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2021年5月6日木曜日

ベケットのオッカサンの口

 フロイトは、オットー・ランクの『出産外傷』の記述について、1926年の『制止、症状、不安』を手始めにいくらかの批判をしつつも、最後までこの書にこだわっていた。


オットー・ランクは『出産外傷 Das Trauma der Geburt』 (1924)にて、出生という行為は、一般に「母への原固着」[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、原抑圧[Urverdrängung]を受けて存続する可能性をともなうものであるから、この出産外傷こそ神経症の真の源泉である、と仮定した。


後になってランクは、この原トラウマ[Urtrauma]を分析的な操作で解決すれば神経症は総て治療することができるであろう、したがって、この一部分だけを分析するば、他のすべての分析の仕事はしないですますことができるであろう、と期待したのである。〔・・・〕


だがおそらくそれは、石油ランプを倒したために家が火事になったという場合、消防が、火の出た部屋からそのランプを外に運び出すだけで満足する、といったことになってしまうのではなかろうか。もちろん、そのようにしたために、消化活動が著しく短縮化される場合もことによったらあるかもしれないが。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年)


上にあるように分析治療の対象としては否定したが、母への原固着が原トラウマであるのは受け入れている。固着とは別名「去勢」であり、出産トラウマは原去勢と呼びうる(用語的には固着=トラウマ=去勢である)。


フロイトが以下の文で「去勢の原像」と言っているのが原去勢と見なしうる。



乳児はすでに母の乳房が毎回ひっこめられるのを去勢[der Säugling schon das jedesmalige Zurückziehen der Mutterbrust als Kastration]、つまり、自己身体の重要な一部の喪失[Verlust eines bedeutsamen, zu seinem Besitz gerechneten Körperteils] と感じるにちがいないこと、規則的な糞便もやはり同様に考えざるをえないこと、そればかりか、出産行為[Geburtsakt ]がそれまで一体であった母からの分離[Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war]として、あらゆる去勢の原像[Urbild jeder Kastration]であるということが認められるようになった。(フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註)



そしてラカンの享楽は、去勢でありトラウマ(穴)であり固着である。


まず享楽=去勢=穴である。


享楽は去勢である。[la jouissance est la castration.](Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)

享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として示される他ない。[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](ラカン, Radiophonie, AE434, 1970)


そしてこの穴がトラウマである、ーー《現実界は穴=トラウマを為す[le Réel … ça fait « troumatisme ».]》(ラカン、S21、19 Février 1974)


したがって、


われわれはトラウマ化された享楽を扱っている。Nous avons affaire à une jouissance traumatisée. (J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse, 20 mai 2009)


そして固着については次の通り。


享楽はまさに固着にある。…人は常にその固着に回帰する。La jouissance, c'est vraiment à la fixation […] on y revient toujours. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009)

分析経験の基盤は厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものと私は考えている。je le suppose, c'est … est fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. 〔・・・〕


フロイトが固着点と呼んだもの、この固着点の意味は、…常に同じ場処に回帰するということである。この理由で固着点に現実界の資格を与える。ce qu'il appelle un point de fixation. …Ce que veut dire point de fixation, …qui revient toujours à la même place, et c'est à ce titre que nous le qualifions de réel. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)


ジャック=アラン・ミレールが言っているのは、ラカンの次の現実界の定義を巡っている、ーー《現実界は「常に同じ場処に回帰するもの」として現れる。le réel est apparu comme « ce qui revient toujours à la même place » 》 (Lacan, S16, 05  Mars  1969 )


そして次の文でゲガーンが「固着が穴を為す」と言っているのが、「固着がトラウマ=去勢を為す」という意味を持つことになる。


結局、固着が身体の物質性としての享楽の実体のなかに穴を為す。固着が無意識のリアルな穴を身体に掘る。このリアルな穴は閉じられることはない。ラカンは結び目のトポロジーにてそれを示すことになる。要するに、無意識は治療されない。

Une fixation qui finalement fait trou dans la substance jouissance qu'est le corps matériel, qui y creuse le trou réel de l'inconscient, celui qui ne se referme pas et que Lacan montrera avec sa topologie des nœuds. En bref, de l'inconscient on ne guérit pas. (ピエール=ジル・ゲガーン Pierre-Gilles Guéguen, ON NE GUÉRIT PAS DE L'INCONSCIENT, 2015)


要するに、享楽=去勢=穴=トラウマ=固着である。



ここでオットー・ランクの『出産外傷』からも二文引用しておこう。


すべての幼児期理論の共通の特徴は、民俗学的にも証明されているが(特に神話や妖精物語)、女性の性的器官の否認である。そこには経験された出産外傷の抑圧が明瞭に基礎にある。Der gemeinsame Zug aller infantilen Geburtstheorien, die auch ethnologisch {Mythen und besonders Märchen) reichlich zu belegen sind ist die Verleugnung des weiblichen Sexualorgans und dies verrät deutlich, daß sie auf der Verdrängung des dort erlebten Geburtstraumas beruhen. 


出生の器官としての女性器の機能への不快な固着は、究極的には成人の性的生のすべての神経症的障害の底に横たわっている。女性の冷感症から男性の心的インポテンツまでである。

Die unlustvolle Fixierung an diese Funktion des weiblichen Genitales als Gebärorgan, liegt letzten Endes noch allen neurotischen Störungen des erwachsenen Sexuallebens zugrunde, der psychischen Impotenz wie der weiblichen Frigidität in allen ihren Formen, (オットー・ランク『出産外傷』Otto Rank "Das Trauma der Geburt" 1924年)


性交が中断されたとき引き起こされる性的機能の障害との遭遇は、母の性器の不安(危険なヴァギナデンタータ)に相当する。Störungen der Sexual funktion hinüberleitet, indem der sie auslösende Koitus interruptus der Angst vor dem mütterlichen Genitale entspricht (gefährliche vagina dentata). (オットー・ランク『出産外傷』1924年)



実は前回ベケットがこのオットー・ランクの出産外傷の信奉者であるのを見たので、初めて読んでみたのだが(もっとも斜め読み)、どうやらランクが精神分析の世界に初めて「ヴァギナデンタータ」用語を導入したらしい。


で、ここで飛躍していうが、このビリー・ホワイトロー(Billie Whitelaw)の口はヴァギナデンタータなんだろうか?



Samuel Beckett, Not I, performed by Billie Whitelaw (1973).



前から気になっていたのだが、どうなんだろ?




ちなみにベケットのオッカサンの口はこれである。





何度見てもとってもコワそうである。





で、どうなんだい、おっかさんが亡くなってからは?


死んだほうがもっとタタリますね


そうか、アレからは生涯逃れられないんだな、やっぱり。







問題となっている女というものは、神の別の名である。La femme dont il s'agit est un autre nom de Dieu, (Lacan, S23, 18 Novembre 1975)


ーー《神のタタリ l'ex-sistence de Dieu》 (Lacan, S22, 08 Avril 1975)


(原母子関係には)母なる女の支配がある。語る母・幼児が要求する対象としての母・命令する母・幼児の依存を担う母が。女というものは、享楽を与えるのである、反復の仮面の下に。…une dominance de la femme en tant que mère, et :   - mère qui dit,  - mère à qui l'on demande,  - mère qui ordonne, et qui institue du même coup cette dépendance du petit homme.  La femme donne à la jouissance d'oser le masque de la répétition. (ラカン, S17, 11 Février 1970)


ーー《享楽はタタル la jouissance ex-siste 》(Lacan, S22, 17 Décembre 1974)


「享楽はタタル」とは、上に見たように享楽=トラウマ(穴)であり、つまりトラウマはタタルといことである。さらに言えば母の性器はタタル、ヴァギナデンタータはタタルという、ごく「自然な」話でもある・・・《タタリの場は常に穴と相関関係がある。la position d'une ex-sistence est toujours corrélative d'un trou》 (J.-A. Miller LE LIEU ET LE LIEN, 9 mai 2001)


ピカソだっていろいろ連発している。





こういったことに不注意な人のために、ピカソのアビニヨンの娘たちの部分を使って、とても「親切な」作品を作る人だっている。



Julian Friedler, Le Demoiselle en 3D, 2008