このブログを検索

2021年3月28日日曜日

ドゥルーズのフロイト解釈の際立って優れた点

 以下、ドゥルーズのフロイト解釈におけるとても優れた点を、フロイトとラカンをいくらか挿入しつつ、列挙する。


◼️反復の原理は原抑圧である

エロスとタナトスは、次ののように区別される。すなわち、エロスは、反復されるべきものであり、反復のなかでしか生きられないものであるのに対して、(超越論的的原理 principe transcendantal としての)タナトスは、エロスに反復を与えるものであり、エロスを反復に服従させるものである。唯一このような観点のみが、反復の起源・性質・原因、そして反復が負っている厳密な用語という曖昧な問題において、我々を前進させてくれる。なぜならフロイトが、表象 représentations にかかわる「正式の proprement dit」抑圧の彼岸に au-delà du refoulement、「原抑圧 refoulement originaire」の想定の必然性を示すときーー原抑圧とは、なりよりもまず純粋現前 présentations pures 、あるいは欲動 pulsions が必然的に生かされる仕方にかかわるーー、我々は、フロイトは反復のポジティヴな内的原理に最も接近していると信じるから。(ドゥルーズ『差異と反復』「序」1968年)


◼️反復は潜在的対象≒原抑圧による

反復は、ひとつの現在からもうひとつの現在へ向かって構成されるのではなく、むしろ、潜在的対象(対象=x)[l'objet virtuel (objet = x)]に即してそれら二つの現在が形成している共存的な二つの系列のあいだで構成されるのだ。潜在的対象は、たえず循環し、つねに自己に対して遷移 déplacé するからこそ、その潜在的対象がそこに現われてくる当の二つの現実的な系列のなかで、すなわち二つの現在のあいだで、諸項の想像的な変換と、 諸関係の想像的な変容を規定するのである。潜在的対象の遷移 déplacement de l'objet virtuel は、したがって、他のもろもろの偽装 déguisementとならぶひとつの偽装ではない。そうした遷移は、偽装された反復としての反復が実際にそこから由来してくる当の原理なのである。


反復は、実在性réalité の〔二つの〕系列の諸項と諸関係に関与する偽装とともにかつそのなかで、はじめて構成される。 ただし、そうした事態は、反復が、まずもって遷移をその本領とする内在的な審級としての潜在的対象に依存しているがゆえに成立するのだ。したがってわたしたちは、偽装が抑圧によって説明されるとは、とうてい考えることができない。反対に、反復が、それの決定原理の特徴的な遷移のおかげで必然的に偽装されているからこそ、抑圧が、諸現在の表象=再現前化la représentation des présents に関わる帰結として産み出されるのである。


そうしたことをフロイトは、抑圧という審級よりもさらに深い審級を追究していたときに気づいていた。もっとも彼は、そのさらに深い審級を、またもや同じ仕方でいわゆる〈「原」抑圧〉と考えてしまってはいたのだが。 quitte à la concevoir encore sur le même mode, comme un refoulement dit « primaire ». (ドゥルーズ『差異と反復』第2章、財津理訳)


➡︎原抑圧は固着である

抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]。(フロイト『症例シュレーバー 』1911年)

原抑圧と同時に固着が行われ、暗闇に異者が蔓延る。Urverdrängung[…] Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; […]wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen, (フロイト『抑圧』1915年)


◼️反復=自動機械の原因はトラウマにかかわる固着である

固着と退行概念、それはトラウマと原光景を伴ったものだが、最初の要素である。自動反復=自動機械 [automatisme] という考え方は、固着された欲動の様相、いやむしろ固着と退行によって条件付けれた反復の様相を表現している。


Les concepts de fixation et de régression, et aussi de trauma, de scène originelle, expriment ce premier élément. […] : l'idée d'un « automatisme » exprime ici le mode de la pulsion fixée, ou plutôt de la répétition conditionnée par la fixation ou la régression.(ドゥルーズ『差異と反復』第2章、1968年)



➡︎固着による自動機械=無意識のエスの反復強迫

欲動蠢動は「自動反復=自動機械Automatismus」の影響の下に起こるーー私はこれを反復強迫と呼ぶのを好むーー。〔・・・〕そして抑圧において固着する要素は「無意識のエスの反復強迫」であり、これは通常の環境では、自我の自由に動く機能によって排除されていて意識されないだけである。


Triebregung  […] vollzieht sich unter dem Einfluß des Automatismus – ich zöge vor zu sagen: des Wiederholungszwanges –[…] Das fixierende Moment an der Verdrängung ist also der Wiederholungszwang des unbewußten Es, der normalerweise nur durch die frei bewegliche Funktion des Ichs aufgehoben wird. (フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年、摘要)



➡︎固着は反復強迫する

症状は現実界について書かれることを止めない。le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel (ラカン『三人目の女 La Troisième』1974)

症状は固着である。Le symptôme, c'est la fixation (J.-A. MILLER, - Orientation lacanienne III, 10 - 26/03/2008)

フロイトにとって症状は反復強迫[compulsion de répétition]に結びついたこの「止めないもの qui ne cesse pas」である。『制止、症状、不安』の第10章にて、フロイトは指摘している。症状は固着を意味し、固着する要素は無意識のエスの反復強迫[Wiederholungszwang des unbewußten Es]に見出されると。フロイトはこの論文で、症状を記述するとき、欲動要求の絶え間なさを常に示している。欲動は、行使されることを止めないもの[ne cesse pas de s'exercer]である. (J.-A. MILLER, L'Autre qui  n'existe pas  et ses comités d'éthique - 26/2/97)


私は、分析経験の基盤はフロイトが固着と呼んだものだと考えている。je le suppose, …est fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation.(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)




◼️強制された運動=タナトス(反復)

強制された運動は、タナトスもしくは反復である。 le mouvement forcé […] c'est Thanatos ou la « compulsion»(ドゥルーズ『意味の論理学』第34のセリー、1969年)


➡︎反復強迫=死の欲動

われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす。

Charakter eines Wiederholungszwanges […] der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.(フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年)


◼️強制された運動の機械=タナトス

『見出された時』のライトモチーフは、「強制する forcer」という言葉である。われわれに見ることを強制する印象とか、われわれに解釈を強制する出会いとか、われわれに思考を強制する表現、などである。

Le leitmotiv du Temps retrouvé, c'est le mot forcer : des impressions qui nous forcent à regarder, des rencontres qui nous forcent à interpréter, des expressions qui nous forcent à penser.(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「結論 思考のイマージュ」第2版、1970年)


『失われた時を求めて』のすべては、この書物の生産の中で、三種類の機械を動かしている。


・部分対象の機械(欲動)[machines à objets partiels(pulsions)]

・共鳴の機械(エロス)[machines à résonance (Eros)]

・強制された運動の機械(タナトス)[machines à movement forcé (Thanatos)]である。


このそれぞれが、真理を生産する。なぜなら、真理は、生産され、しかも、時間の効果として生産されるのがその特性だからである。


・失われた時においては、部分対象の断片化による。

・見出された時においては、共鳴による。

・別の仕方における失われた時においては、強制された運動の増幅による。

この失われたものは、作品の中に移行し、作品の形式の条件になっている。

Toute la Recherche met en œuvre trois sortes de machines dans la production du Livre: machines à objets partiels (pulsions), machines à résonance (Eros), machines à mou-vement forcé (Thanatos) . 


Chacune produit des vérités, puisqu'il appartient à la vérité d'être produite, et d'être produite comme un effet de temps : le temps perdu, par fragmentation des objets partiels; le temps retrouvé, par résonance; le temps perdu d'une autre façon, par amplitude du mouvement forcé, cette perte étant alors passée dans l'œuvre et devenant la condi-tion de sa forme. (ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「三つの機械 Les trois machines」第2版 1970年)



➡︎現実界=トラウマ=強制=レミニサンス

私は問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっていると考えている。これを「強制 forçage」呼ぼう。これを感じること、これに触れることは可能である、「レミニサンスréminiscenceと呼ばれるものによって。


Je considère que […] le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. […] Disons que c'est un forçage.  […] c'est ça qui rend sensible, qui fait toucher du doigt… mais de façon tout à fait illusoire …ce que peut être ce qu'on appelle la réminiscence.   (Lacan, S23, 13 Avril 1976)


ラカンの現実界は、フロイトがトラウマと呼んだものである。ラカンの現実界は常にトラウマ的である。それは言説のなかの穴である。ce réel de Lacan […], c'est ce que Freud a appelé le trauma. Le réel de Lacan est toujours traumatique. C'est un trou dans le discours.  (J.-A. Miller, La psychanalyse, sa place parmi les sciences, mars 2011)



➡︎トラウマへの固着=反復強迫=不変の個性刻印=永遠回帰

トラウマは自己身体の上への出来事 もしくは感覚知覚 である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]。〔・・・〕


この作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。

これらは、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印 と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen]。 (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)


同一の体験の反復の中に現れる不変の個性刻印[gleichbleibenden Charakterzug]を見出すならば、われわれは同一のものの永遠回帰[ewige Wiederkehr des Gleichen]をさして不思議とも思わない。〔・・・〕この反復強迫[Wiederholungszwang]〔・・・〕あるいは運命強迫 [Schicksalszwang nennen könnte ]とも名づけることができるようなものについては、合理的な考察によって解明できる点が多い。(フロイト『快原理の彼岸』第3章、1920年)


◼️強制された運動=死の本能=無意志的回想=永遠回帰

エロスは共鳴によって構成されている。だがエロスは、強制された運動の増幅によって構成されている死の本能に向かって己れを乗り越える(この死の本能は、芸術作品のなかに、無意志的記憶のエロス的経験の彼岸に、その輝かしい核を見出す)。プルーストの定式、《純粋状態での短い時間 》が示しているのは、まず純粋過去 、過去のそれ自体のなかの存在、あるいは時のエロス的統合である。しかしいっそう深い意味では、時の純粋形式・空虚な形式であり、究極の統合である。それは、時のなかに永遠回帰を導く死の本能の形式である。


Erôs est constitué par la résonance, mais se dépasse vers l'instinct de mort, constitué par l'amplitude d'un mouvement forcé (c'est l'instinct de mort qui trouvera son issue glorieuse dans l'oeuvre d'art, par-delà les expériences érotiques de la mémoire involontaire). La formule proustienne, « un peu de temps à l'état pur », désigne d'abord le passé pur, l'être en soi du passé, c'est-à-dire la synthèse érotique du temps, mais désigne plus profondément la forme pure et vide du temps, la synthèse ultime, celle de l'instinct de mort qui aboutit à l'éternité du retour dans le temps. (ドゥルーズ 『差異と反復』第2章、1968年)

無意志的回想のブラックホール[trou noir du souvenir involontaire](ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』「零年ーー顔貌性」1980年)


➡︎ブラックホール=穴=トラウマ

現実界は…穴=トラウマを為す。 le Réel …ça fait « troumatisme ».(ラカン、S21、19 Février 1974)



以上、ドゥルーズの主に1960年代後半時点でのこれらの解釈は際立って優れていると私は思う。ある意味でラカンに先行してフロイトを把握している箇所がある。ただしここでは触れていない超自我の解釈がいけない、超自我と自我理想(父の名)の区別ができていないのである。➡︎ドゥルーズの大きな欠陥


現代ラカン派における超自我とは、原抑圧(固着)と等価であり、これはフロイトを読み込めばそう捉えるほかない(参照)。




現在フロイトラカン派がドゥルーズを顕揚するなら、まずはこの欠陥を明瞭化してから初めてそうすべきだと私は思う。