(私はあなたを愛している) |
以下、エッセンス文を列挙しよう。基本は固着による「異者としての身体=トラウマ」である。
1893 |
トラウマないしはトラウマの記憶は、異物 (異者としての身体[Fremdkörper] )のように作用する。この異物は体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子として効果を持つ。das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muß(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年) |
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1915 |
原抑圧と 同時に固着が行われ、暗闇に異者が蔓延る。Urverdrängung[…] Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; […]wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen, (フロイト『抑圧』1915年、摘要) |
次の『制止、症状、不安』の二つの文は二文を合わせて読むべきである。 |
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1926 |
エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。〔・・・〕われわれはこのエスの欲動蠢動を、異物(異者としての身体 Fremdkörper)ーーたえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状と呼んでいる。Triebregung des Es […] ist Existenz außerhalb der Ichorganisation […] der Exterritorialität, […] betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要) |
欲動蠢動は「自動反復」の影響の下に起こるーー私はこれを反復強迫と呼ぶのを好むーー。〔・・・〕そして抑圧において固着する要素は「無意識のエスの反復強迫」であTriebregung […] vollzieht sich unter dem Einfluß des Automatismus – ich zöge vor zu sagen: des Wiederholungszwanges –[…] Das fixierende Moment an der Verdrängung ist also der Wiederholungszwang des unbewußten Es,(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年、摘要) |
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1939 |
抑圧されたものは異物として分離されている。Verdrängten … sind sie isoliert, wie Fremdkörper 〔・・・〕抑圧されたものはエスに属し、エスと同じメカニズムに従う Das Verdrängte ist dem Es zuzurechnen und unterliegt auch den Mechanismen desselben, 。(フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年) |
上の1926年と1939年に「抑圧」とあるのは「原抑圧=固着」のこと。 |
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1911 |
抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ](フロイト『症例シュレーバー 』1911年、摘要) |
次の文には異物という語は現れないが、上の引用群を総括する文のひとつ。 |
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1939 |
トラウマは自己身体の上への出来事 もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]。また疑いもなく、初期の自我への傷(ナルシシズム的屈辱)である[gewiß auch auf frühzeitige Schädigungen des Ichs (narzißtische Kränkungen)]〔・・・〕 この作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。 これらは、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen]。 (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年) |
………………
異者とは残滓(リビドー固着の残滓)とも表現されている。 |
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異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である。corps étranger,[…] le (a) dont il s'agit,[…] absolument étranger (Lacan, S10, 30 Janvier 1963) |
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異者は、残存物、小さな残滓である。L'étrange, c'est que FREUD[…] c'est-à-dire le déchet, le petit reste, (Lacan, S10, 23 Janvier 1963) |
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1937 |
常に残存現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓が存続しうる。 Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年) |
「異者=不気味なもの」でもある。 |
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異者がいる。…異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである。Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich (Lacan, S22, 19 Novembre 1974) |
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1919 |
不気味なものとして感知されるものは、内的反復強迫を思い起こさせるものである[daß dasjenige als unheimlich verspürt werden wird, was an diesen inneren Wiederholungszwang mahnen kann. ](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年) |
固着を通した異者としての身体=不気味なものの反復強迫、これが何よりもまずフロイトの死の欲動だ。 |
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1920 |
われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす。 Charakter eines Wiederholungszwanges […] der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.(フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年) |
そして反復強迫=死の欲動の別名は永遠回帰である。 |
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1920 |
同一の体験の反復の中に現れる不変の個性刻印[gleichbleibenden Charakterzug]を見出すならば、われわれは同一のものの永遠回帰[ewige Wiederkehr des Gleichen]をさして不思議とも思わない。〔・・・〕この反復強迫[Wiederholungszwang]〔・・・〕あるいは運命強迫 [Schicksalszwang nennen könnte ]とも名づけることができるようなものについては、合理的な考察によって解明できる点が多い。(フロイト『快原理の彼岸』第3章、1920年) |
異者としての身体[Fremdkörper] を軸にフロイトラカンを読むといろんなことがスッキリする。多くのことが整理される。
現実界のなかの異物概念(異者概念)は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある。une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance (J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6 -16/06/2004) |
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フロイトの異物についての記述はいくらでもあるが、ここでは二つの書簡から引用しておこう。
1897 |
ところであなたはどう思うだろうか、私のすべての新しいヒステリー前史理論はすでに知られており、数世紀前だが何百回も出版されているという観点について。あなたは覚えているだろうか、私がいつも言っていたことを。中世の理論、強迫観念の霊的法廷は、私たちの異物理論[Fremdkörpertheorie]と意識の分裂と同一だと。 Was sagst Du übrigens zu der Bemerkung, daß meine ganze neue Hysterie-Ur-geschichte bereits bekannt und hundertfach publiziert ist, allerdings vor mehreren Jahrhunderten? Erinnerst Du Dich, daß ich immer gesagt, die Theorie des Mittelalters und der geistlichen Gerichte von der Besessenheit sei identisch mit unserer Fremdkörpertheorie und Spaltung des Bewußtseins? (フロイト、フリース宛書簡、Freud: Brief an Wilhelm Fließ vom 17. Januar 1897) |
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1936 |
疎外(異者分離 Entfremdungen)は注目すべき現象である。〔・・・〕この現象は二つの形式で観察される。現実の断片がわれわれにとって異者のように現れるか、あるいはわれわれの自己自身が異者のように現れるかである。Diese Entfremdungen sind sehr merkwürdige, […] Man beobachtet sie in zweierlei Formen; entweder erscheint uns ein Stück der Realität als fremd oder ein Stück des eigenen Ichs.(フロイト書簡、ロマン・ロラン宛、Brief an Romain Rolland ( Eine erinnerungsstörung auf der akropolis) 1936年) |
他にもラカンが次のように言ったとき、これは1930年の『文化のなかの居心地の悪さ』に依拠しているが、長く引用しないと誤解を招きやすいので、ここでは差し控える(参照)。 |
不快の審級にあるものは、非自我、自我の否定として刻印されている。非自我は異者としての身体、異物として識別される。c'est ainsi que ce qui est de l'ordre de l'Unlust, s'y inscrit comme non-moi, comme négation du moi, …le non-moi se distingue comme corps étranger, fremde Objekt : (Lacan, S11, 17 Juin 1964) |
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ここに快自我と不快の領野が構成される。すなわち、残滓としての対象、異者としての対象である。Ici se constitue le Lust-Ich et le champ de l'Unlust : l'objet comme reste, l'objet comme …étranger, (Lacan, S11, 20 Mai 1964) |
ーーこの不快が享楽である、《不快は享楽以外の何ものでもない déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance》. (Lacan, S17, 11 Février 1970)。つまりは「異者としての身体=享楽」だ。
もうひとつ、ラカンが原症状としてのサントームについて次のように言うとき、「サントームは異者である」ということだ。 |
ひとりの女はサントームである [une femme est un sinthome] (Lacan, S23, 17 Février 1976) |
ひとりの女は異者である[une femme, …c'est une étrangeté. ](Lacan, S25, 11 Avril 1978) |
ーー《サントームという享楽自体[la jouissance propre du sinthome ]》(J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 17 décembre 2008) |
あるいはジャック=アラン・ミレールがサントームはモノの名というとき、これまた「サントームは異者の名」ということである。 |
サントームはモノの名である。Ce que Lacan appellera le sinthome, c'est le nom de ce qu'il appelait jadis la Chose, das Ding, ou encore, en termes freudiens,(J.A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse X, 4 mars 2009) |
モノを 、フロイトは異者とも呼んだ。das Ding[…] ce que Freud appelle Fremde – étranger. (J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 26/04/2006) |
要するに「異者は享楽の名」である。 |
モノは享楽の名である。das Ding…est tout de même un nom de la jouissance(J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse XX, 10 juin 2009) |
これは先ほど引用したセミネールⅩⅠのラカンの「異者としての身体=享楽」と同じこと。 この流れのなかでミレールの次の言明がある。 |
ラカンがサントームと呼んだものは反復享楽であり、S2なきS1[S1 sans S2](フロイトの固着Fixierung)を通した身体の自動享楽に他ならない。ce que Lacan appelle le sinthome est […] la jouissance répétitive, […] elle n'est qu'auto-jouissance du corps par le biais du S1 sans S2(ce que Freud appelait Fixierung, la fixation) (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 23/03/2011、摘要訳) |
分析経験の基盤は厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011) |
以上、フロイトラカンの核心は「固着と異者(モノ)」。これはジャック=アラン・ミレールがラカンから引き継いで30年間のセミネールでの最終的結論としてよい。固着とは、フロイトが既に『夢判断』、つまり1900年の段階で、《我々の存在の核[Kern unseres Wesens]》と呼んだものと等価である。
なお、ラカンが「ひとりの女=サントーム=異者」というときの、「ひとりの女」のより詳しい意味は、「「ひとりの女」の意味」を参照されたし。