女が真実を語るのは、言葉でなしに、からだでだ。(坂口安吾「恋をしに行く」1947年) |
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素子とは何者であるか? 谷村の答へはたゞ一つ、素子は女であつた。そして、女とは? 谷村にはすべての女がたゞ一つにしか見えなかつた。女とは、思考する肉体であり、そして又、肉体なき何者かの思考であつた。この二つは同時に存し、そして全くつながりがなかつた。つきせぬ魅力がそこにあり、つきせぬ憎しみもそこにかゝつてゐるのだと谷村は思つた。 (坂口安吾「女体」1946年) |
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安吾は戦争中にしっかり研究したのである、女なるものを。 |
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女の身体は冥界機械 [chthonian machin] である。その機械は、身体に住んでいる心とは無関係だ。(カミール・パーリア「性のペルソナ Sexual Personae」1990年) |
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女たちは自らの身体を掌握していない。古代神話の吸血鬼とゴルゴン(ステンノー、エウリュアレー、メドゥーサの三姉妹)の不気味な原型は、女性のセクシャリティの力と恐怖について、フェミニズムよりずっと正確である。(Camille Paglia “Vamps & Tramps: New Essays”、1994) |
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男性の方々には最低限、夫婦関係においては地獄の釜の蓋を開けないようオススメします。 ……………………… |
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カナダの女性神経心理学者による「女は身体的な興奮と主観的な興奮が一致しない」という実験結果もびっくりしました。男はペニスの勃起と性的興奮が完全に一致しますが(興奮にしないと勃たない)、女はヴァギナが興奮しても主観的には性的興奮を感じていないことがある。これは男にとって驚天動地の話ですが、知り合いの複数の女性から「そんなの当たり前だと思っていた」「橘さんが驚いたことに驚いた」といわれて、さらにびっくりすることになりました。(橘玲「進化しない人間の性愛 男にとって女が「永遠の謎」である理由」2020年7月14日) |
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「女は身体的な興奮と主観的な興奮が一致しない」については、カナダの女性神経心理学者だけでなく、種々の研究成果を紹介している2019年の論がある➡︎Understanding sexual arousal and subjective–genital arousal desynchrony in women, by Cindy Meston&Amelia M. Stanton, 2019, PDF |
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この論には色々な図が示されているが、次の図が最も鮮明化されている。 |
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必ずしもすべての女性ではないようだが、性器の性的興奮と主観の性的興奮の不一致が示されている。男性は、女性が「がなぜこんなに濡れているのかしら?」と呟く局面に遭遇しても「このアマ、トボケやがって!」などとシツレイなことを思ってはならないのです。 ……………… |
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身体の実体は、《自ら享楽する身体》として定義される[Substance du corps, …qu'elle se définisse seulement de « ce qui se jouit ». ](Lacan, S20, 19 Décembre 1972) |
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ーー《きみは享楽してるとき、ぼくを愛してるかい?[Quand tu jouis, est-ce que tu m'aimes ?]》(J.-A. Miller, L'OBJET JOUISSANCE, 2016/3) |
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ひとりの女は他の身体の症状である。もしそうでなかったら、ひとりの女はいわゆるヒステリーの症状のままだ。une femme est symptôme d'un autre corps, si ce n'est pas le cas, elle reste symptôme dit hystérique.» (Lacan, JOYCE LE SYMPTOME, AE569, 1975) |
ふたつの身体 |
ラカンの身体は、第一に鏡像段階の身体[le corps du Stade du miroir]であり、本質的にイマジネールな身体[un corps imaginaire]である。他方、後期ラカンの新しい身体は、享楽の支柱[le support de la jouissance 」であり、他の身体[un autre corps]である。(J.-A. MILLER, - L'ÊTRE ET L'UN -09/03/2011、摘要) |
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ラカンやミレールは上のように言っていますが、パートナーとの関係を長続きさせるためには、むしろ女性をイマジネールな享楽、あるいはヒステリーの享楽のままに抑えておくべきではないでせうか。
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