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2021年8月14日土曜日

信仰のプラセボ効果

 


いやあ大丈夫だよ、気にすんな。一神教を信仰するのだって悪くないさ。ニーチェやフロイトってのは、キリスト教文化のなかで「神はない」とか「神はイリュージョン」、あるいは「宗教は賎民の関心事」「宗教は強迫神経症」とか言ってるわけで、日本的文脈とはわけがちがうよ。


そもそも何かを信仰してるほうが効果があるに決まってんで、ヨガや座禅だってカミサマを信じてたほうがずっといいよ。プラセボ効果ってものがあるからな。


ちょっと芝居っ気がありすぎるかもしれないけれど、処方が新しくなるときの私は「効きますように」といって渡します。そのとき片手で軽く祈ることもあります。ご承知のように、向精神薬のプラセボ効果は30パーセントであり、薬効はそれに10パーセントかそこらを上乗せするわけですから、この「効きますように」は無意味ではないと思います。(中井久夫「患者に告げること、患者に聞くこと」)

一般には漢方薬は処方者への信頼なしでは効かない。(中井久夫「トラウマについての断想」)


新興宗教だってアジールの機能はあるんだろうからな、オウムのようにならなかったら、若い人たちにとって救済の場になってるはずさ。電車のなかで若い女を切りつけるよりはずっとマシだよ。

絆の場になっているはずだからさ。


きずな 谷川俊太郎


ひとりをひとりにむすび

ひとりをひとりにからませ

ときにひとりとひとりをしばる

みえないうんめいの いと

ひとからひとへ めぐりつづけるエネルギー

あいしあうものを きずなはむすぶ

にくしみあうものを きずなはむすぶ

みしらぬものどうしすら きずなはむすぶ

ひとりではいきていけない わたしたちのいのちづな

きずな



もっとも人を縛ったり憎しみあうものを結んだりさえしちまうことだな、


絆ってのはファシズムのことだよ


「ファシズム」(伊: fascismo)の語源はイタリア語の「ファッショ」(束(たば)、集団、結束)で、更に「ファッショ」の語源はラテン語の「ファスケス」(fasces、束桿)である。(Wikipedia


ま、でも差別的になったり排他的になってさえいなければな、当面許容すべきじゃないかね。だからバカにするつもりはないよ。


とはいえこういうことはあるな


信者の共同体そこにときに見られるのは他人に対する容赦ない敵意の衝動[rücksichtslose und feindselige Impulse gegen andere Personen]である。宗教は、たとえそれが愛の宗教[Religion der Liebe ]と呼ばれようと、所属外の人たちには過酷で無情なものである。もともとどんな宗教でも、根本においては、それに所属するすべての人びとにとっては愛の宗教であるが、それに所属していない人たちには残酷で偏狭になりがちである。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第5章、1921年)


つまりこうなってないのは稀ってことはあるからな。


ニーチェは愛の宗教の信者どころか愛自体の信者さえこう言っているぐらいだからな。

ただ一人の者への愛は一種の野蛮である。それはすべての他の者を犠牲にして行なわれるからである。神への愛もまた然りである[Die Liebe zu Einem ist eine Barbarei: denn sie wird auf Unkosten aller Übrigen ausgeübt. Auch die Liebe zu Gott.](ニーチェ『善悪の彼岸』第67番、1986年)

愛する者は、じぶんの思い焦がれている人を無条件に独占しようと欲する[der Liebende will den unbedingten Alleinbesitz der von ihm ersehnten Person,]〔・・・〕すなわち愛はエゴイズムである[Liebe …Egoismus ist. ](ニーチェ『悦ばしき知識』14番、1882年)


これはたぶん少し考えるだけで受け入れざるを得ないはずだよ。八方美人的な愛の実践者なんて誰も信じない。ここがヤバいとこさ。