とはいえやはり巫女である。
我々の幼い頃、京都辺で、夜、きむすめといふものがよく見えると言はれました。処女(キムスメ)の意味と、木が娘の姿に見える、といふ二つを掛けた、しやれた呼び名だつたのです。(折口信夫「万葉集に現れた古代信仰――たまの問題――」) |
密封された千の壺が歩く ああ、魂に何たる亀の影 太腿のアキレスが金縛り 違ふ……立て! |
七処女は、何のために召されたか。言うまでもなくみづのをひもを解き奉るためである。…みづのをひもを解き、また結ぶ神事があったのである。… みづのをひもは、禊ぎの聖水の中の行事を記念している語である。… そこに水の女が現れて、おのれのみ知る結び目をときほぐして、長い物忌みから解放するのである。(折口信夫『水の女』) |
悦はあそこにしかない 巫女にみづのをひもをときほぐしてもらわずに どうして人生がありえようか 乙女の布裂く叫びを知らずに |
あゝ耳面刀自。…おれはまだお前を……思うてゐる。おれはまだ、お前を思ひ續けて居たぞ。耳面刀自。こゝに來る前から……こゝに寢ても、……其から覺めた今まで、一續きに、一つ事を考へつめて居るのだ。(折口信夫『死者の書』) |
おわかりだろうか どこのやしろであるか どこの巫女であるか ああおれはまだお前たちを思うてゐる |
若い時分の経験を顧みますと、男と女とで気持が違ふ、感じが違ふといふ事を、良く聞かされて居りますが、恋愛では殊にそれが多い様であります。吾々の気持から考へて見ますと、どうも男と女とは別々の触覚を持つて居つて、別々に違つた感じ方をして居るといふ事がありませう。 一体、日本の処女の中で、歴史的に後世に残る処女といふものは、たつた一つしかない。其女といふのは神に仕へて居る処女だけであります。昔から叙事詩に伝へられて残つて居る処女といふものは、皆神に仕へた女だけであります。今で言へば巫女といふものであります。其巫女といふものは、男に会はないのが原則であります。併し、日本にも処女には三種類ありまして、第一の処女は私共が考へてゐるやうに、全く男を知らない女、第二の処女は夫を過去に持つた事はあるが、現在は持つて居ないで、処女の生活をして居る。つまり寡婦です。それからもう一つがあります。其は臨時の処女なのです。新約聖書を読みましても訣ります様に、家庭の母親なるまりあが処女の生活をすると言ふ事があります。或時期だけ夫を近寄らせないと言ふ事、其だけでも処女と言はれるのであります。つまり、全然男を知らない処女と、過去に男を持つたけれども、現在は処女の生活をして居るものと、それからもう一つは、ある時期だけ処女の生活を保つて居るものと、此三種類であります。 |
一体、神に仕へる女といふのは、皆「神の嫁」になります。「神の嫁」といふ形で、神に会うて、神のお告げを聴き出すのであります。だから神の妻になる資格がなければならない。即、処女でなければならない。人妻であつてはならない。そこで第三類の処女と言ふものが出来てくる。人妻であつても、ある時期だけ処女の生活をする。さういふ処女の生活が、吾々の祖先の頭には、深く這入つて居たのであります。(折口信夫「古代生活に見えた恋愛」) |
をゝ、あれが神の嫁だ おれのたまをときほぐした指は 蕾の割れた梅の林から 糸のように漂いやってくる 絶対の水蛇の青い身体に酔ひ 燦めく尾を噛み続けてゐたあのをんなたち、 沈黙に似たざわめきのなかで |
をゝ、あれが耳面刀自だ。其瞬間、肉體と一つに、おれの心は、急に締めあげられるやうな刹那を、通つた氣がした。俄かに、樂な廣々とした世間に、出たやうな感じが來た。さうして、ほんの暫らく、ふつとさう考へたきりで……、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去つた――おれ自分すら、おれが何だか、ちつとも訣らぬ世界のものになつてしまつたのだ。あゝ、其時きり、おれ自身、このおれを、忘れてしまつたのだ。(折口信夫『死者の書』) |
若いうちにやっといたほうがいい おれはおそかった だがおそくてもやらないよりましだ 村の神に扮装して 臨時の巫女でよろしい |
神祭りの時に、村の神に扮装する男が、村の処女の家に通ふ。即、神が村の家々を訪問する。その時は、家々の男は皆出払つて、処女或は主婦が残つて神様を待つて居る。さうして神が来ると接待する。つまり臨時の巫女として、神の嫁の資格であしらふ。「一夜妻」といふのが、其です。決して遊女を表す古語ではなかつたのです。此は語学者が間違へて来たのも無理はありません。一夜だけ神の臨時の杖代となる訣なのです。(折口信夫「古代生活に見えた恋愛」) |
巫女は無だ 空虚で空腹だ 近くの飯屋に誘うことだ あああの白梅町の支那蕎麦屋 七処女は必要ない だが二処女ではだめだ 互いに牽制しあう をんなが変貌するのは三処女からだ |
足の踝が、膝の膕が、腰のつがひが、頸のつけ根が、顳顬が、ぼんの窪が――と、段々上つて來るひよめきの爲に蠢いた。自然に、ほんの偶然強ばつたまゝの膝が、折り屈められた。だが、依然として――常闇。(折口信夫『死者の書』) |
あの腰のつがひ
あのぼんの窪
あのひよめきの声
諦めてはいけない
たとえ常闇にめぐりあっても
神壽ぎ壽ぎ狂ほし 豐壽ぎ壽ぎ廻し そうだった おわかりだろうか |
|
僥倖さえあれば いやすこしの忍耐さえあれば |
カムホキホキクルホシ トヨホキホキモトホシ |
という具合になる ああ思うてゐる おれはまだ、お前たちを思ひ續けて居たぞ 老驥櫪に伏すれども 志千里にあり ささ |