ああ、 症状とサントームの相違はフツウの人にはわかりにくいのかもな、ごく簡潔に記しておくよ。
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ラカン派で使われる「症状とサントーム」の対比とは、最も基本的には、象徴界の症状[Le symptôme symbolique]ーー言語内の症状ーーと現実界の症状[Le symptôme réel]ーー身体の症状ーーの相違だ(想像界は基本的には象徴界によって構造化されており、ここでは省く)。
後者の現実界の症状(原症状)であるサントームとは、「身体の出来事=固着(享楽の固着)」と定義される。
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サントームは身体の出来事として定義される Le sinthome est défini comme un événement de corps (Miller, L'Être et l'Un- 30/03/2011)
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サントームは固着である[Le sinthome est la fixation]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011、摘要)
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フロイトが固着と呼んだものは、享楽の固着である。c'est ce que Freud appelait la fixation…c'est une fixation de jouissance.(J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique, 26/2/97)
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そして象徴界の症状[Le symptôme symbolique]である通常の症状は、固着の「形式的覆い」だ。この表現自体、ラカン自身によるが、ここでは簡潔な定義を掲げれば次の通り。
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症状はサントームの形式的覆いである[le symptôme est l'enveloppe formelle du sinthome ] (Patricio Alvarez, Escabeau, 2016)
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これについてフロイトは『症例ドラ』(1905年)で既に、地階のリビドーの固着[Fixierung der Libido]と上階の心的外被[psychische Umkleidung]と要約できることを言っており、同じことだ。
この地階と上階は基本的には次のことを意味する。
フロイト用語では、すべての神経症的症状は、欲動の固着を包含かつ隠蔽しており、この欲動の固着(リビドーの固着)自体は取り消せ得ない。ラカンによって詳述された治療の新しい目標は、主体が欲動の根あるいは欲動固着に向けて別のポジションを取る可能性を開くことである。
In Freudian terms: every ncurotic symptom contains and hides a fixation of the drive, which in itself cannot be changed. The new aim of the treatment, as elaborated by Lacan, opens the possibility for the subject to take another position towards this drive root or drive fixation. (ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER, 2001年)
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つまり図としてはこうなるが、上階でも地階の固着に(人によってその多寡はあれ)支配されている。
ここまで記した基本の把握の下で、ジャック=アラン・ミレールの2005年のセミネールの冒頭に掲げられた図を眺めれば、多くのことが鮮明化される筈(ここではラカンジャーゴンとして一般には難解だろう行を三行カットした簡潔版を示す)。
冒頭の行にある「症状/サントーム」が、「形式的覆い/固着」であり、一般的に享楽とか欲動と言われるものの核は、「固着=身体の出来事」のことなのである。
享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する。[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours.] (Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009)
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享楽は身体の出来事である。享楽はトラウマの審級にあり、固着の対象である。[la jouissance est un événement de corps. …la jouissance, elle est de l'ordre du traumatisme…elle est l'objet d'une fixation.](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)
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固着とは原抑圧のことであり、ラカン自身からなら次の三文に最も鮮明に現れている(「欲動=リビドー =享楽」であることをしっかり念頭に置かれたし)。
欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。…穴は原抑圧と関係がある。il y a un réel pulsionnel […] je réduis à la fonction du trou.[…]La relation de cet Urverdrängt(Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)
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リビドーは、その名が示すように、穴に関与せざるをいられない La libido, comme son nom l'indique, ne peut être que participant du trou〔・・・〕そして私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。et c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même. (Lacan, S23, 09 Décembre 1975)
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享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として示される他ない。[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)
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ところで左項の象徴界の症状の側に「真理」とあるが、これだけは誤解のないように注釈を付け加えてその意味を強調しておこう。
症状は現実界についての嘘である[Le symptôme est un mensonge sur le réel].(J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses Comités d'éthique, 18/12/96)
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真理は本来的に嘘と同じ本質を持っている。(フロイトが『心理学草稿』1895年で指摘した)proton pseudos (誤った結びつけ)もまた究極の欺瞞である。嘘をつかないものは享楽である[ vérité est intrinsèquement de la même essence que le mensonge. Le proton pseudos est aussi le faux ultime. Ce qui ne ment pas, c'est la jouissance,](J.-A. MILLER, L'inconscient et le corps parlant, 2014)
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「嘘」というのは少し違和がある人もいるだろうから、防衛と言い換えてもよい。次のミレール文はラカン自身が言っていることの簡潔な要約である。
欲望は享楽に対する防衛である le désir est défense contre la jouissance (Jacques-Alain Miller L'économie de la jouissance、2011)
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要するに左項目はすべて右項目の防衛だということになる。
他にもうひとつ、「欠如/穴」の行の穴は、現実界のトラウマのことだ。
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現実界は穴=トラウマを為す[le Réel … ça fait « troumatisme ».](ラカン、S21、19 Février 1974)
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より詳しくは[欠如と穴(外立)]を参照のこと。
以上、私はあまり簡潔に書くのは好まないほうで、簡潔にーーしかも断定的にーー書きすぎたかもしれないが、私の脳髄のなかではこれは疑いようもない基本であり、なぜ日本ラカン業界ではいまだコンセンサスになっていないのかのほうが不思議でならない。
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※付記
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ラカン自身の言葉を読むときに注意しなければならないことは、晩年の彼が「症状」という言葉を使うとき、多くの場合、「現実界の症状=サントーム」であることだ。
たとえば次の三文の症状はすべてサントームだ。
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症状は刻印である。現実界の水準における刻印である。Le symptôme est l'inscription, au niveau du réel,. (Lacan, LE PHÉNOMÈNE LACANIEN, 30. Nov 1974)
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症状は現実界について書かれることを止めない。le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel (ラカン『三人目の女 La Troisième』1974)
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症状は身体の出来事である。le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps(ラカン, JOYCE LE SYMPTOME,AE.569, 16 juin 1975)
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これは、ラカンは1975年11月18日に初めてサントーム概念を提出したゆえの混在ということはある。
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サントームは後に症状と書かれるものの古い書き方である。LE SINTHOME. C'est une façon ancienne d'écrire ce qui a été ultérieurement écrit SYMPTÔME. (Lacan, S23, 18 Novembre 1975)
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ただしこの後も症状という言葉をサントームの意味で使っている場合が多い。それはフロイトが晩年には抑圧という語を原抑圧(排除、固着)の意味で使っているのと相同的である。
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