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2021年5月21日金曜日

ああ、をしいこと

 


恋の闇    ヒメは小声で    ここだわな 

早くして  仕舞いなと  ヒメひんまくり 

をしいこと    まくる所をヒメ    呼ばれ



ああ、ほんとにをしいことしたなあ、半世紀近くたったって永遠回帰するよ、あのときのあの場のあの少女は。その後、同じ少女とヤラしてもらったって別の女になっていたからなあ


若い娘たちの若い人妻たちの、みんなそれぞれにちがった顔、それらがわれわれにますます魅力を増し、もう一度めぐりあいたいという狂おしい欲望をつのらせるのは、それらが最後のどたん場でするりと身をかわしたからでしかない、といった場合が、われわれの回想のなかに、さらにはわれわれの忘却のなかに、いかに多いことだろう。Combien y en a-t-il dans nos souvenirs, combien plus dans notre oubli, de ces visages de jeunes filles et de jeunes femmes, tous différents, et auxquels nous n'avons ajouté du charme et un furieux désir de les revoir que parce qu'ils s'étaient au dernier moment dérobés ? (プルースト「ゲルマントのほう」)




ヤッテも三回以内なら回帰する女はいるけどさ・・・


三という数字のルールを守らなければならない。一人の女と短い期間に会ってもいいが、その場合はけっして三回を越えてはだめだ。あるいはその女と長年つき合ってもいいが、その場合の条件は一回会ったら少なくとも三週間は間をおかなければならない。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』)


ーー《いかなる女なりとも、明暮添ひ見んには、いと心づきなく、憎かりなん》(『徒然草』第百九十段)



別の男の名を呼んだ女がいたなあ

とっても切なくってとっても戻ってくるよ

ああ いい女だったなあ




別 の 名   高田敏子


ひとは 私を抱きながら

呼んだ

私の名ではない 別の 知らない人の名を


知らない人の名に答えながら 私は

遠いはるかな村を思っていた

そこには まだ生れないまえの私がいて

杏の花を見上げていた


ひとは いっそう強く私を抱きながら

また 知らない人の名を呼んだ


知らない人の名に――はい――と答えながら

私は 遠いはるかな村をさまよい

少年のひとみや

若者の胸や

かなしいくちづけや

生れたばかりの私を洗ってくれた

父の手を思っていた


ひとの呼ぶ 知らない人の名に

私は素直に答えつづけている

…………