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2021年7月10日土曜日

ムダな「転移」を避けるために


愛は転移である[l'amour est transfert(J.-A. Miller, Les labyrinthes de l'amour, 1992


転移転移っていうけど、隠喩のことだよ。


愛は隠喩である。われわれが隠喩を「代理」として識別する限りで[l’amour est une métaphore, si tant est que nous avons appris à l’articuler comme une substitution  (Lacan, S8, 30  Novembre 1960)


例えば、リルケの墓碑銘の「薔薇」は、何の隠喩だかはまるわかりだろ?


薔薇よ、おお、純粋な矛盾よ。

あまたの瞼のしたで、だれの眠りでもないという悦楽よ

Rose, oh reiner Widerspruch, Lust, 

Niemandes Schlaf zu sein unter soviel Lidern.



ラカンの隠喩と換喩[la métaphore et la métonymie]は、フロイトの圧縮と置換[Verdichtung und Verschiebung]であり、代理満足[Befriedigungsersatz]のことだ。


リビドー興奮[libidinösen Erregung]は圧縮と置換を通して代理満足となる[daß er durch Verdichtung und Verschiebung zum Befriedigungsersatz]。(フロイト『精神分析入門』第24章、1917年、摘要)


で、愛は圧縮で欲望は置換だ、《欲望は換喩である[le désir est la métonymie]》(Lacan, E623, 1958)。


ま、どっちも穴埋めだよ。


愛は穴を穴埋めする[l'amour bouche le trou.](Lacan, S21, 18 Décembre 1973)


ラカンは欲望は享楽(享楽の穴)に対する防衛だとしか言ってないが、防衛だって穴埋めさ。


身体の穴の穴埋めだ。


対象aの共通の要素は、身体の穴(開口部)に繋がっているという事実がある[le facteur commun du petit (a) c'est d'être lié aux orifices du corps. (Lacan, S22, 21 Janvier 1975)


身体には対象aの穴が開いてるからそれを穴埋めしなくちゃな、


対象aは穴である[l'objet(a), c'est le trou (Lacan, S16, 27 Novembre 1968

身体は穴である[corps…C'est un trou](Lacan, conférence du 30 novembre 1974, Nice


この穴をそのままにしといたらすうすうして気持ち悪いよ、これが転移さ。


いろんな穴があるからな、目の穴、鼻の穴、耳の穴、口の穴、乳房の穴、尿道の穴、ケツの穴、毛穴だってあるさ。これは男も女も一緒だ。


ただし女のほうが男より穴がひとつ多いけどさ。


ヴァギナの享楽[jouissance vaginale](Lacan, S10, 19  Décembre  1962)

享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として示される他ない[ la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](ラカン, Radiophonie, AE434, 1970


要するにヴァギナの穴だ。この穴埋めには手間がかかるんだろうな。


アリストテレスは既にヒステリーを次の事実を基盤とした理論として考えた。すなわち、子宮は女の身体の内部に住む小さな動物であり、何か食べ物を与えないとひどく擾乱すると。Déjà ARISTOTE donnait de l'hystérique une théorie fondée sur le fait que l'utérus était un petit animal qui vivait à l'intérieur du corps de la femme  et qui remuait salement fort quand on ne lui donnait pas de quoi bouffer.   (Lacan, S2, 18 Mai 1955)

女が事実上、男よりもはるかに厄介なのは、子宮あるいは女性器の側に起こるものの現実をそれを満足させる欲望の弁証法に移行させるためである。Si la femme en effet a beaucoup plus de mal que le garçon, […] à faire entrer cette réalité de ce qui se passe du côté de l'utérus ou du vagin, dans une dialectique du désir qui la satisfasse  (Lacan, S4, 27 Février 1957)



後年のラカンは享楽の穴、つまり欲動の穴は臍の穴が起源だと言ってるけどさ。


欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。欲動は身体の空洞に繋がっている。il y a un réel pulsionnel […] je réduis à la fonction du trou. C'est-à-dire ce qui fait que la pulsion est liée aux orifices corporels.


原抑圧との関係、原起源にかかわる問い。私は信じている、フロイトの「夢の臍」を文字通り取らなければならない。それは穴である。

La relation de cet Urverdrängt, de ce refoulé originel, puisqu'on a posé une question concernant l'origine tout à l'heure, je crois que c'est ça à quoi Freud revient à propos de ce qui a été traduit très littéralement par ombilic du rêve. C'est un trou,〔・・・〕


人は臍の緒によって、何らかの形で宙吊りになっている。瞭然としているのは、宙吊りにされているのは母によってではなく、胎盤によってである。臍は聖痕である。

…que quelqu'un s'est trouvé en quelque sorte suspendu[…]  pour lui du cordon ombilical. Il est évident que ce n'est pas à celui de sa mère qu'il est suspendu, c'est à son placenta.…l'ombilic est un stigmate.Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter, Strasbourg le 26 janvier 1975


でもフロイトの夢の臍ってのは、結局、異者のことだ。


暗闇に置き残された夢の臍 im Dunkel lassen…Nabel des Traums」](フロイト『夢解釈』第7章、1900年、摘要)

抑圧と同時に固着が行われ、暗闇に異者が蔓延る。Urverdrängung…Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; …wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen, (フロイト『抑圧』1915年、摘要)


異者とは異物[Fremdkörper]、つまり異者としての身体だ。


異者としての身体問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,… le (a) dont il s'agit,…absolument étranger (Lacan, S10, 30 Janvier 1963)


ラカンは最晩年、ようやく女は異者だと口に出したけどさ。


ひとりの女は異者である[une femme, …c'est une étrangeté.  (Lacan, S25, 11  Avril  1978)


これは最終的には、女はヴァギナの穴ってことだよ。


異者がいる。異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)

女性器は不気味なものである[das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. ](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』第2章、1919)


この穴のせいで、女は愛の転移の仕方が男よりもいっそう過剰になるんだろうな


ヒステリーにおけるエディプスコンプレクス何よりもまずヒステリーは過剰なファルス化を「選択」する、ヴァギナについての不安のせいで。the Oedipus complex in hysteria,…that hysteria first of all 'opts' for this over-phallicisation because of an anxiety about the vagina. . (PAUL VERHAEGHE,  DOES THE WOMAN EXIST?, 1997


エディプスコンプレクスってのはつまり父の名であって、あの穴のせいでむかしから女にはヒステリー が多かったのさ(そもそもヒステリーは、「子宮」という意味の古典ギリシア語の ὑστέρα が語源だ)。


ヒステリーの欲望は、父の欲望の支えになることだ[le désir de l'hystérique, c'est de soutenir le désir du père ](Lacan, S11, 29  Janvier  1964

父の名という穴埋め[bouchon qu'est un Nom du Père  (Lacan, S17, 18 Mars 1970)


いまは少なくなったというけど、父への転移だけはホントにやめといたほうがいいよ。神への転移とかさ。特に後者の転移したら賎民になっちまうよ、《宗教は賎民の関心事である[Religionen sind Pöbel-Affairen]》(ニーチェ『この人を見よ』1888年)。もっとも行為の人、ナザレのイエスに転移するんだったら悪くないがね。


もちろん人は何らかの形で転移してるんだけどさ。厳密に形式的観点から言えば父の名は言語なんだから。


言語、法、ファルスとの間には密接な結びつきがある。父の名の法は、基本的に言語の法以外の何ものでもない[Il y a donc ici un nœud très étroit entre le langage, la Loi et le phallus. La Loi du Nom-du-Père, c'est au fond rien de plus que la Loi du langage (J.-A. MILLER, - L’Être et l’Un,  2/3/2011)



言語を使用して生きているというのは身体の穴を穴埋めして生きているということだ。先ほど言ったのは、生身の父で穴埋めしたり、神の夢想で穴埋めするのだけはやめとけということだ。


もっとも最近はヒステリーが少なくなって、かつての典型的ヒステリーである上階の症状「不安ヒステリー ・転移ヒステリー」(精神神経症) がヴェールしていた地階の症状「不安神経症」(現勢神経症)に移行している場合が多いらしいけど。


この現勢神経症のひとつが「パニック発作」だ。そもそも昔から言語を使用する人間の症状は「二重構造」になってて、言語の症状と身体の症状だ。


基本的にはフロイト用語とラカン用語はこうなっている。




で、ヒステリー は上階の言語の症状、不安神経症は地階の身体の症状だよ。ヴァギナ不安ってのはもちろん後者だ。


オットー・ランクにはフロイトとラカンのあいだに橋を架ける見事に簡潔明瞭な文があるけどね。


出生の器官としての女性器の機能への不快な固着は、究極的には成人の性的生のすべての神経症的障害の底に横たわっている[Die unlustvolle Fixierung an diese Funktion des weiblichen Genitales als Gebärorgan, liegt letzten Endes noch allen neurotischen Störungen des erwachsenen Sexuallebens zugrunde](オットー・ランク『出産外傷』Otto Rank "Das Trauma der Geburt" 1924年)


ーーサミュエル・ベケットやサルバドール・ダリがとっても好んだ文だ。


ところでーーシロウトの身として言うがーー、最近は手軽に穴埋め器が手に入るんだから、もっと利用すべきじゃないかね。そうすればケッタイな転移が減ると思うがね。


無知のボクなんかひどく感心しちゃったよ、次の「立鳥」なる穴埋め器の紹介マンガに。









これ使っておいたら生身の父への転移やら神への転移やらだけではなく、パニック発作のたぐいも減るんじゃないかね、自傷行為だってたぶん減るよ。


主体の自傷行為は、イマジネールな身体ではなくリビドーの身体による[l'auto mutilation du sujet […] le corps qui n'est pas le corps imaginaire mais le corps libidinal( J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6   - 16/06/2004)

ラカンはマゾヒズム において、達成された愛の関係を享楽する健康的ヴァージョンと病理的ヴァージョンを区別した。病理的ヴァージョンの一部は、対象関係の前性器的欲動への過剰なアタッチメントを示している。それは母への固着であり、自己身体への固着でさえある。自傷行為は自己自身に向けたマゾヒズムである。

Il distinguera, dans le masochisme, une version saine du masochisme dont on jouit dans une relation amoureuse épanouie, et une version pathologique, qui, elle, renvoie à un excès de fixation aux pulsions pré-génitales de la relation d'objet. Elle est fixation sur la mère, voire même fixation sur le corps propre. L'automutilation est un masochisme appliqué sur soi-même..  (エリック・ロラン Éric Laurent発言) (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 7 février 2001)



自己身体への固着ってのは究極は女性器への固着だろうからな、《享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. ]》(Miller, Choses de finesse en psychanalyse , 20/5/2009)。でも、あんなところに常に回帰しちゃ困るんじゃないかね。


マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている。そしてマゾヒズムはサディズムより古い。Masochismus […] für die Existenz einer Strebung, welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat. 〔・・・〕


我々が、欲動において自己破壊を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動の顕れと見なしうる。Erkennen wir in diesem Trieb die Selbstdestruktion unserer Annahme wieder, so dürfen wir diese als Ausdruck eines Todestriebes erfassen(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)



ま、なにはともあれ、最も重要なのは、穴がお好きなリビドーをなだめることだよ。


リビドーは、その名が示すように、穴に関与せざるをいられない La libido, comme son nom l'indique, ne peut être que participant du trou. (Lacan, S23, 09 Décembre 1975

フロイトが『ナルシシズム入門』で語ったこと、それは、我々は己自身が貯えとしているリビドーと呼ばれる湿った物質[substance humide ,…qui s'appelle  la libidoでもって他者を愛しているということである。つまり目の前の対象を囲んで、浸し、濡らすのである。愛を湿ったものに結びつけるのは私ではなく、去年注釈を加えた『饗宴』の中にあることである。


愛の形而上学の倫理……フロイトの云う「愛の条件 Liebesbedingung」の本源的要素……私が愛するもの……ここで愛と呼ばれるものは、ある意味で、私は自分の身体しか愛さないということである。たとえ私はこの愛を他者の身体に転移させるときにでもやはりそうなのである[ce qui s'appelle aimer d'une certaine façon …je n'aime que mon corps, même quand cet amour,  je le transfère sur le corps de l'autre.   (ラカン、S921 Février 1962