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2021年3月15日月曜日

それは偽物だ

少し前に引き続き、こうも引用しておこう。


2002年3月13日(水)その2

自分の死を、生を、存在を価値づけてくれる何かを今更信じるなんて出来るだろうか。

初めて親しくなった異性が生涯一人きりの異性だったころなら、運命の人を信じることができたかもしれないけど、私はすでに何人もの人を愛してしまった。この人が最後の人だなんてどうして思えよう。

愛という名の無償労働という言葉を知った上で、母性ファシズムという言葉を知った上で、どうして無邪気にも傲慢にも愛を特権化できるだろう。

宗教を信じた結果のオウム事件。国家を信じた結果の、主義を信じた結果の……。

破綻した物語を超えてさらに何を新たに信じることができるだろう。


何かを信じるということは、目をつぶり鈍感になることだ。

それによって生まれる単純さによって安らぎと強さを得ることが出来る。

自分で立たず、大きな価値にくるみ込まれて「意義のある」人生をおくることができる。

でも、それは偽物だ。



2002年11月1日(金)

神よ、私はあなたに呼びかけます。

私の声を聞き届けるのならばあなたは神ではない。

私の声が届くような存在は神ではない。

あなたに届かせようとする努力は私に到達可能な範囲を広げ、そして定義上私には到達できないあなたはますます遠ざかる。


神よ、私はあなたに呼びかけます。

不在の神に向かう不可能な祈りはどこにも届かないとしても、その向かう軌跡の先に、どうか、あなたがおられますように。



2002年12月17日(火)その1

私は愛しています。私は愛しています。あなたを、あなただけをひたすらに想わずにはいられません。私のすべての存在を、あなたに捧げます。私の日々に、私の思いに、私の行いに意義があるのなら、それはすべてあなたがいるからです。

でも、あなたが誰なのか、私にはわからないのです。あなたは人ではないかもしれません。書物かも、秘密かも、言葉かも、記憶かも、景色かもしれません。

私はあなたを探すことを何度もあきらめようとしたけれど、その度にあきらめ切れずまた目を覚まします。私が、あなたを求めつづけることを、断念せずにいられますように。


2003年1月11日(土)その2

うとうとと夢見たこと。


ああ、あなた。どうか私の内蔵を触り引き裂いて下さい。あなたの指が私の体腔を探り押し広げる痛みこそが恩寵です。思うさま私を壊してください。内臓と同じように私の脳髄を抉りなで回すあなたの指。私の身体中に刃物を突き立ててどくどくと体液が溢れるその穴に拳をねじ入れて私の中を掻き回してください。そうしたら、私は身体の中でも外でも頭の中でも外でもあなただけを感じることができるでしょう。そして私はしゃくり上げながら血の泡を吹き、よろこびに打ち震えながら死ぬのです。


最後のお知らせ

二階堂奥歯は、2003年4月26日、まだ朝が来る前に、自分の意志に基づき飛び降り自殺しました。

このお知らせも私二階堂奥歯が書いています。これまでご覧くださってありがとうございました。