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2021年4月14日水曜日

美人陰有水仙花香


吸美人淫水


密啓自慙私語盟

風流吟罷約三生

生身堕在畜生道

絶勝潙山戴角情



美人陰有水仙花香


楚臺應望更應攀

半夜玉床愁夢間

花綻一莖梅樹下

凌波仙子遶腰間


ーー『狂雲集』 一休宗純



後生を願わぬではないけれど、今生のつとめはこの人にあずけて、なるようになれと思いきって、あられもない夜の狂おしさにわれを忘れ、今世が空ならば前世も後世も空なるべし、千年も一瞬、この一瞬も千年なりと、わが眼にはみえぬわが身の人の指の這いまわり唇のぬるぬると濡らすままにじんじんと痺れてゆくのに任せれば、森よ、この世がおまえか、おまえがこの世か、と囁く人の声のさすがに息もせわしく、雲か雨か、嵐のなかに呻きながら疲れ果てるまで、どんな考えのあとかたもないけれど、そのことのすぎ去ればふと畜生道の浅ましさに裸の背すじをぞーっとつめたいものの走り、夜着をかきあわせて息をひそめれば、ああ、このままでよいのだろうか、という思いの抑え難くて、傍らに老いたる人のながく収まらない息のせわしさに咳さえ混じるのをききながら、遠い野原にただひとり投げだされたかのように行末もわからぬ心ぼそさのしんしんと身に沁みてくるのを、何とことばにあらあすことができるだろうか。われを忘れるひとときのながくつづけばよかろうものをといえば、―色界の方法は常滅じゃ。―それならば一度は思い切ってつらくも悲しくも身をかくすことが出来た女を、探し出してまで、としにも似ない愛欲の出塵の妨げに溺れてゆくのはどういう心であるのだろうか。ーー出塵羅漢、遠仏地、森よ、情愛深ければ畜生道はこの世の道じゃ、色道なければこの世なし、この世なければ命なし、命なければ仏道もなし、〔・・・〕。 


そっと左の乳房の下に手をあてると、どきどきとふれるそのところだけは何か別の生きもののようにも感じられる。子を産んだことのない女の乳房は小さくまるくて掌のなかにすっぽりと入るようでいながら、この日頃人の唇の吸うに任せてきたためであろうか、まえよりもかたく張っているようで、そろりそろりと湯ぶねのなかにたちあがりながら、ぎゅっと握りしめれば、切ないもののからだのなかを走り、湯殿の窓からひんやりとした風のほてった肌に快いものの、両の掌のなかだけは火のようにもえる。湯ぶねのふちを手さぐりながら、片あしをあげて踏み台におこうとすれば、かるいめまいがして、みえない世界のさっとかげるようになるのを、思わず両手でからだを支え、またぎかけたままの姿で大きく息を吸いながらひとときをやりすごせば、息を吐きだすと共にあしの先はもう踏み台にふれていて、昔は手だすけの人もあったけれど、今はひとりですることに慣れたものだと思うにつけても、かえってこの肌のその人の他の誰にもみられぬことを、うれしく感じるのは、われとわが身をみずからみることができないからであろう。 〔・・・〕


じっとりとぬるぬると乳首をきゅっと吸われれば、張った乳からつま先までぞくぞくとして、人の歯のあしの小指をかみ、唇のふくらはぎをぬらし、ぼうぼうと大きくわが身はひらいてこの世界となり、丘から谷へ、野原から上苑美人森へ、人は夢のなかに迷いながら泉に吸えば、満口清香、水仙花の香りのみちてくるのは、わが身の不思議だろうか、この世界の不思議だろうか。 〔・・・〕


もしめくらの身でなかったならこの百倍はできようものをと、わが身がふびんに思われぬでもないけれど、これも罪深い身の罰かと思いかえせば、かえって今ここでみじかい命のかぎりを、身も心も捧げて生きてゆくのに、その人のあることだけが、有難く、かしこく、ひとり身の昔にもどり後生をねがおうという気はおこらない。……(加藤周一「狂雲森春雨(くるいぐももりのはるさめ) 」『三題噺』所収、1965 年) 


生きていることのいちばん確かな証は、官能的経験の瞬間にあり、その他のすべては確かでない、夢といえは夢のようであり、現といえば現ともいえる程度のものにすぎない、というのがその立場である。(『三題噺』「あとがき」ーー「狂雲森春雨」について)



他の二話(「詩仙堂志」、「仲基後語」)については、前者は《日常生活の些事に徹底した男の話》。後者は《『知的人生』に徹底した主人公の話。知的人生も、もしそこに徹底すれば、おそらく日常生活の平和とよろこび、またあり得べき官能的な経験の犠牲を伴わずにはいないはずである》とある。あまりにも単純化しすぎだという批判は当然あるだろうが、これが加藤周一の典型的な方法である。彼の強い三島由紀夫批判もこの方法のなかにある。







永遠の今


一休宗純の肖像画はいくつもあるが、私がいちばん好きなのは、東京国立博物館の一幅である。顔の特徴は、他の肖像画と共通したところがあって、たとえば酬恩庵蔵のそれと、八の字の眉、三角の眼、不精ひげまでが、似ている。しかし他のどの肖像よりもすぐれているのは、表情が活きていて、人間の存在感が濃厚なことである。しかもそれだけではない。


この一休は、他の肖像画の場合とちがって、立派な袈裟を着てもいないし、椅子にかけて、見るからに禅宗の高僧という構えでもない。これは、いかにも、『狂雲集』の一休、「蓑笠ノ風」を愛し、「名刹ノ禅」を罵倒した詩僧に適わしいだろう。いや、そういうことの前に、そもそもここに描かれているのは、隠者にあらず、英雄にあらず、予言者でも指導者でもなく、誰にも威張らず、誰にも諂わない一人の男の飾らない日常の姿にほかならない。どこかでわれわれが出会ったかもしれない普通の人、ーーそういう風にこの肖像は、描かれている。


こういう顔の、至極あたりまえの日本人の一人の男に、一体何ができたのだろうか。私は彼がしてきたでもあろうこと、またするでもあろうことを、想像する。おそらく彼は女を愛することができた。世のなかの何ものよりも女を大切だと感じ、女との短い時間が日常生活の何年にも値すると感じたことがあるにちがいない。それは誰の経験にもあり得ることである。もし哲学者ならば「他者へ向っての私の私からの脱出」の経験というだろうし、詩人ならば、愛する女と過した一夜の短さを、吹き来り吹き去る秋風にたとえ、その一夜に永遠を生きたというだろう。それは哲学者や詩人の経験が、普通の人のそれと、ちがっていたからではなく、彼らに概念や「イメージ」があったからである。『狂雲集』の一休は、「秋風一夜百千年」という一行を書いた。それは彼が普通の人の経験することを経験したからで、普通の人の経験しないことを経験したからではない。


気性の激しさと穏かさとは、人によってちがう。ある人は激しく、ある人は穏かに、しかし多くの人々が、世渡りの上手な俗物を憎むだろう。その俗物が室町時代の坊主ならば禅林の大物として成功し、徳川時代の画家ならば画壇に君臨し、現代の政治家ならば保守党の派閥の一つを率いるにちがいない。憎しみ、怒り、その後のあきらめ、ーーそういう感情もまた、誰の人生のなかにもあるはずだろう。


しかしまた簡素な生活のなかに、静かな時間があり、そのとき身辺の光景や日常の些事にかぎりない愛著を覚えることもある。使い慣れた筆と現、蓑と笠、いつもの旅支度、路傍の花、海の風、青空に泛ぶ一片の雲……愛著が深ければ、それは詩情に近づく。不精ひげの男が一句ひねっても不思議ではなかろう。もし彼に「永遠」に対する関心があれば、またその風物への愛著が殊に深ければ、「劫空久遠在吟時」というかるしれない。すなわち「吟時」の「久遠」は、「秋風一夜」の「百千年」に相応じる。


普通の人には、一体何ができたであろうか。たしかに世のなかを変えることはできなかった。しかし自分自身を変えることはできた。一五世紀の日本の乱世に生きた一休という普通の人は、誰でもがそうするように、女を愛し、人を憎み、一片の雲に詩情を感じ、死に対して、ということは「永遠」に対して、自分自身の意味を問い、しかし誰よりも確乎として、愛や憎しみや詩情を人生の他のすべての関心に優先させようと決心していた。その決心が、そしてその決心だけが、普通の一人の男を一休宗純にしたのである。


一休は天皇の落胤だったか、ーーそんなことは「週刊誌」の話題にすぎない。小さくて偉大な肖像画は、そういうあやふやでつまらない話ではなく、確実で動かすべからざること、すなわちどの一人の人間にも潜在する可能性について語っている。

(加藤周一「永遠の今」初出1984年「太陽」『絵のなかの女たち』所収)