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2021年6月14日月曜日

ヒステリー女の「無条件の愛」

 前回書き残したことを、いくらか補足しておこう。


まず最初に身体を盗まれるのは少女なのである[c'est à la fille qu'on vole d'abord ce corps]。そんなにお行儀が悪いのは困ります、あなたはもう子供じゃないのよ。出来損ないの男の子じゃないのよ……[cesse de te tenir comme ça, tu n'es plus une petite fille, tu n'es pas un garçon manqué, etc. ]。最初に生成変化を盗まれ、一つの歴史や前史を押しつけられるのは少女なのだ[C'est à la fille qu'on vole d'abord son devenir pour lui imposer une histoire, ou une pré-histoire. ](ドゥルーズ &ガタリ『千のプラトー』1980年)


良家のお嬢さんってのはいまでもこれが起こるんだろうよ、


小児の心に躾や身体の始末のことで種々の制約をうけることによる母に対する憎悪の不安[Angst einer Feindseligkeit entspricht, die sich im Kind gegen die Mutter infolge der vielfachen Einschränkungen der Erziehung und Körperpflege entwickelt,](フロイト『女性の性愛 』第1章、1931年)


もっともこの憎悪は、家庭環境により、オッカサマに限らずオバアサマの場合もあるだろうけど。


女性の母との同一化は二つの相に区別されうる。つまり、①前エディプス期の相、すなわち母への情動的結びつきと母をモデルとすること。そして、② エディプスコンプレックスから来る後の相、すなわち、母を排除して、父を代わりに置く。


Die Mutteridentifizierung des Weibes läßt zwei Schichten erkennen, die präödipale, die auf der zärtlichen Bindung an die Mutter beruht und sie zum Vorbild nimmt, und die spätere aus dem Ödipuskomplex, die die Mutter beseitigen und beim Vater ersetzen will. (フロイト「女性性 Die Weiblichkeit」『続・精神分析入門講義』第33講、1933年)


この2番目の同一化は、母の場に自らを同一化して母を押し除け、母が父から愛されたように愛されたいとすることだ。


母との同一化は、母拘束の代替となりうる。Die Mutteridentifizierung kann nun die Mutterbindung ablösen(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)


で、場合によっては、《父の子供を持ちたい欲望[un désir d'avoir un enfant du père]》(Lacan, S4, 09  Janvier 1957)となる。


子供はファルスの代理であり、ファルスを持つことの失敗により、娘は父の子供を持ちたい欲望へと移行する。あたかも子供の贈り物は大他者から期待される究極的に至高の贈り物であるかのように。l'enfant est un substitut du phallus …et que, faute d'avoir le phallus, la fille passe au désir d'avoir un enfant qui, dans la règle, est un enfant du père. …si le don de l'enfant était finalement le don suprême qui pouvait être attendu de cet Autre. Jacques-Alain Miller, MÈREFEMME, 2016,ーーCe texte est un extrait des leçons des 30 mars et 6 avril 1994 du Cours « L'orientation lacanienne. Donc »


これは極端な例かもしれないが、このような仕方にて典型的なヒステリー的女性が出来上がる(昔はこのタイプが多かったらしいが、いまは稀少価値になっている筈)。


より一般的にはこういうことだな。


ヒステリーの欲望は、父の欲望の支えになることだ。le désir de l'hystérique, c'est de soutenir le désir du père   (Lacan, S11, 29  Janvier  1964)


父によって母の穴(トラウマ)を穴埋めすると言ってもよい。


父の名という穴埋め bouchon qu'est un Nom du Père  (Lacan, S17, 18 Mars 1970)


で、典型的には「無条件の愛」を求めるヒステリー女が生まれる。


ヒステリーの場合、性的アクティングアウトは、性-性器的相互関係において、狭められた目標しかない。ヒステリーの主体は、セックスではなく無条件の愛を求める。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, On Being Normal and Other Disorders A Manual for Clinical Psychodiagnostics, 2004)




発展途上国ってのはーーボクが住むインドシナのようなーー、この手の女が多いよ。で、とってもクルシメラレルヒトガオオイラシイヨ・・・➡︎ベトナムで「阿部定事件」再び


「ヒステリー女が欲するものは何か? ……」、ある日ファルスが言った、「彼女が支配するひとりの主人である」。深遠な言葉だ。ぼくはいつかこれを引用してルツ(ルツのモデル:アルチュセール)に言ってやったことがあったが、彼は感じ入っていた。 (ソレルス『女たち』)


まだ若い頃のラカンは『les complexes familiaux(家族複合)』(1938)にて、当時の家族と社会における父の家父長的なイマーゴの凋落が精神病理の主な原因であるとしている。彼は精神分析はこの危機から生まれたとさえ言っている。…


皮肉なことに、ラカンは正しい。ある観点からは、精神分析は本当に家族における父の役割に対する危機から生まれた。

この洞察を引き継ぎ、かつラカンの四つの言説理論を援用して、セルゲイ・アンドレSerge Andre( “What Does a Woman Want? ”2000)は、シニカルなひねりを加えこう言う、《ヒステリーの主体は、主人の形象が必要である。これが精神分析を生む手助けをした》と。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, new studies of old villains A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex, 2009)