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2021年5月6日木曜日

女への怨み


他の人のことは存じ上げないが、蚊居肢子は望みもしないのに、女の下腹のなかで幼虫 larva 期を送り、だがしばらくすると女の股の間から世界に放り出され、その後は女の乳房で育っていたのに、サナギ pupa 期にはそこからも放り出された。二度も女から放り出された不幸な経験を持って、成虫 imago になったのである。


フロイトラカンは、この「放り出されること」を去勢あるいはトラウマと呼んだ。さらにラカンはこれを唯一の真理と言った、ーー《要するに、去勢以外の真理はない。En somme, il n'y a de vrai que la castration  》(Lacan, S24, 1977)


唯一の真理であるか否かは保留するとしても、放り出された怨みは生涯忘れがたい。女への怨みは成虫になっても常に居残っている。


結局、成人したからといって、原初のトラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない。Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz; (フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)


ところでそこのお嬢さんには女への怨みはないのでせうか。


最後に私は問いを提出する。…次のことは本当であろうか? すなわち、全体的に判断した場合、歴史的には、「女というもの 」は女たち自身によって最も軽蔑されてきた、男たちによってでは全くなく。"das Weib" bisher vom Weibe selbst am meisten missachtet wurde - und ganz und gar nicht von uns? -(ニーチェ『善悪の彼岸』232番、1886年)