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2021年7月7日水曜日

世界におけるあらゆる禍いの元


快適な生活をした社会は産児数が減る。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」初出2000年『時のしずく』所収 )


ーーなんだろうな。そもそも金持ちに子沢山ってのはあまりきかないからなァ



 数多くの資料によれば、里子の習慣がブルジョワジーのあいだに広まったのは十七世紀のことである。この階級の女たちは、子育てのほかにすることがたくさんあると考え、そう公言してはばからない。


 だが、里子の習慣が都会のすべての階級に浸透するのは十八世紀になってからである。パリは、例によって、その典型である。子どもたちはパリからはるか遠くへ、時には五十里も離れた、ノルマンディーやブルゴーニュやボーヴェジに送られた。警視庁長官ルノワール氏がハンガリーの女王に送った報告書は貴重である。一七八〇年、首都パリでは、一年間に生まれる二万一千人(総人口は八十万から九十万である)の子どものうち、母親に育てられるものは千人に満たず、住み込みの乳母に育てられるのは千人である。他の一万九千人は里子に出される。〔・・・〕


一七六〇年頃から、母親にたいして、自分で子どもの世話をするように勧め、子どもに授乳をあたえるように「命ずる」書物が数多く出版された。それらは、女はまず何よりも母親でなければならないという義務を作りだし、二百年後の今日でも根強く生きつづけている神話を生んだ。それは、母性本能の神話、すなわち、すべての母親は子どもたちにたいして本能的な愛を抱くという神話である。(エリザベート・バダンテール(Elisabeth Badinter)『母性という神話(L'Amour en Plus)』鈴木晶訳)



スゴイなあ、昔のパリの里子率って。このバダンテールの記述を信じるなら、二万一千人の乳児のうち、母が育てるのは千人、住み込みの乳母が千人、一万九千人が里子ということは、里子率90パーセント強だ。



 著者がいわんとしていることはこうだ――いわゆる母性愛は本能などではなく、母親と子どもの間で育ってゆくものであり、母性愛を本能だとするのは一つのイデオロギーである。このイデオロギーは女性が自立した人間存在であることを認めようとせず、母親の役割だけに押し込める。さらには、子どもにたいして母親としての愛情を感じることのできない女性を「異常」として社会から排除しようとする。(鈴木晶「あとがき」ちくま学芸文庫)




フロイトはこう書いてるけどね、


精神分析のエビデンスが示しているのは、ある期間持続して二人の人間のあいだにむすばれる親密な感情関係ーー結婚、友情、親子関係ーーのほとんどすべては、拒絶し敵対する感情のしこりを含んでいる。それが気づかれないのは、ただ抑圧されているからである。

Nach dem Zeugnis der Psychoanalyse enthält fast jedes intime Gefühlsverhältnis zwischen zwei Personen von längerer Dauer ― Ehebeziehung, Freundschaft, Eltern- und Kindschaft ― einen Bodensatz von ablehnenden, feindseligen Gefühlen, der nur infolge von Verdrängung der Wahrnehmung entgeht.


おそらく唯一の例外は、息子への母の関係[Beziehung der Mutter zum Sohn ]である。これはナルシシズムに基づいており、後年の(主に娘との)ライバル意識によっても損なわれことなく、性的目標選択のアプローチによって強固なものになる。

Vielleicht mit einziger Ausnahme der Beziehung der Mutter zum Sohn, die, auf Narzißmus gegründet, durch spätere Rivalität nicht gestört und durch einen Ansatz zur sexuellen Objektwahl verstärkt wird. (フロイト『集団心理学と自我の分析』第6章、1921年)



ま、たぶんこうなんだろうな、つまり母性愛といってもナルシシズムの変種なんだろう。



ボクは次の記述のほうが好みだけど。


男性によっての男児の養育(例えば古代における奴隷による教育)は、同性愛を助長するようにみえる[scheint die Homosexualität zu begünstigen]。今日の貴族のあいだの性対象倒錯の頻出は、おそらく男性の召使いの使用の影響として理解しうる。母親が子供の世話をすることが少ないという事実とともに。(フロイト『性理論三篇』1905年)


里子ってのはよくないんじゃないかね、男が育てるってことはなくても、里親が例えば性器ナゼナゼして寝かしつけることが多いらしいから、フランスのように変態が大量発生するよ。


ついでに次の二文も貼り付けておこう。


小児が母の乳房を吸うことがすべての愛の関係の原型であるのは十分な理由がある。対象の発見とは実際は、再発見である。Nicht ohne guten Grund ist das Saugen des Kindes an der Brust der Mutter vorbildlich für jede Liebesbeziehung geworden. Die Objektfindung ist eigentlich eine Wiederfindung (フロイト『性理論』第3篇「Die Objektfindung」1905年)


子供の最初のエロス対象は、この乳幼児を滋養する母の乳房である。愛は、満足されるべき滋養の必要性へのアタッチメントに起源がある[Das erste erotische Objekt des Kindes ist die ernährende Mutter-brust, die Liebe entsteht in Anlehnung an das befriedigte Nahrungs-bedürfnis.]。


疑いもなく最初は、子供は乳房と自己身体とのあいだの区別をしていない[Die Brust wird anfangs gewiss nicht von dem eigenen Körper unterschieden]。


乳房が分離され「外部」に移行されなければならないときーー子供はたいへんしばしば乳房の不在を見出す--、幼児は、対象としての乳房を、原ナルシシズム的リビドー備給の部分と見なす。[wenn sie vom Körper abgetrennt, nach „aussen" verlegt werden muss, weil sie so häufig vom Kind vermisst wird, nimmt sie als „Objekt" einen Teil der ursprünglich narzisstischen Libidobesetzung mit sich.]


最初の対象は、のちに、母という人物のなかへ統合される。この母は、子供を滋養するだけではなく世話をする。したがって、数多くの他の身体的刺激、快や不快を子供に引き起こす。身体を世話することにより、母は、子供にとって「原誘惑者ersten Verführerin」になる。[Dies erste Objekt vervollständigt sich später zur Person der Mutter, die nicht nur nährt, sondern auch pflegt und so manche andere, lustvolle wie unlustige, Körperempfindungen beim Kind hervorruft. In der Körperpflege wird sie zur ersten Verführerin des Kindes. ]


この二者関係には、独自の、比較を絶する、変わりようもなく確立された母の重要性の根が横たわっている。全人生のあいだ、最初の最も強い愛の対象として、後のすべての愛の関係性の原型としての母であり、それは男女どちらの性にとってもである。[In diesen beiden Relationen wurzelt die einzigartige, unvergleichliche, fürs ganze Leben unabänderlich festgelegte Bedeu-tung der Mutter als erstes und stärkstes Liebesobjekt, als Vorbild aller späteren Liebesbeziehungen ― bei beiden Geschlechtern. ](フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』第7章、1939年)



何はともあれ最初の世話役ってのは原誘惑者なんだから、基本的にはやっぱりこうなるな。


女はその本質からして蛇であり、イヴである Das Weib ist seinem Wesen nach Schlange, Heva」――したがって「世界におけるあらゆる禍いは女から生ずる vom Weib kommt jedes Unheil in der Welt」(ニーチェ『アンチクリスト』1888年)



母親ってのはたいしてイイことないんだよ、むかしのように育てた恩、つまり贈与とそれに対するお返しという互酬性が機能しなくなっている世界ではことさら。


もうむかしのように子沢山ってのはありえないね。いざとなったら人口子宮で大量生産という仕方はないではないだろうけど。





今世紀半ばから世界人口減少して止まるところを知らなくなるかもよ。



21世紀の大いなる決定的出来事ーー人間の歴史における大いなる決定的出来事のひとつーーがあと30年ほどで起こる。世界人口が減り始めるのである。いったん減少が始まれば、2度と増加に転じることはない。(ジョン・イビットソン&ダレル・ブリッカー『Empty Planet(無人の惑星)』2019年)







ようやく地球最悪のウイルスの減少が始まる可能性が高いんだよ


地球から見れば、ヒトは病原菌であろう。しかし、この新参者はますます病原菌らしくなってゆくところが他と違う。お金でも物でも爆発的に増やす傾向がますます強まる。(中井久夫「ヒトの歴史と格差社会」2006年初出『日時計の影』所収)