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2021年3月1日月曜日

シロイハト

 

ゴダール, 2 ou 3 choses que je sais d'elle、1966


彼女の股は空虚である

ぼくはそこに乞食が物を乞うのをさえ見た

ぼくの精液は白い鳩のように羽搏く


ーー瀧口修造「地上の星」



Godard Masculin féminin: 1966



おい、バカなこと言ってくるんじゃないよ、

成熟だって?

父の名信者のモロ神経症者は

蚊居肢ブログに触れるべからず



ラカンによって幻想のなかに刻印される対象aは、まさに「父の名 Nom-du-Père」と「父の隠喩 métaphore paternelle」の支配から逃れる対象である。〔・・・〕


この対象は、いわゆるファルス期において、吸収されると想定された。これが言語形式forme linguistique において、「ファルスの意味作用 la signification du phallus」とラカンが呼んだものによって作られる「父の隠喩 métaphore paternelle」である。


この意味は、いったん欲望が成熟したら、すべての享楽は「ファルス的意味作用 la signification phallique」をもつということである。言い換えれば、欲望は最終的に、「父の名」のシニフィアンのもとに置かれる。この理由で、「父の名」による分析の終結が、欲望の成熟を信じる分析家すべての念願だと言いうる。


そしてフロイトは既に見出している、成熟などないと。フロイトは、「父の名」はその名のもとにすべての享楽を吸収しえないことを発見した。フロイトによれば、まさに「残滓 restes」があるのである。その残滓が分析を終結させることを妨害する。残滓に定期的に回帰してしまう強迫がある。


セミネール4において、ラカンは自らを方向づける。それは、その後の彼の教えにとって決定的な仕方にて。私はそれをネガの形で示そう。ラカンによって方向づけられた精神分析の実践にとって真の根本的な言明。それは、成熟はない il n'y pas de maturation 。無意識としての欲望にはどんな成熟もない ni de maturité du désir comme inconscient である。( J.-A. Miller「大他者なき大他者 L'Autre sans Autre 」2013ーーファルスの意味作用と残滓