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2021年4月21日水曜日

トーラス円図の中心の(a)

 ラカンのトーラス円図というのは、ラカン自身いろんな使い方をしているので基本さえわかったら自由に使ったらいい。少なくともボクはそういう立場だ。前々回のオメガΩ図はこの立場にもとづいている。



ラカン自身の変形ヴァージョンとしてたとえば男と女のあいだには去勢があるという図。



あるいは自我と快のあいだには異者としての身体がいるというフロイト依拠の図。




これはどちらも対象aのこと。


私は常に、一義的な仕方で、この対象a を(-φ)[去勢]にて示している。cet objet(a)...ce que j'ai pointé toujours, d'une façon univoque, par l'algorithme (-φ).     (Lacan, S11, 11 mars 1964)

異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である。corps étranger,[…] le (a) dont il s'agit,[…] absolument étranger (Lacan, S10, 30 Janvier 1963)


以下基本を示しておくよ。

……………


トーラス円図の中心の(a)は、実際は次の構造になっている。


享楽[J]は、穴[A barré ]、去勢[ -φ]と等価である。

享楽は去勢である。[la jouissance est la castration.](Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)

享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として示される他ない。[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](ラカン, Radiophonie, AE434, 1970)


ところで穴としての享楽自体、(a)と書かれる。

ラカンは享楽と剰余享楽を区別した。…空胞化された、穴としての享楽と、剰余享楽としての享楽[la jouissance comme évacuée, comme trou, et la jouissance du plus-de-jouir]である。対象aは穴と穴埋めなのである[petit a est …le trou et le bouchon]。われわれは(穴としての)対象aを去勢を含有しているものとして置く[Nous posons l'objet a en tant qu'il inclut (-φ) ](J.-A. Miller, Extimité, 16 avril 1986)

-φ [去勢]の上の対象aは、穴と穴埋めの結びつきを理解するための最も基本的方法である。petit a sur moins phi. […]c'est la façon la plus élémentaire de comprendre […] la conjugaison d'un trou et d'un bouchon. (J.-A. MILLER,  L'Être et l'Un,- 9/2/2011)


対象aは、大他者自体の水準において示される穴である。l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel (ラカン、S16, 27 Novembre 1968)



したがって冒頭図のマテームを整理して示せばこうなる。




さらに言えば、享楽を「斜線を引かれた享楽」と表示する仕方がある。



われわれは去勢と呼ばれるものを、 « - J »の文字にて、通常示す。[qui s'appelle la castration : c'est ce que nous avons l'habitude d'étiqueter sous la lettre du « - J ».] (Lacan, S15, 10  Janvier  1968)

(- φ) は去勢を意味する。そして去勢とは、享楽の控除 (- J) を表すフロイト用語である。le moins-phi (- φ) qui veut dire « castration » , le mot freudien pour cette soustraction de jouissance. (- J) (J.~A. Miller, Retour sur la psychose ordinaire, 2009)



享楽の控除」とは「享楽の喪失」ということである。この喪失=去勢とは、究極的には出産外傷にかかわる原去勢であり、たとえばフロイトが『制止、症状、不安』で記しているのは、喪われた子宮内生活[verlorene Intrauterinleben](ラカンなら胎盤[placenta]、あるいは臍の緒[cordon ombilical]としている。フロイトが母の乳房の喪失[Verlust der mütterlichen Brust]としている去勢は、ラカン派語彙なら原去勢ではなく現実界的去勢に相当する[参照)。


フロイトは強調している、反復自体のなかに、享楽の喪失があると[FREUD insiste :  que dans la répétition même, il y a déperdition de jouissance]。ここにフロイトの言説における喪われた対象の機能がある。これがフロイトだ[C'est là que prend origine dans le discours freudien la fonction de l'objet perdu. Cela c'est FREUD].   〔・・・〕


フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽」への探求の相がある。conçu seulement sous cette dimension de la recherche de cette jouissance ruineuse, que tourne tout le texte de FREUD. (Lacan, S17, 14 Janvier 1970)



ということで先ほどの図をJを« - J »に置き換えれば次の通り。




これが少なくともトーラス円図の(a)を読むための当面の決定版である。


重要なのは上部の剰余享楽としての対象a、つまり穴埋めとしての対象aは、実際は穴埋め不可能で、常に下部の残滓があるというのがフロイトラカンの思考である(参照)。


穴埋めの対象a、この対象aは、人が自らを防衛できないものがある。密封しえない「ひとつの穴の穴埋め」である。ダナイデスの樽モデルの穴の穴埋めである。L'objet petit a bouchon, l'objet petit a, c'est l'objet petit a dont on ne peut pas se défendre qu'il est « bouche un trou » qui est infermable, qui bouche un trou du modèle tonneau des Danaïdes (J.-A. MILLER, Tout le monde est fou, 14/11/2007)





享楽はダナイデスの樽である。la jouissance, c'est « le tonneau des Danaïdes » (ラカン, S17, 11 Février 1970)


残滓とは異者としての身体のことであり、穴も穴埋めも残滓もすべて(a)。(先ほどリンクした記事の後半を見よ)


もしすべて(a)で図示したら次のようになる。




このあたりがラカンの対象aの難解なところで、一般にはチンプンカンプンであって当然だし、多くのラカン研究者でさえあやしい。


以上、中心の(a)が仮に穴埋めとしての剰余享楽を示しているトーラス円図でも常に底部には穴=去勢があると見なしたほうがいい。これはボロメオの環の中心の(a)も同様。