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2021年6月19日土曜日

髪の毛を代赫色に染めた少年たち

 


ところでいつ起こるんだろうな、東京オリンピックはやるらしいから、その後かね。要するに、「放漫財政=>借金極大化=>大増税or踏み倒し=>国民の消費大増税反対=>踏み倒し(=ハイパーインフレ)の選択=>ハイパーインフレの鎮静化の必要性=>新券発行or 中央銀行のとっかえ」というヤツだけどさ。経済的焼け野原は間近にきまってるよ。


東北大震災後に阪神大震災の話を出すのはなんだけど、ボクは1995年までの日本しか知らないから後者の事例を挙げるが、どいつが「髪の毛を代赫色に染めた少年たち」で、どいつがそうでないかってのはな。人間の真価が出るときだから、楽しみにしてんだけどさ。


そこのツイッターで吠えているキミとかさ、とっても明らかになっちゃうよ。形だけでもいいからそろそろ茶髪に染めといたらどうだい? そうしたら気合いが入るかもよ。


阪神大震災直後、西部被災地においての経験であるが、約半月は貨幣経済がほぼ完全に停止した。援助物資と焚き出しに依存して生活する他なかった。逆に、お金があっても店はなく、小銭が時々要るだけであった。学校もすべて休校となり、避難所と化した。それだけでなく学歴社会も一時停止した。証拠に、皆の顔から普段の社会的地位(とその背景の学歴など)による仮面が抜け落ちていた。被災民は高揚していた点では異常であったが、憑きものとしての学歴や何やかやがとれていた点ではふだんよりも正常であった。その人の正味の価値がみえていたといおうか。いつもは控え目な人がみごとな働きをし、ふだん大言壮語する人が冴えなかったりした。髪の毛を代赫色に染めた少年たちがきびきびと働いていた。ヴォランティアの青年は時に「奔走家」といわれた「維新の志士」も実際はこうではなかったかという思いを起こさせた。歴史の霞の中で美化されているが、幕末の十代、二十代も神様であったわけはない。(中井久夫「学園紛争とは何であったのか」書き下ろし1995年『家族の深淵』所収)


実に学歴社会と貨幣経済の社会が少なくとも半月にわたって完全になくなったわけなので、髪の毛を茶色に染めてケバだてて学校の先生の眼の敵になっている少年たちが本当に生き生きと水を運んだり、おばあさんの介護をしたりと飛び回った。(中井久夫「災害と危機介入」初出1995年『精神科医がものを書くときⅡ』)


このたびの阪神・淡路大震災ではいろいろなことがあったけれでも、震災被害者に対する顕著な差別はなかったと言い切っても、さほど異論が出ないのではないか。


差別は、震災被害者の外的・内的の事情に対する無理解や誤解とは別のことである。そういうものなら当然ある。過不足のない理解を外部の人に求めるのはそもそも無理であり、被災者もそれを求めはしなかった。また、オーストラリアの災害研究者ラファエル女史は『災害の襲うとき』の中で、被災者にとって最大の危機は忘れられる時であると述べているが、そういう意味でも、阪神・淡路大震災は、これまで日本を襲った災害の中ではもっとも忘れられなかったものといってよいだろう。


外国人差別も市民レベルではなかったといってよい。ただ一つベトナム難民と日本人とが同じ公園に避難した時、日本人側が自警団を作って境界に見張りを立てたことがあった。これに対して、さすがは数々の苦難を乗り越えてきたベトナム難民である。歌と踊りの会を始めた。日本人がその輪に加わり、緊張はたちまちとけて、良性のメルトダウンに終ったそうである。(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」初出2000年『時のしずく』所収)



➡︎「日本はもはやアキラメルほかないね