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2021年3月17日水曜日

日本社会における性差別の主因

 城繁幸氏のブログを感心して読むことが多いのだが、これも鋭い指摘だな。フェミニストの方々は場当たり的に文句を言い放つだけではなく、こういった根にある日本社会の構造的問題を問わないと、いつまでも性差別は終わらないよ。


森会長の発言ってどうしてここまで叩かれてるの?と思った時に読む話

城 繁幸 2021年02月25日

〔・・・〕

昨年、世界経済フォーラムが毎年発表している男女格差指数ランキングで日本が過去最低順位を更新したことがちょっとした話題となりました。


【参考リンク】ジェンダーギャップ指数ランキング2020


アラブ首長国連邦とクウェートに挟まれての堂々たる121位です。むろん先進国中ぶっちぎりの最下位です。とりあえず大前提として、日本は世界に冠たる性差別大国なんですね。


指数を構成する要素を詳しく見てみると、経済115位、政治144位が大きく足を引っ張っていることがわかります。

その理由ですが、やはり終身雇用制度が、女性がベースとなるキャリアを積むことを阻み、結果として賃金格差や政治家へのキャリアを閉ざしているというのが大きいです。筆者はずっと以前から言ってきましたが、終身雇用制度というのは強烈な男尊女卑が根底にある仕組みなんですよ(その理由は後述します)。


たとえば多くの大企業ではコース別採用なるものが存在し、幹部候補である総合職と、事務一般で昇給も出世も限られる一般職なるコースが存在しています。


以前はそんなものはなかったんですが「同じ仕事、勤続年数なのに男性従業員よりはるかに低い賃金なのはおかしい」という女性従業員の訴えが認められたため、企業側が予防措置的に導入したものです。


「男女格差ではありません。コースごとに処遇が異なるだけです」という言い訳のためですね。でも総合職はそのほとんどが男性であり、一般職は100%女性というのは社会人なら誰でも知っている事実です。


外資しか知らない人なんかにコース別採用の話をするとたいていびっくりされますね。「それ一発アウトでしょ。ていうかそもそもなんでそんなことする必要あるの?」みたいな。

というか、そういう制度を黙認しつつ組織の一員としてお給料もらってる時点で、もう森さんにどうこう言う資格なんてない気もしますけどね(苦笑)


ちなみに総合職における女性の割合ですが、90年代は新卒100人採ったうちの2,3人くらいでしたね。その2,3人も大口取引先の娘さんみたいな縁故なので実質ほぼゼロと言っていいでしょう。


近年は2割を超えるまでに増えてはいますが(コース別雇用管理制度の実施・指導状況2014)、それも企業が多様化したというよりあまりにも新卒が少なすぎるから仕方なく増やしている印象です。〔・・・〕




終身雇用制度というのはどこに起源があるかと言えば、江戸文化じゃないだろうか。もう30年前の話だが、柄谷行人は日本的生活様式は、江戸文化だと言っている。


柄谷)コジューヴは五九年に日本へ来たんですけれども、その時に自分は世界史が終わった時点ではアメリカのようになるであろうと思っていたけれども、それは間違っていた。日本のようになると言い出したわけです。精神とか人間というのは闘争においてあるというのがヘーゲルの考えで、闘争が終われば動物的になってしまう。しかし、そうならないで、なおかつポスト歴史的な生の形式でありうる。それが日本人だと言うわけです。ところで日本人は、関ヶ原の戦争以来闘争がない。彼は具体的には江戸時代のことを言っているんだけれども、江戸時代に日本人がつくりあげた生存形式、ジャパニーズ・ウエイ・オヴ・ライフと言うべきだろうけども、これを彼はスノビズムと呼ぶわけです。それは、動物のようになることではない。まだ人間的ではあるんだけれども、いささかも人間的内容なしに、あるいは意味なしに、単に形式的な、戯れだけで行動してしまえること、それが日本的な生活様式であると。これは実際に江戸文化のことですね。〔・・・〕


彼が注目したのは、茶道とか生花とか、あるいは自殺、腹切りですね。三島由紀夫がそのあと、十年後に自殺したわけですけど、これは典型的にそういう意味でのスノビズムになってます。ところがぼくは、スノビズムはそういうところにあるよりも、むしろもっとありふれた日本人の「会社」的な生存のし方にあると思います。


つまり日本人、会社では、なんのためか知らないけれど一生懸命働いてしまう。いささかの人間的内容もなく、頑張ってしまう。早くから入学試験にそなえて頑張るのもそうですね。その形態、つまり日本の高度成長段階の生存形態というのが、スノビズムではないかと思うんです。消費社会的なものが猛烈に表面化してきたのが八十年代で、この段階でまさに江戸的になるんですね。意味のない形式的な差異だけを、これは広告でもブランドども何でもいいんですけど、それだけを追いかける。こういう生存のし方が出てきて、しかもそれを吉本隆明なんかが「超西洋的」と呼ぶわけでしょう。

情報というのは観念(意味)を物質という対立を、差異(形式)に還元してしまう考え方です。まさにそういう意味での「情報社会」というのは、西洋ではなくて、日本のあらゆる領域で実現されたと思う。(『終わりなき世界』1990年)


江戸文化の特徴を中井久夫は次のようにまとめている。


江戸幕府の基本政策はどういうものであったか。刀狩り(武装解除)、布教の禁と檀家制度(政教分離)、大家族同居の禁(核家族化)、外征放棄(鎖国)、軍事の形骸化(武士の官僚化)、領主の地方公務員化(頻繁なお国替え)である。特に家康の決めた「祖法」は変更を許されなかった。その下で、江戸期の特徴は航海術、灌漑技術、道路建設、水道建設、新田開発、手工業、流通業、金融業の発達である。江戸は人口百万の世界最大都市となり、医師数(明治二年で一万人)も国民の識字率もおそらく世界最高であった。江戸期に創立された商社と百貨店と多くの老舗は明治期も商業の中核であり、問屋、手形、為替など江戸の商業慣行は戦後も行なわれて、「いまだ江戸時代だ」と感じることがたくさんあった。(中井久夫「歴史にみる「戦後レジーム」」初出2007年6月「神戸新聞」『日時計の影』所収)


2020年になってもまだこの文化の残存物はあるだろう、とくに大企業においては明瞭に。そしてこの文化は少なくとももかつては日本の成長を支えてきた。


磯崎新は、2010年の毎日新聞のインタヴュー記事「特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか」で「鎖国のすすめ」と読みうる発言をしているが、具体的には「江戸文化様式のすすめ」と言ってよいだろう。


ーー日本は鎖国状態でやっていけますか? 


「日本は鎖国状態を恐れる必要はありませんよ。今の日本は、米国から外される、中国から追い抜かれるとビクビクしている。だけど、日本はむしろ孤立した方がいいんです」。意外な答えが返ってきた。


「僕はこの鎖国状態の期間を『和様化の時代』と呼んでいいと思います。歴史を見れば、和様化の時代は、輸入した海外の技術を徐々に日本化していく時期にあたります。今はこの和様化、つまり『日本化』を徹底する時期だと思いますね」


磯崎さんに言わせれば伊勢神宮もしかり。漢字とひらがなが入り交じった日本語も、外国語をいかに日本化するかを考えたことから今の形となった。戦 後で言えば、自動車やカメラだ。日本が始めた産業ではないにもかかわらず、実用化、大量化、精密化して世界の群を抜く製品化に成功した。


 「どう言ったらいいんですかね」などと言葉を探しながら語る磯崎さん。


歴史を振り返ると、日本人は鎖国状態の時期、非常に細かい技術を駆使して、発案した人たちを脅かすものをつくり続けてきた。そして、その時期にできた日本語や自動車などの日本的なものが、日本の文化や産業の歴史的な主流になってきています」




最後にーーここでの話題からいくらか離れて(?)ーーもう一度中井久夫を引用して、現在、江戸文化様式がどのように残っているのかの吟味の材料にしよう。


意地について考えていると、江戸時代が身近に感じられてくる。使う言葉も、引用したい例も江戸時代に属するものが多い。これはどういうことであろう。


一つは、江戸時代という時代の特性がある。皆が、絶対の強者でなかった時代である。将軍も、そうではなかった。大名もそうではなかった。失態があれば、時にはなくとも、お国替えやお取り潰しになるという恐怖は、大名にも、その家臣団にものしかかっていた。農民はいうまでもない。商人層は、最下層に位置づけられた代わりに比較的に自由を享受していたとはいえ、目立つ行為はきびしく罰せられた。そして、こういう、絶対の強者を作らない点では、江戸の社会構造は一般民衆の支持を受けていたようである。伝説を信じる限りでの吉良上野介程度の傲慢ささえ、民衆の憎悪を買ったのである。こういう社会構造では、颯爽たる自己主張は不可能である。そういう社会での屈折した自己主張の一つの形として意地があり、そのあるべき起承転結があり、その際の美学さえあって、演劇においてもっとも共感される対象となるつづけたのであろう。


そして現在の日本でも、「民主的」とは何よりもまず「絶対の強者」がいないことが条件である。「ワンマン」がすでに絶対の強者ではない。「ワンマン」には(元祖吉田茂氏のような)ユーモラスな「だだっ子」らしさがある。「ワンマン」は一種の「子ども」として免責されているところがある。


二つには、一九八〇年代後半になっても、いまだ江戸時代に築かれた対人関係の暗黙のルールが生きているのではないかということである。われわれの職場にいくらコンピューターがはいっても、職場の対人関係は、江戸時代の侍同士の対人関係や徒弟あるい丁稚の対人関係、または大奥の対人関係と変わらない面がずいぶんあるということである。政治にも、官僚機構にも、変わっていない面があるのではないか。非公式的な集まりである運動部や、社会体制に批判的な政党や運動体においても、そういう面があるのではないか。


いじめなどという現象も、非常に江戸的ではないだろうか。実際、いじめに対抗するには、意地を張り通すよりしかたがなく、周囲からこれを援助する有効な手段があまりない。たとえ親でも出来ることが限られている。意地を張り通せない弱い子は、まさに「意気地なし」と言われてさらに徹底的にいじめられる。いじめの世界においても、絶対の強者は一時的にあるくらいが関の山であるらしい。また、何にせよ目立つことがよくなくて、大勢が「なさざるの共犯者」となり、そのことを後ろめたく思いながら、自分が目立つ「槍玉」に挙がらなかったことに安堵の胸をひそかになでおろすのが、偽らない現実である。そして、いじめは、子供の社会だけでなく、成人の社会にも厳然としてある。


日本という国は住みやすい面がいくつもあるが、住みにくい面の最たるものには、意地で対抗するよりしかたがない、小権力のいじめがあり、国民はその辛いトレーニングを子供時代から受けているというのは実情ではないだろうか。(中井久夫「意地の場について」初出1987年『記憶の肖像』所収)



もうひとつ。

なぜ、日本が近代化に生きのびられたか、日本では有名な人はたいしたことがない。無名の人が偉いのだ。目立たないところで、勤勉と工夫で日本を支えている無名の人が偉いのだ。この人たちが心理的に征服された時、太平洋戦争が始まった。


勤勉と工夫に生きる人は、矛盾の解決と大問題の処理が苦手なのだ。そもそも大問題が見えにくい。そして、勤勉と工夫で成功すればするほど、勤勉と工夫で解決できる問題は解消して、できない問題だけが残る。(中井久夫『「昭和」を送る』)


勤勉と工夫に生きる人はだいぶ減っただろうよ。

でも大問題が見えにくい人は? ーーさあてね