このブログを検索

2021年5月24日月曜日

男と女のあいだはうまくいかんもんだよ

 いくらファルスが「男と女のあいだはうまくいかんもんだよ」って言ったってさ、

性関係はソレルスの書いてるようにあるよ、


「男と女のあいだは、うまくいかんもんだよ」、ファルスは始終それを繰り返していた…これは彼の教義の隅石だった。彼はそれをいつまでも声高に主張していた…彼が自分の後で根本的動揺をいだく者がもうひとりもいないことを望んでいたのを思えば、享楽の没収、享楽は結局何にもならないということの証明…だが、それが「うまくいく」ようにできていると言った者がかつていたのだろうか? 面白いのは、そいつが時どき期待を裏切ることができるってことだ…吹っ飛んでしまう前に…もっとも、それがひと度ほんとうに期待を裏切ったとしたら、そいつはとにかく少しはうまくいっている…憎しみのこもった固着に至り着くのでなければ…でもそれだって避けることはできる…ぼくの意見では、ファルスは十分に滑空しなかったんだな…かれはそのことでまいっていたのだと思う…どんな女も彼の解剖学にしびれなかったのだろうか? そうかもしれない…実際にはちがう…気違いじみてもいなかった…後になって「うまくいっている」か、いってないかってことが彼にとってどうでもよくなるには十分じゃなかった…そこから他者たちの生の寄生者たる彼の天性がもたらされる…大いなる天性だ…浸透し、干渉し、妨害し、どこに不一致があるか目星をつけ、そこに居座り、駆り立て、穿ち、悪化させること…ファルスがぼくたちの家でぐずぐずしていたそのやり方のことをぼくはもう一度考えてみる…眼鏡越しにデボラに注がれる彼の長い眼差し…見下げ果てた野郎だ…それは痛ましかった、それだけだ…(ソレルス『女たち』鈴木創士訳)




「ファルスは十分に滑空しなかった」だけさ、


滑空ってのはたとえばこういうことだろうな


ところで私は、数時間とか、せいぜいとても僅かな間の結婚に賛成なのです。ほとんど誰のためでもないような。(フィリップ・ソレルスへのインタビュー : パリ・ガリマール本社、2017年8月28日 阿部静子)



年取ったソレルスは数時間なんて言ってるけどさ、

若いときなら三日間ぐらいはいけたよ、


最も注意すべきはこれだな


男は、間違ってひとりの女に出会い、その女とともにあらゆることが起こる。つまり通常、「性交の成功が構成する失敗 」が起きる。L'homme, à se tromper, rencontre une femme, avec laquelle tout arrive : soit d'ordinaire ce ratage en quoi consiste la réussite de l'acte sexuel. (ラカン, テレヴィジョン, AE538, Noël 1973)




だからやっぱりクンデラの教えを守らなくちゃな


三という数字のルールを守らなければならない。一人の女と短い期間に会ってもいいが、その場合はけっして三回を越えてはだめだ。あるいはその女と長年つき合ってもいいが、その場合の条件は一回会ったら少なくとも三週間は間をおかなければならない。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』)




ま、でもこれだけははやいとこすませておけよ

そっからのみだよ、悟りへの道は。


しかし当時のぼくの生活はとても波乱に満ちたものだった …ほんとうにめちゃくちゃだった …放蕩? そのとおり! ひっきりなしだ …午後、夕方、夜…同時に、三、四人との関係、行きずり、娼婦、なんでもござれ、乱れた暮らし …信じられないくらいの無頓着、やりたい放題やったのだから悔いはない …バー… いくつかの特別の施設 …


…女漁り …ぼくはいつもこの上なく若々しかった …結局、男たちが五十や六十で苦労して知ることを、ぼくは二十か三十でやってしまった …彼らは、わざとらしい気難しさから輝きのないゆるんだ衰弱へと進歩するが、ぼくの方は、気違いじみた放蕩から神秘的観想へと移る …人それぞれに道がある…(ソレルス『女たち』)