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2021年2月24日水曜日

元来女は何を欲するのか

 漱石の「元来あの女はなんだろう」に引き続き、フロイトの「元来女は何を欲するのか」である。


三十年ものあいだ、女性の魂を探求したにもかかわらず、私が答えることができない大きな謎とは、「元来女は何を欲するのか」である。Die große Frage, die ich trotz meines dreißigjährigen Studiums der weiblichen Seele nicht zu beantworten vermag, lautet: "Was will eine Frau eigentlich?" (Freud, Antwort an Marie Bonaparte, 1932)



漱石が示したような感を昔も今も抱いているんじゃないかね、ホンネのところは。現在はポリコレフェミに去勢されていてホンネがでないだけさ。


フロイトの名高い問いがある、「女は何を欲しているのか」と。男として彼は自問した。おそらく女としてもまた。我々は三十年ラカンの教えにもかかわらず、答えをもっていない。我々は試みた。ゆえにこれは決定的な問いだ。


Freud s'est posé la fameuse question : « Que veut une femme ? » Il se l'est posée en tant qu'homme. Peut-être en tant que femme aussi. 

Malgré trente années d'enseignement de Lacan, nous n'avons pas la réponse. On a pourtant bien essayé. Ce n'est donc pas une question discriminante.


別の問いがある。長いあいだ悩まされてきた問いだ。それは「アメリカ人は何を欲するのか」だ。私には答えがある。部分的な答えだが。アメリカ人はスラヴォイ・ジジェクを欲している! 連中はジジェクのラカンが欲しいのだ。アメリカ人はフロイト的領野のラカンよりもジジェクのラカンを好む。たぶんさしあたりは。連中はきわめて明瞭な概念を欲するのだろうか? あるいは議論の余地を欲するのだろうか? 話し合う余地を? そしてこれは精神分析概念の問題だ。


J'ai une autre question qui m'a troublé pendant des années :« Que veulent les Américains ? » J'ai la réponse ! Une réponse partielle. Ils veulent Slavoj Zizek ! Ils veulent le Lacan de Slavoj Zizek. Ils le préfèrent au Lacan du Champ freudien. Pour le moment peut-être. La question est en fait la suivante. Veulent-ils des concepts très définis ? Ou veulent-ils de l'espace pour discuter ? Un espace de dispute ? Ce qui est le cas avec les concepts de la psychanalyse. (J.-A. Miller, Retour sur la psychose ordinaire;  2009)




ジャック=アラン・ミレール曰くのジジェクという「パンドラの箱」の話はもう何度も示したのでここでは触れないが、とはいえアリカ人だけでなく日本人もジジェクを好んできた。私もそのうちのひとりだった。面白おかしく早わかりしたいんだ。


ジジェクは欲望レベルの話はそれほど問題はない。だがラカンをある程度知ると、欲動レベルの話はボロボロなのが「きわめて明瞭に」わかる。かりに欲動つまりリアルな享楽の話をしていても、ほとんど常に象徴界から見た欲動で、欲望が欲動に対する防衛だという後期ラカンの観点(事実上のフロイト観点)を多くの場合外してしまっている。




人が欲望レベルに踏み止まっていたいならジジェクでいいさ(参照)。




ま、そもそも現在、ほとんどの人はイギリス人だからな、フロイトラカン学者も含め。


人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである。Hat man sein warum? des Lebens, so verträgt man sich fast mit jedem wie? - Der Mensch strebt nicht nach Glück; nur der Engländer tut das. (ニーチェ『偶像の黄昏』「箴言と矢」12番、1888年)


ジジェク自身こう言っている。


It was Nietzsche who observed that “human beings do not desire happiness,only the Englishmen desire happiness”- today’s globalized hedonism is thus merely the obverse of the fact that, in the conditions of global capitalism, we are ideologically “all Englishmen” (or, rather, Anglo-Saxon Americans…)ZIZEK, LESS THAN NOTHING, 2012)


ーーつまり世界資本主義の条件の下では、我々はみなイデオロギー的にイギリス人だ(あるいはむしろアングロサクソンアメリカ人だ)と。


これは「正しい」指摘であるにしろ、自分の読者の分析が足りないんじゃないか、なぜあの程度のラカンで満足しているのかという分析が。