Ungerechtigkeiten を行っており、これにたいしてはなんとも救済の方法が無いではないか」と。(フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第5章、1930年) |
精神的才能なんてどうでもいいさ
肝腎なのは性的魅力に決まってる
で、コミューンでもやっぱりポルポトが必要かもね
ポルポトは知識人の片鱗をみせる者として歯科医までを殺したが、21世紀のコミューンでは色男色女のほうこそ「社会的正義」のために抹殺しないとな。 |
社会の中に集合精神[esprit de corps]その他の形で働いているものがあるが、これは根源的な嫉妬[ursprünglichen Neid]から発していることは否定しがたい。 だれも出しゃばろうとしてはならないし、だれもがおなじであり、おなじものをもたなくてはならない。社会的正義[Soziale Gerechtigkeit]の意味するところは、自分も多くのことを断念するから、他の人々もそれを断念しなければならない、また、 おなじことであるが他人もそれを要求することはできない、ということである。この平等要求[Gleichheitsforderung ]こそ社会的良心[sozialen Gewissens]と義務感 [Pflichtgefühls ]の根源である。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第9章、1921年) |
最も肝腎なことは、人類愛やら正義やらと口に出したくなる時、ーーー手始めにははわずかでもよろしいーー自らの暗部には性欲動や復讐欲(ルサンチマン)などがあるのでは、と疑ってみることである。 |
性欲動の発展としての同情と人類愛。復讐欲動の発展としての正義。[Mitleid und Liebe zur Menschheit als Entwicklung des Geschlechtstriebes. Gerechtigkeit als Entwicklung des Rachetriebes. ](ニーチェ「力への意志」遺稿、1882 - Frühjahr 1887 ) |