半年ほど前、このbloggerの仕様が変わってyoutube がうまく貼り付けられない。探せば方法はあるのだろうが、まあいいかと思って音楽を貼り付けるのをやめている。
でも、である。セルゲイ・カスプロフっなんていい男なんだろう。たいして聴かれていないようだが、このハイドン➡︎ Haydn Sonata Hob. XVI/46 Sergey Kasprov, piano
この曲はポゴレリッチの名演があるんだが、今は聴き比べてみる気がしない。他の演奏なんかどうでもいい。カスプロフの演奏は、グールドにときに感じられるエクリチュールの感覚がある。音楽にエクリチュール? 矛盾した言い方なのはわかっている。だがそのあたりの演奏家のパロールではないのだ。刻まれている。
彼の演奏はかつてリヒテル国際コンクールの二次予選でのスカルラッティを聴いてとてつもなく惚れた(アファナシエフが絶賛しているのを知り、ロシア版のYouTube(rutube)にて聴いたのだが今は消えている。録音版はこの演奏の衝撃からははるかに劣る)。そのふたたびまみえぬ一目惚れの「愛の耳」で聴くから偏見ーー偏聴ーーがあるのだろうが、ピアノ演奏を聴いて「祈り」を感じるのは、現在生きている演奏家ではカスプロフだけだ。どこから生まれるのか、この祈りは。何よりもまず聴衆に背中を向けることだ。かつてグレゴリア聖歌の歌い手がそうだったように。
おい、そこのキミ! きみのパロール演奏からは祈りが微塵も感じられないのは、ボクの偏聴のせいかい?