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2021年4月6日火曜日

リベラル左翼のヒステリーの言説

 


革命家諸君よ! 君たちは主人を探し求めている。見つかるだろうよ。Ce à quoi vous aspirez comme révolutionnaire, c’est à un Maître. Vous l’aurez.(Lacan à Vincennes, le 3 décembre 1969)


以下のポール・バーハウの文は、必ずしも上のラカンの学園紛争時の発言の注釈だけではないが、それを含めたより一般的な観点である。


標準的症状は社会的症状である。その症状において人は社会的規範に従う。どの社会も制度を構築する。この制度とは、宗教から科学までの信念の象徴的システムである。


遅かれ早かれどの主体もこれらの制度の欠陥を見出し、別の答えを探さなければならない。たいていは、かつ通例のヒステリー的抗議にもかかわらず、彼らはシステム内に居座っている。つまり、欠如なき大他者によって保証された「正しい答え」があるという信念内部に居座っている。そして新しい大他者を探し求めつつ数多くの個人的症状を構築する。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, new studies of old villains, 2009)


要するに大他者への信念に基づいた症状は、ヒステリーの言説の構造を持っている。


ヒステリーの言説に中心的なあり方は、不平不満 ($) の能動的形成である。そして、主体を悩ます事柄への答え(S1) を持っていると想定される「他者」を探し求める。この言説は「真理」を抑圧している、すべての欲望は癒されえない欠如(a)の上に宿っているという真理を。そして典型的には、ナラティブ(S2) の「生産物」を生み出す。それは根源的欠如(a)を解決せず、さらなる苛立ち ($)を引き起こす。(Stijn Vanheule, Capitalist Discourse, Subjectivity and Lacanian Psychoanalysis, 2016ーー四つの言説基本版






現在の日本のリベラル左翼の言説は基本的にヒステリーの言説である。つまりバーハウ曰くの《欠如なき大他者によって保証された「正しい答え」があるという信念内部に居座っている》。彼らのほとんどは、自民党政権を立憲やら共産党やらに代替すれば、日本は上手くいくという信念をもっているようにしか見えない。


ジジェクの言い方なら、連中は日本のシステム自体の致命的亀裂ーー代表的には超高齢化社会における既存の社会保障制度の継続不可能性ーーを問題にすることが極めて少ないポピュリストに過ぎない。


ポピュリズムが起こるのは、特定の「民主主義的」諸要求(より良い社会保障、健康サービス、減税、反戦等々)が人々のあいだで結びついた時である。〔・・・〕


ポピュリストにとって、困難の原因は、究極的には決してシステム自体ではない。そうではなく、システムを腐敗させる邪魔者である(たとえば資本主義自体ではなく財政的不正操作)。ポピュリストは構造自体に刻印されている致命的亀裂ではなく、構造内部でその役割を正しく演じていない要素に反応する。(ジジェク「ポピュリズムの誘惑に対抗してAgainst the Populist Temptation」2006年)



私が折に触れて現在の日本のリベサヨに対して強い批判をするのはこういった文脈のなかにある。最近はこんなことを言ってもいまさらどうしようもないとほとんど諦めているが、とはいえ今でもときにバカにしたくなる「悪癖」を持っている。