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2021年6月21日月曜日

人は恐怖や野心でとんでもないことをしでかす

 


ボルドーに着いてみると全くの混乱状態だった。〔・・・〕噂が乱れ飛んだ。ナチの機甲部隊がそこまで来ているという人があるかと思うと、空襲があるという人もいた。アラベドラはわれわれのために船室を獲得する工作をはじめた。私はからだの具合が悪くて動けなかった。私の旧友で同僚だったアルフレド・コルトーがこの市にいることを伝え聞いて、彼はコルトーに会いにいった。コルトーがフランス政府に有力な関係をもっていることを知って、アラベドラはコルトーにわれわれのために力添えをしてくれるように頼んだ。しかしコルトーは自分にはなにもできないと答えた。アラベドラが私の具合がひどく悪いと言うと、コルトーはそっけなく、「よろしく言ってくれたまえ、元気になるように願っているとね」と言った。コルトーは会いにもきてくれなかった。そのとき彼の行動が理解できなかった。しかし、まもなく、コルトーが公然たるナチの協力者になったときに、なぜ彼が私にこんな仕打ちをしたか、悲しいかな、わかった。恐ろしいことだ、人は恐怖や野心でとんでもないことをしでかす……。(パブロ・カザルス『喜びと悲しみ』)






ロマン主義的なるものとはこの世のなかでもっとも心温まるものであり、民衆の内面の感情の深処から生まれた、もっとも好ましいもの自体ではないでしょうか?疑う余地はありません。それはこの瞬間までは新鮮ではちきれんばかりに健康な果実ですけれども、並みはずれて潰れやすく腐りやすい果実なのです。適切な時に味わうならば、正真正銘の清涼感を与えてくれますが、時を逸してしまうと、これを味わう人類に腐敗と死を蔓延させる果実となるのです。ロマン主義的なるものは魂の奇跡です―― 最高の魂の奇跡となるのは、良心なき美を目にし、この美の祝福に浴したときでありましょうが、ロマン主義的なるものは、責任をもって問題と取り組もうとする生に対する善意の立場からすれば、至当な根拠から疑惑の目で見られるようになり、良心の究極の判決に従って行う自己克服の対象となってまいります。(トーマス・マン「ニーチェ記念講演」1924年)


◼️Cortot, Casals, Thibaud Trio Mendelssohn d mvt 2(1927)



音楽は一見いかに論理的・倫理的な厳密なものであるにせよ、妖怪たちの世界に属している、と私にはむしろ思われる。この妖怪の世界そのものが理性と人間の尊厳という面で絶対的に信頼できると、私はきっぱりと誓言したくはない。にもかかわらず私は音楽が好きでたまらない。それは、残念と思われるにせよ、喜ばしいと思われるにせよ、人間の本性から切り離すことができない諸矛盾のひとつである。(トーマス・マン『ファウスト博士』1947年)

音楽は、それ自体の歴史的傾向に反抗せずに盲目的、無抵抗に服従し、世界理性ではない世界精神に身を委ねる。このことによって音楽の無邪気さは、あらゆる芸術の歴史が準備に取りかかっている破局を早めようとする。音楽は歴史をそれなりに認めている。歴史は音楽を廃棄したがる。しかしながら、まさにこのこと事体が死のみそぎを受けた音楽をもう一度正当化し、存続する逆説的チャンスを音楽に与える。(アドルノ『新音楽の哲学』1949年)



◼️Schumann - Im wunderschönen Monat Mai - Panzera / Cortot



ナチによる大量虐殺に加担したのは熱狂者でもサディストでも殺人狂でもない。自分の私生活の安全こそが何よりも大切な、ごく普通の家庭の父親達だ。彼らは年金や妻子の生活保障を確保するためには、人間の尊厳を犠牲にしてもちっとも構わなかったのだ。(ハンナ・アーレント『悪の陳腐さ』1963年)