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2021年4月16日金曜日

前の自分のすべてが嘘にみえてしまう

 

ひと月まえ私は韓国慶州に行って、お辞儀したくなるほど美しい遺物や塔や石仏を眺めてきた。古墳の石の天井に二度も頭をぶつけ、同行者の二倍も忙しく駆けまわって、見るものを頭へつめこんできた。かつてこの世から立ち去って土中に眠り自然に帰ったものが、いま再び洗われて白日に曝されていた。古寺への道は山の頂点まで整備されて赤松の美しい森にかこまれ、あいだには白楊、楊柳、アカシヤ、ムクゲなどが新しく植えられて栗鼠が遊んでいた。一片の紙屑も吸殻も見られず、礼儀正しい人々が歩いていた。 私はホテルの部屋でひとりになったとき、ある者に向かって「そのまま眠れ」と心の奥に呟いた。ひとつの離れがたい自分自身の想いがあった。いずれは処理できるとして、今はどうしても処理できないものであった。本当は外に在るものであるが、しかし今は内に在るものであった。このときも私は故郷の沼を思い出した。しかし何時ものように、ただ思い出しただけでどうなるものでもなかった。(藤枝静男「庭の生きものたち」初出「群像」昭和五十二年十一月号『悲しいだけ』所収)






今年でちょうど七十年となった自分の生涯を考えると、自分はすべてその時その時の衝動だけで動いてきたような気がしてならぬ。それが自分の後悔である。あることから次の行為が導き出される、たしかにある理屈を考え信じてそれをやって行っても、次に別の強い衝動が来るとそこで切れて、前の自分のすべてが嘘にみえてしまう。かえりみると、自分の姿がまるで節ばかりでできているずんぐりつまった竹の幹のように思われてならないのである。〔・・・〕


十月の終わりに近く、私は二回目の四泊五日の短い韓国旅行に出た。ホテルの七階から見下ろす午後四時のソウルの街は人と車で膨れあがり、気温二十四度の蒸暑い空気は濁って泥溝の水に似た臭気に淡く包まれていた。街の彼方の薄曇りの空の下に凹凸のはげしい半禿の岩山が赫緒っぽく横たわっていた。ーーふた月まえ二泊三日の慶州滞在では五階に泊った。そこの窓の真下に古い韓国式のコの字形の民家があった。朝早く目覚めて見下ろすと端の反った低い瓦屋根の軒下から炊事の濃い煙が大量に屋根を包むようにあがっていた。中庭の井戸端では髪を引っつめにした白衣の中年の女がしゃがんで洗濯をしていた。平らな石の上に畳まれた布を、短い棒で打っては反し、また水をかけて叩いていた。あれが砧かと思った。女のうしろの軒下には数個のキムチ壷が並べられていた。まるで宣伝パンフレット用の民族写真を見るような光景であったが、空気にはやはり湿った濃い臭気が籠っていた。


どこへ行っても、数少い外国への観光旅行でも、私には何時も同じような経験があった。その国の土と空気が、そこに住んできた人々の長いあいだの排池物吐瀉物を発酵させ溶けこませた臭気を持ち、人々の肉体をも形造っていた。自分もそれを持っている。


死んだ妻もそれを持っていた、と私は不意に思った。その生と死の記憶とまるで関係のない不意の感覚が、苦しいような、異様に入り交った哀しみで私をとらえた。妻の死は私の内心に無機化した物質として、しかし分離不可能な感覚的異物として肉体的に存在するが、それに誘発されて苦しくなったのではなかった。〔・・・〕


ソウルに二泊した翌日の午後、私は二度めの慶州を訪れて前回とは別のホテルに入った。 古都特有の冷く落ちついた空気は肌に快く、窓の外に展開する低く古びた街と松の森は私の胸に淡い血縁的な親しみではいりこんでくるように思われた。ーー湿り気を帯びて吸いこまれてくる臭気は、しかしやはりここでも私を包んであたりにただよっていた。〔・・・〕


旅行に出る数日まえに読んだある会報誌の一隅に、会員の短文がのせられていた。書いた人はある大きいサーカスの団長であった。


サーカスの動物はみな雌である。雄は気が荒く扱い難い。雌象は年二回発情する。この時は客席に出せない場合がある。そのセックス処理は大変で「棒振り」という。船の甲板掃除に使うようなものを買ってきてグリセリンを一缶それにつけ、それを挿入摩擦する。象のセックスは人の頭ぐらい高い位置にあるから、団員の若い連中がやるのだが腕が痛くなってしまう。一時間か一時間半するとバケツ一杯の排池物が出る。終わると象はやってくれた人を顧み、細い目を一層細くしてやさしく見るようだ。若い連中は十人くらいだが、一人二千円ずつこすり代を払う。(後略)


私は今これを思い出していた。あれを読んだとき私はある衝撃をうけ、頁を破って手帖にはさんでおいた。書いた人と動物とにとってきわめて自然であり合理的であることが私には衝撃として感じられ、それが人間存在の悪というふうに膨脹して自分を縛りつける。そしてそういう観念の変形し歪んだようなものが、まるでカサブタみたいに私の全身を覆い、罪業として慢性に意識されている。それによって人間自然の成熟または諦観というようなものの到来がはばまれ奇形化してきた、と私は思った。 私は何かに触発されると突然剥き出されたように感じて苦しくなることがある。そうしてその度ごとに何時まで、ああでもなければこうでもないで過ぎて行くのであろうかと苛だたしくなるのである。(藤枝静男「雉鳩帰る」初出「群像」昭和五十三年四月号『悲しいだけ』所収)