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2021年4月6日火曜日

杏なる庭のあなたに


寺の庭


つち澄みうるほひ

石蕗の花咲き

あはれ知るわが育ちに

鐘の鳴る寺の庭



ーー室生犀星、大正七年


後年庭作りに丹念であった室生さんででもなければ、最初の一行「土澄みうるほひ」などと歌ひ起す詩人が、凡そ天地のひらけて以来他にはゐなかったであらうと思う。〔・・・〕その美の発端は、この「土澄み」にあった、その発見といっていい一種の呼吸に、私はいつまでも変らず惚れ惚れとしたものを覚える。(三好達治「土澄みうるほひ」『週間読書人』昭和三十八年)


三好が詩に於てつとに萩原朔太郎を宗としたことは周知のとほりだが、その詩境をうかがふに、年をふるにしたがつて、むしろ室生さんのはうに「やや近距離に」あゆみ寄つて来たのではないかとおもふ。萩原さんの詩はちよつと引つかかるところがあるけれど、室生さんの詩のはすらすら受けとれると、げんに當人の口から聞いたことがあつた。萩原さんをつねに渝らず高く仰いてゐた三好として、これは揣らずもみづからの素質を語つたものだらう。ちなみに、そのときわたしは鑑賞上それと逆だと應へたおぼえがある。また三好が酣中よくはなしてゐたことに、芥川龍之介は百發九十九中、室生犀星は百發わづかに一中だが、のべつにはづれる犀星の鐵砲がたまにぶちあてたその一發は芥川にはあたらないものだといつて、これにはわたしも同感、われわれは大笑ひした。つち澄みうるほひ、石蕗の花咲き……といふ室生さんの有名な詩は三好が四十年あまりにわたつで「惚れ惚れ」としつづけたものである。「つち澄みうるほひ」はまさに犀星の一發。このみがき抜かれたことばの使ひぶりは詩人三好が痩せるほど氣に入つた呼吸にちがひない。(石川淳「三好達治」『夷斎小識』所収)



庭は髪を結うてゐるひとのようであつた

庭は着ものを着かかつてゐるひとのようであつた

庭は湯にはいらうとするひとの恥らひを見せてゐた

庭は

庭はやさしく涙ぐんでゐるやうであつた


私は庭とけふも話をしてゐた

私は庭の肩さきに凭れてうつとりとしてゐた

私は庭の方でも凭れてゐることを感じた

私は誰よりも深く庭をあいしてゐた

私は

私は庭にくちびるのあることを知つてゐた


ーー室生犀星「春の庭」より 昭和十一年







庭は垣根と土を眺めるだけにしたい。樹をすくなく石も埋めてしまひたい。ただ掃くことだけ怠りなくして居れば庭は土だけで見られる。その掃くといふことは力がいるし時間がいる。〔・・・〕樹木を植ゑ石を移すことはもうしないが、掃くことだけが生きてゐるかぎり残されてゐる。庭は掃く事、雑草を抜く事、くもの巣を取る事、土を絨毯のやうにする事。

土にでこぼこのない事、垣根が床柱になる事、その他の事。(室生犀星「庭と花」昭和二十七年)



うすねむきひるのゆめ遠く

杏なる庭のあなたに

なにびとのわれを愛でむとするや

なにびとかわが母なりや

あはれいまひとたび逢はしてよ


ーー室生犀星「杏なる庭」より 昭和十八年







庭というものも、行きつくところに行きつけば、見たいものは整えられた土と垣根だけであった。こんな見方がここ十年ばかり彼の頭を領していた。〔・・・〕


彼は土を平手でたたいて見て、ぺたぺたした親しい肉体的な音のするのを愛した。土はしめってはいるが、手の平をよごすようなことはない、そしてこれらの土のどの部分にも、何等かの手入れによって、彼の指さきにふれない土はなかった。土はたたかれ握り返され、あたたかに取り交ぜられて三十年も、彼の手をくぐりぬけて齢を取っていた。人間の手にふれない土はすさんできめが粗いが、人の手にふれるごとに土はきめをこまかくするし、そしてつやをふくんで美しく練れて来るのだ。〔・・・〕


つまり彼に最後にのこったものはやはり庭だけなのだ、終日掃きながら掃いたあとのうつくしさが見たいばかりに、そのうつくしさに何かを、恐らく一生涯の落ちつく先をちらとでも見たいのだ、ばかばかしい話だが、そんなふうに言うより外はない。一生涯の落ちつく先を土に見たって何になるといえばそれまでだが、掃いたあとを見かえると、いままでにないものが現われている、毎日掃くのだから落葉とかゴミとかいう些細な固形物すら見当らないのに、やはりよごれがあった。その眼にとまらないものを掃き上げると、そこからべつな澄んだ景色が見えて来ていた。彼はその景色が見たいばかりに掃くのだ、いやなことを心にためておくと、どうにも心の置場のないような不愉快を感じるが、それを書いてしまうとさっぱりする、さっぱりした心持で何かをあらたに受けいれようとする構えに、するどい動きとも静観ともいいがたいものがある、あいつだよ、あんなふうなものが掃いたあとの、土の上に見られるのである。いろいろなものに取り憑かれ、さまざまなものに熱中して見たが、行きついて見るとつまり庭だけが眼に見えて来ていた、朝起きてから夕方まで眼の行くところは庭よりほかはない。ある意味でそれは庭であるよりも、一つの空漠たる世界が作り上げられていて、それが彼を呼びつづけているのだとでも、ふざけて言ったら言えるのだろう。(室生犀星「生涯の垣根」初出:「新潮」1953(昭和28)年)



童心


をさなきころより

われは美しき庭をつくらんと

わが家の門べに小石や小草を植ゑつつ

春の永き日の暮るるを知らざりき。


いま人となり

なほこの心のこり

庭にいでてかたちよき石を動かす。

寒竹のそよぎに心を覗かす、

われは疲れることを知らず。


ひとりかかる寂しきひそかごとを為しつつ

手をあらひまた机に向ひぬ。

このこころなにとて妻子の知るべき

まして誰にか語らんとするものぞ。


わが家の庭にさまざまの小草さかりて

みな花を着けざるはなかりしが

いまは花咲くものを好まず

わが好むは匂ひなく

色つめたき常磐樹のみ。


ーー大正十一年



よく固められ能く掃かれたゴミ一つこぼれてゐない土の平明平凡さが、いかに美しいものだかをつくづく知つて私は垣根と土を見ることにしたのである。(「樹木の悲しみ」)



砂塵の中


われは愛する庭を破壊せり、

自らその古色蒼然に倦怠を感ず、

されば此の日

ひそかなる微風の中に

石を起し樹木を倒伐せり

何ぞ我が情の悲しみあらんや、

石を起し苔を剥奪せるに

おのづから西方に風起り、

我が庭に濠々たる砂塵を上げて行けり。


ーー昭和三年




室生犀星 の"終の住まいと庭" 市川秀和, 2007, PDF 


………………


ファウスト(娘と踊りつゝ。)


いつか己ゃ見た、好い夢を。

一本林檎の木があった。

むっちり光った実が二つ。

ほしさに登って行って見た。    


美人


そりゃ天国の昔からこなさん方の好な物。

女子に生れて来た甲斐に

わたしの庭にもなっている。


メフィストフェレス(老婆と。)


いつだかこわい夢を見た。

そこには割れた木があった。

その木に□□□□□□があった。

□□□□けれども気に入った。    


老婆


足に蹄のある方と

踊るは冥加になりまする。

□□がおいやでないならば

□□の用意をなさりませ。


ーーゲーテ「ファウスト」 森鴎外訳


MEPHISTOPHELES (mit der Alten): 


Einst hatt ich einen wüsten Traum 

Da sah ich einen gespaltnen Baum, 

Der hatt ein ungeheures Loch

So groß es war, gefiel mir's doch.    


DIE ALTE: 


Ich biete meinen besten Gruß 

Dem Ritter mit dem Pferdefuß! 

Halt Er einen rechten Pfropf bereit, 

Wenn Er das große Loch nicht scheut.




……………………



私には今後これ以上のしごとは出来ないと言ってよい。(『杏っ子』あとがき、1957年)


「僕は正直にいっているんだがね、君に嘘を吐いて騙かす気はない、男というなまぐさいものを先ず君の前であらかた料理して、そして君をお膳の前につれてゆく、嘘の料理を食わせる父親がいたら、それが間違いのもとなんだ、僕は君への最後の友情というものがあったとしたら、僕は男だから僕の悪いところをみんな話したいくらいだよ、黙っている時ではないんだよ。」(室生犀星『杏っ子』第八章「苦い蜜」ー「みなれた顔」)


「わたくしきょう、つくづく女というものが厭になって来たんです、たった一人の男にかしずいて、何でもはいはい聞いているなんて何で引きずられているのかと思うと、それを断ち切りたい気がするわ。鎖みたいな物につながれているんですもの。」〔・・・〕


「抜け道はどこも此処も、男の側からいえば女の肉体で行き詰っているし、女の方も同様に男のそれで行き停まりだ。要は肉体を拒絶することにある。柔しいものも沢山要るが、対手方にうっかり乗らないことも必要だ。」〔・・・〕「いやはや、大へんな悪い親父になった気がするが、親切な親父というものはこのくらいの事は話さなければならないものだ、或る意味で凡ゆる親父というものは、娘の一生を採みくちゃにされない前に、知慧をしぼって教えることは教えて置いた方がよい、だがおれの説得はもうだいぶ遅れている。」(第九章「男ーーくさり」)


平四郎はもはや娘としてではなく、市井の女としての彼女をじろりと見た。そこに思慮分別を超越した人間としての、一個の物質に見入った。そしてこれは皆がこうなるのではなく女がそのために、いつもその生涯の大半を失っているからだ。どれだけ多くの女の人が此処で叫び声をあげられないで、荒縄でぐるぐる巻きにされて、おっぼり出されている事か、そのあたりに見よ、一個のきんたまを持った男が控えているだけである。この恐るべき約束事はふだんの行いに算えられている。(第十二章「唾」ー「荒縄」)




……………………




平静な、「晩年」という言葉に伴いやすい沈静したもの、安らかなもの、生活の流れて行く日々といったものは、衝突を避けて行く老年の知恵といったもののないのとともにそこにはなかつた。むしろ犀星において、それらと反対のところに彼の老年の知恵はあったといつていい。それはもう一度、『打情小曲集』、『愛の詩集』、『性に眼覚める頃』、『結婚者の手記』を通して五十年生きてきた命の中心のものを、七十になんなんとしてもう一度最後に生き返すことであつた。世俗の場合しばしば文学者について見てさえ、老年の知恵とか老熟とかいうことは繰り返しにつながつてくる。あるもの、ある然るべきものの繰り返し、人生上また芸術上の金利生活者ということがそこに出てきがちであるのに対して、この作家は、無一文の一人もの青年さながらの姿で、創造的一回的なものとしてこの生き返しにすすんで行った。上辺の形では、それは老年の知恵の逆だつたとさえいつていい。〔・・・〕くり返して、生き返しは繰りかえしではない。むろん蓄積はある。それは大きい。しかし創造は、現在にいたる蓄積を一擲してでなくて、全蓄積をそのまま踏み台にしての一歩前進である。『杏つ子』において犀星はほとんどデスペレートにそれを試みた。〔・・・〕


(『結婚者の手記』と比較して)『杏つ子』で問題はここからずつと進んでいる。家庭をまもるなとも破壊しろともいうのではない。ただ作者は、わが家庭と家族とをしらべ、新しい条件下で人間の間題をとらえようとした。『復讐の文学』、『巷の文学』、『あにいもうと』、『神 々のへど』の時期を経たものとしてそれをしたのである。作者はもはや小説、虚構ということにかまつていない。ほとんど自伝の体を取り、芥川龍之介、菊池寛などを本名で出し、物語りの展開から道草を食つて、あるいは食いすぎて、さまざまに感慨と意見とを存分に書きこんでいる。子を育てようとする人の親の、特に父親でもあるものの誠意と愚かさとを極限まで描き切ろうと作者はしている。何がこの間に経過して、それが何を残したかを、学者のようにしらべようと作者はしている。粗雑にいえば、作品よりも人生がさきというのがこれを書いている作者の姿である。それだから、大部分の家庭小説のいわゆる大団円はついに現れない。愚かな父親は千々に心を砕いてそれなりである。砕けつ放しである。あたつて砕けろという言い方は必ずしも誠実、計画を予想していない。この場合の平山平四郎は、あらゆる彼の誠実と計画とにおいてあたつて砕けている。そこが創造的一回的である。


こういう晩年は生活力に満ちた晩年といわなければならない。激烈な晩年、奮闘と斬り死との晩年といわなければならない。そこから無限の教えを汲み取ることができるとしても、一般的な規範、教条は、ひとかけらも引き出せぬというのが彼の晩年でありこれらの作品である。(中野重治「晩年と最後」『室生犀星全集』第十巻 後記 新潮社 昭和39年)