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2021年5月18日火曜日

女性の享楽についての注釈は全滅

 まず前回示した図を再掲しよう。




そしてラカンがこのように示した語彙群は、すべてフロイトのトラウマへの固着とその固着を通した無意識のエスの反復強迫にかかわる、ーーこれも前回示した通り。

上の語彙からいくつかを抽出して、それに関わる表現を右項に示せば次の通り(「モノの享楽」「穴の享楽」等、すべて現代ラカン派が使っている表現である)。



去勢が「自体性愛=自己身体の享楽」になぜ関わるのかは、「去勢された自己身体ーー自体性愛文献」を見よ。


他にもうひとつ、異者=異物(異者としての身体)がなぜ「女性の享楽=サントームの享楽」に関わるのかだけ示しておこう。


晩年のラカンはこう言っている。


ひとりの女はサントームである [une femme est un sinthome] (Lacan, S23, 17 Février 1976)

ひとりの女は異者である[une femme, …c'est une étrangeté.  ](Lacan, S25, 11  Avril  1978)


ひとりの女=異者=サントームである。


異者の別名は前回見たようにモノであり、したがってジャック=アラン・ミレールはこう言っている。


サントームはモノの名である。Ce que Lacan appellera le sinthome, c'est le nom de ce qu'il appelait jadis la Chose, das Ding, ou encore, en termes freudiens,(J.A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse X, 4 mars 2009)


つまり原症状としてのサントームは異者の名、ひとりの女の名である。


異者とは固着によってエスに置き残されたリアルな身体(エスの身体)である。


原抑圧と同時に固着が行われ、暗闇に異者が蔓延る。Urverdrängung[…] Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; […]wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen, (フロイト『抑圧』1915年、摘要)

抑圧されたものは異物として分離されている。Verdrängten … sind sie isoliert, wie Fremdkörper 〔・・・〕抑圧されたものはエスに属し、エスと同じメカニズムに従うDas Verdrängte ist dem Es zuzurechnen und unterliegt auch den Mechanismen desselben, 。(フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年)


ーー《抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]》(フロイト『症例シュレーバー 』1911年、摘要)


したがってミレールは次のように言う。


サントームは固着である[Le sinthome est la fixation]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011、摘要


つまり「サントーム=異者=ひとりの女=固着」である。これまた前回見たように、「固着=身体の出来事」であり、ミレールが次のように言うのが十全に理解できる。


サントームは身体の出来事として定義される Le sinthome est défini comme un événement de corps (Miller, L'Être et l'Un- 30/03/2011)

純粋な身体の出来事としての女性の享楽 la jouissance féminine qui est un pur événement de corps …(Miller, L'Être et l'Un、2/3/2011)


ようするに異者としての身体の反復強迫は、女性の享楽=サントームの享楽である。


サントームという享楽自体 la jouissance propre du sinthome (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 17 décembre 2008)

サントームは現実界であり、かつ現実界の反復である。Le sinthome, c'est le réel et sa répétition. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un - 9/2/2011)


この流れのなかで次のミレールの決定的言明がある。


確かにラカンは第一期に「女性の享楽 jouissance féminine」の特性を「男性の享楽jouissance masculine」との関係にて特徴づけた。ラカンがそうしたのは、セミネール18 、19、20とエトゥルデにおいてである。


だが第二期がある。そこでは女性の享楽は、享楽自体の形態として一般化される [la jouissance féminine, il l'a généralisé jusqu'à en faire le régime de la jouissance comme telle]。その時までの精神分析において、享楽形態はつねに男性側から考えられていた。そしてラカンの最後の教えにおいて新たに切り開かれたのは、「享楽自体の形態の原理」として考えられた「女性の享楽」である [c'est la jouissance féminine conçue comme principe du régime de la jouissance comme telle]。(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 2/3/2011)



最も重要なことは、後期ラカンの女性の享楽は、アンコールの性別化の式における女性の享楽とはまったく異なることである。


性別化の式において、ラカンは、数学的論理の織物のなかに「セクシャリティの袋小路」を把握しようとした。これは英雄的試みだった、数学的論理の方法にて精神分析を「現実界の科学」へと作り上げるために。しかしそれは、享楽をファルス関数の記号のなかの檻に幽閉することなしでは為されえない。[Dans les formules de la sexuation, par exemple, il a essayé de saisir les impasses de la sexualité à partir de la logique mathématique. Cela a été une tentative héroïque pour faire de la psychanalyse une science du réel au même titre que la logique mais cela ne pouvait se faire qu'en enfermant la jouissance phallique dans un symbole. ]〔・・・〕


(結局、性別化の式は)、「身体とララングとのあいだの最初期の衝撃」の後に介入された「二次的結果」にすぎない。この最初期の衝撃は、「法なき現実界 」 、「論理なき現実界」を構成する。論理はのちに導入されるだけである。[…sexuation. C'est une conséquence secondaire qui fait suite au choc initial du corps avec lalangue, ce réel sans loi et sans logique. La logique arrive seulement après] (J.-A. MILLER,「21世紀における現実界 LE RÉEL AU XXIèmeSIÈCLE」2012年)


ララングとあるが、ララングはサントームの起源である➡︎ララング文献集



以上、「享楽自体=女性の享楽」とは、トラウマへの固着とその反復強迫である。男にも女にもある原症状としてのサントームである。最後のラカンにおける女性の享楽はファルスの彼岸にある悦(エクスタシー)ではまったくない。それはファルス秩序(言語秩序)からみた二次的な享楽ーー神経症的視野に囚われた享楽ーーにすぎない。


要するに以前に書かれた女性の享楽についての注釈書は全滅だよ。日本的注釈書は現在に至るまで、いまだ全滅かもよ。これに十全に注意しなければならない。