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2021年7月6日火曜日

子どもの生産財から消費財への転換

 合計特殊出生率の1.34とは、格別驚くべき数字じゃない。

「恋愛、結婚、出産」放棄の「3放世代」

例えば10人の女性がいるとする。そのなかには生涯子供を産まない女性が3人いる。すると7人の女性が子供を2人作ったって、14人しかならない。14÷10=1.4だ。つまりは合計特殊出生率1.4だ。

今では3人以上産む人は少ないだろう。逆に1人は多い。平均1.5人になれば、現在の韓国以下の0.75に特殊出生率になる。その意味では、韓国の数字さえ驚くべきではない(2020年のソウルの出生率0.64、東京都は1.15)。

これは子供が生産財から消費財に移行した先進諸国の宿命だ(もっとも自国のなかに移民ゲットーを抱えている欧米諸国はいくらか様相が穏やかだが)。


戦前に出産した世代では4人以上出産する者が多かった一方、子どもを産まない者も現在以上に多く、多様性が見られた。それが戦後出産した世代である 1921 年~1925 年コーホートから産む子ども数が2~3人、特に2人に集中する傾向が見られるようになる。昭和8(1933)年~12(1937)年コーホートでは「2人っ子」が過半数を占めるようになり、以後この傾向が続く。このことは戦後標準的となった「2人っ子家族」が第一次人口転換により生まれたことを示している。 


この背景として、(ア)戦後の経済発展の中で、「子どもの生産財から消費財への転換」という先進国共通の現象が生じたこと、 (イ)乳児死亡率の低下により多産の必要が少なくなったことが挙げられる。(ア)については、戦前から戦後初期の日本人の多くが農林漁業や自営業に従事していたのに対し、戦後の日本で「サラリーマン化」が進み、子どもの補助労働力としての価値が低下したことが大きい。〔・・・〕


翻って戦後を見ると「二人っ子社会」とは即ち「皆婚に近い状態を維持しないと人口が減少に転じる社会」である。経済的理由から実家にとどまり続ける未婚者の存在や、都市における未婚率の高さはかつての日本でも同様の傾向があったのであり、都市、農村、階層の違いによらず「皆婚、子ども2人前後」という状況が実現した 1950~1970 年代がむしろ特殊な時期であったと言える。問題は、子どもが消費財化した現在では経済力の強い層の多産は期待できないことである。 (「歴史的に見た日本の人口と家族」 衆議院調査局第三特別調査室  縄田康光、2006年、pdf



この縄田康光という人の論文はなかなか勉強になるよ。

(2)低かった都市の婚姻率-昔も今も江戸(東京)は独身者の街 


江戸の人口は享保6(1721)年 11 月において 50 万 1,394 人(男 32 万 3,285 人、女 17 万8,109 人) 、天保 14 年7月において 55 万 3,257 人(男 29 万 2,352 人、女 26 万 905 人)となっている。これは町人のみの数字であり、武家方人口が町人人口とほぼ等しいと考えられること、寺社関係の人口等を合わせると江戸時代中期以降の江戸は人口 100 万人を超える大都市であったことがわかる。 


上記人口を見て気づくのは江戸中期における男女比の異常である。享保6年の男女比は男 100 に対し女 55 であり、当時の江戸が異常な「男性過多」社会であったことがわかる。天保 14 年は 89 となっており、男女比は均衡しつつあるが、いずれにせよ男性の流入民により人口が増大してきた江戸の性格がここに示されていると言えよう。  


江戸の第二の特徴は、有配偶率、特に男性の有配偶率の低さである。幕末江戸各地の有配偶率をまとめると表3のようになる。これを見ると、各地とも男性の有配偶率は5割程度となっており、先述した農村部の「皆婚」ぶりと比べ極めて低いものとなっている。表4の現代の東京と比較しても男性の有配偶率は大差がない。  


また住民の職業を見ても日雇稼、棒手振等の不定期就労者が多い。昔も今も江戸(東京)は独身者と非正規雇用が多い街だったのである。 (「歴史的に見た日本の人口と家族」 衆議院調査局第三特別調査室  縄田康光、2006年、pdf




江戸時代の日雇稼、棒手振等が、現在の
非正規雇用ってのは、言われてみればそうなんだろうけど、なかなかズバリとは言いがたいね。



今で言えば宅配みたいなもんか。ーーいぼ海鼠は 切らしましたと  棒振屋 




(3)高かった離婚率  


次に離婚率であるが、明治以来の普通離婚率の推移をまとめると表5のようになる。




これを見ると、明治初期・中期の離婚率が現代より高かったことがわかる。明治民法施行(明治 31(1898)年)以前の日本の離婚率の高さが推測される。  


江戸時代の離婚率については、前記の陸奥国下守屋村と仁井田村を例にとると、その平均普通離婚率は 4.8 に達している。これは現代の米国を上回る高水準である。また、武家の離婚率も高かったと推測される。また江戸時代は、配偶者との死別に伴う再婚も多かった。夫婦が一生寄り添うという家族のイメージは、離婚率が低下し、平均寿命が延びた明治以降に形成されたものと言えよう。 (「歴史的に見た日本の人口と家族」 衆議院調査局第三特別調査室  縄田康光、2006年、pdf



この30年のあいだに米国の離婚率がググッと下がってる。そして中国の上がりようの凄まじいこと。





巷間では日本の女性の未婚率が騒がれるが、40歳ぐらいになったらそれなりに結婚している。



40歳になればほぼ4人に3人は結婚してんだからな(もっとも25歳から29歳の女性の1980年以降の未婚率上昇は凄まじい。ああ花の盛りをなんと勿体ないことか!)


男が40歳あたりになって3人に1人の未婚率ってのは、全国の心理的東京化を視野に入れれば当然の数字だ。