蚊居肢子の比較的親しい知り合いにラカンをよく研究している分析家がいる。もっともこちらではラカニアンと名乗ると居心地が悪いらしく、正式にはフロイディアンである。まだ40代半ばの彼は主流ラカン派ーーミレール派でありながら名称はフロイトの大義派[L'École de la Cause freudienne]であるーーの会議にもときに出席する。 |
このところその彼に元気がない。都心に住んでいて土日には私の居住する郊外のテニスコートを訪れる習慣があったのだが、しばらくのあいだふっつり音沙汰がない。患者が半年ほどまえ自殺してしまったのである。この患者については、以前テニスコートの待ち時間に話を聞いたことがあり写真まで見せてくれたことがある。まだハタチを少しすぎたばかりの途轍もない美少女である。先日曜日ようやく彼に再会した。まだかなりの憔悴ぶりだ。分析家は患者に惚れてはならないのが鉄則でありながら、恋人を死で喪った男の顔だと見た。 |
と記して何が言いたいのかと言えば、蚊居肢ブログでは煩雑を厭わず、可能な限り仏原文や独原文を貼り付けている。これはこの若い友へのメッセージの意味合いもいくらかある。そのせいで読みにくくなっているところがあるやもしれない。アシカラズ。 |
その患者は、私が二年ほどみていた女子大生だった。亡くなる前日、このごろ夢が明るくなったのよ、といった。前回、夢が明るくなったのが確実な回復の歩みの始まりだったのを思い出して、私はおろかにも喜んだ。彼女は「今までの着物を脱ぎかえて新しい衣裳にかえて、少しきゅうくつだけど、喜んでいる夢」「花嫁衣裳でまっ白なの」と教えてくれた。翌日、私は白衣につつまれた彼女を見る破目になるのである。このケースは、私には非常な教訓であった。私の師の一人とさえ言ってよいだろう。(中井久夫「治療のジンクスなど」1983年『記憶の肖像』所収) |