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2021年6月5日土曜日

私にはよくわかる、先ほどなぜ、あれほどの困難を覚えたのかが

 


私にはよくわかる、先ほど私がなぜ、あれほどの困難を覚え、なかなか始められなかったのかが。今では私にはよくわかる、私に先立って私を後押しし、語るように私を誘い、私自身の演説の中に宿ってほしいと私が願っていたのは、どんな声なのかが。言葉を発するのを、あれほど恐ろしいものにしていたのは、なんだったのかが私にはわかる。私が言葉を発したこの場は、彼の話を私が聞いた場所であり、ただ私の話を聞こうにも、彼はもうそこにはいないのだから。


Et je comprends mieux pourquoi j'éprouvais tant de difficulté à commencer tout à l'heure. Je sais bien maintenant quelle est la voix dont j'aurais voulu qu'elle me précède, qu'elle me porte, qu'elle m'invite à parler et qu'elle se loge dans mon propre discours. Je sais ce qu'il y avait de si redoutable à prendre la parole, puisque je la prenais en ce lieu d'où je l'ai écouté, et où il n'est plus, lui, pour m'entendre. (Godard  Histoire(s) du cinéma 4B)


この、ゴダールが『(複数の)映画史』4Bの冒頭近く一分半あたりから聞き取りにくい声で語った言葉は、ミシェル・フーコーのコレージュ・ド・フランス開講講演「言説の秩序」の末尾にそのものだ(Michel Foucault, L'ordre du discours, Leçon inaugurale au Collège de France prononcée le 2 décembre 1970)。ゴダールがこの言葉を口にするときは別の映像が流れているのだが、その半分ほど前にはトリュフォーの顔が大写しになっている。




上の文は喧嘩別れして葬式にも出なかったゴダールのトリュフォーに向けられた言葉として読みたくならないでもない。死後出版されたトリュフォーの書簡集ーートリュフォーからゴダールへ向けての悪罵の書簡も含まれているーーその序文にゴダールは「フランソワは死んだかもしれない。わたしは生きているかもしれない。だが、どんな違いがあるというのだろう?」と書いている。



星の友情[Sternen-Freundschaft]ーーわたしたちは友人だった。それから疎遠になった。しかし、それは当然のことなのだ。わたしたちはそのことを、はずかしがって隠したり、ごまかしたりしないだろう。わたしたち二人は、それぞれに別の航路と目的地をもった二艘の船なのだ。いつの日かわたしたちの航路がまじわり、昔そうしたように、二人して祝祭を催すこともあるだろう。――あのころ、二艘のけなげな船は、同じ港で同じ陽をあびて、肩を並べて静かに横たわっていた。まるでもう目的地に着いたかのように、目的地がひとつであったかのように見えた。しかし、やがて効しがたい使命のよびかけにうながされて、わたしたちは再び異なる海へ、異なる海域へ、異なる太陽のもとへと、遠く離れることになったのだ。――あるいはもう二度とまみえることがないかもしれぬ、もう一度まみえることがあっても、お互いがわからないかもしれない、異なる海と太陽が、わたしたちをすっかり変えてしまっていることだろう。…(ニーチェ『悦ばしき知識』279番)



フーコーの発言自体に戻れば、「彼」とあるのは、1968年に亡くなったジャン・イポリット(Jean Hyppolite)であり、フーコーはその後継としてコレージュの教授になったのであのように言っている。だがそんな文脈はこの際すっとばして味わいたくなる「ひどく美しい」言葉だ。


少し前に引用した『言葉と物』の文章と同じくらい。


可能なあらゆる言説を、語の束の間の厚みのなかに、白紙のうえのインクで書かれたあの厚みのない物的な黒い線のなかに、閉じこめようとするマラルメの企ては,事実上、ニーチェが哲学にたいして解決を命じた問い掛けに答えるものだ。


L’entreprise de Mallarmé pour enfermer tout discours possible dans la fragile épaisseur du mot, dans cette mince et matérielle ligne noire tracée par l’encre sur le papier, répond au fond à la question que Nietzsche prescrivait à la philosophi〔・・・〕


だれが語るのか? というこのニーチェの問にたいして、マラルメは、語るのは、その孤独、その束の間のおののき、その無のなかにおける語そのものーー語の意味ではなく,その謎めいた心もとない存在だ、と述ぺることによって答え、みずからの答えを繰りかえすことを止めようとはしない。


A cette question nietzschéenne : qui parle? Mallarmé répond, et ne cesse de reprendre sa réponse, en disant que ce qui parle, c’est en sa solitude, en sa vibration fragile, en son néant le mot lui-même – non pas le sens du mot, mais son être énigmatique et précaire. 〔・・・〕


マラルメは,言説がそれ自体で綴られていくようなく書物>の純粋な儀式のなかに,執行者としてしかもはや姿をみせようとは望まぬほど、おのれ固有の言語から自分自身をたえず抹消つづけたのである。


Mallarmé ne cesse de s’effacer lui-même de son propre langage au point de ne plus vouloir y figurer qu’à titre d’exécuteur dans une pure cérémonie du Livre où le discours se composerait de lui-même. (ミシェル・フーコー『言葉と物』第5章「人間とその分身」1966年)



フーコーのコレージュ開講講演の冒頭近くには、ベケットの名高い言葉も口にされている。


続けなくちゃいけない、おれには続けられない、続けなくちゃいけない、だから続けよう、言葉をいわなくちゃいけない、言葉があるかぎりは言わなくちゃいけない、彼らがおれを見つけるまで、彼らがおれのことを言い出すまで、奇妙な痛みだ、奇妙な過ちだ、続けなくちゃいけない、ひょっとしてもうすんだのか、ひょっとして彼らはもうおれのことをいっちまったのか、ひょっとして彼らはおれをおれの物語の入り口まで運んでくれたのか、扉の前まで、扉をあければおれの物語、もし開いたら、驚きだ。(ベケット『名づけえぬもの』)


 Il faut continuer, je ne peux pas continuer, il faut continuer, il faut dire des mots tant qu'il y en a, il faut les dire jusqu'à ce qu'ils me trouvent, jusqu'à ce qu'ils me disent – étrange peine, étrange faute, il faut continuer, c'est peut-être déjà fait, ils m'ont peut-être déjà dit, ils m'ont peut-être porté jusqu'au seuil de mon histoire, devant la porte qui s'ouvre sur mon histoire, ça m'étonnerait si elle s'ouvre. ( Samuel Beckett,  L'Innommable, 1953)